ミラベルは無難に暮らしたい
まるめぐ
1 逃走はこのゲームの醍醐味? 冗談じゃないっ!
「ホント何なのこのゲームは! イレギュラーイベント頻発かと思えば、ペナルティーばっかりなんて不公平よ! 身がもたないこんなの聞いてなーい! あたしはエンディングまでもその後もただ無難に暮らしたいだけなのにいいいーーーーッッ!!」
ザッパーンと打ちつける荒波が砕け散り、波の花が白く散る断崖絶壁の上で、一人立つあたしは思いの限りの大声で叫んだ。
真っ赤な長い髪が強風に乱れて鬼ババヘアーになろうとも、寒くて鼻水が氷柱のように垂れようと、構いやしない。
風を含んだドレスの裾が際どい程に開こうと、構いやしない。中に薄地のカボチャパンツを穿いている。
どうせ誰も見ていないし聞いてもいない。女を捨ててストレス発散に限る。
さすがのさすがにこの場所はあの男にだって見つけられないはずだ。
「ふん、でもまあ今回は逃走成功よね。よーっし、制限時間までもっと思う存分愚痴ってやるわ。大海原よ聞いてたもーれーーーー!」
そう意気込んだ直後だった。
「ミラベル! こんな危ない場所で一人で何やってるんだ!? 高波にさらわれたらどうする!」
「――ぬわぁあああーんでいるのおおおっ!?」
あたしは髪を振り乱して勢いよく振り返って仰天よ。海風に乱れまくったこっちの姿に彼はちょっと目を見開いて怯んだけど、すぐにそれは全く問題ではないと言うようににーっこりと微笑んだ。
まるで一服の絵画になるような、何とも艶のある美々しい青年が目の前に佇んでいる。
……まあ、黙って立っていればの話っ、だけどっ。
波が砕ける強風の中どうやっているのかさらさらした銀髪は優雅にさらりと揺れるだけで乱れない。
これぞ世界共通美形マジックね、とあたしはついつい無駄な事を考えてしまって頭を振ってしかと視線を相手の男ギルバートへと突き刺した。
強く睨まれたというのに彼はかなり嬉しそう。こっちを誘惑する無邪気な眼差しがふわりと細められる。
それが余計に嫌な予感を募らせた。
そして、その予感はすぐに当たった。
ポーン、と機械的な音と同時に青透明の電子画面みたいなのがあたしの目の前に浮かんだ。
【制限時間内のギルバートの回避に失敗しました。
――ペナルティーになります】
え、そんな、ペナルティー確定ッ!?
そりゃ確かにこの男に見つかっちゃったけどおぉ~っ。見つかっただけでまだ捕まった訳じゃないわよ!
しかしまさかここまでとは、彼の追跡能力を甘くみていた。
彼があたしのテレポート魔法陣を見つけてそれを使ったのは疑うべくもない。
でもね、ホントね、屋根の上ってかなり見つけにくい場所に設置したのに、魔法使いでもない普通人が一体全体どういう嗅覚してんのよ!
なーんて内心文句を叫んで警戒心を下げちゃってたら、ハッと気付けば相手がすぐ目の前にきていた。
誘惑の笑みにそこはかとなくブラックさが混じる。
「ミラベル、最近はよくも僕を避けまくってくれたよな。正直かなり傷付いた」
「ああそれはゲームの決まりだからで――ってああいや違う違う、ええとその、あ、あなたに合わせる顔がなくて! ほら、騙してたのと魔女なのを隠してたのとで、すっっっごく気まずくて!」
「まだそんな事を言っているのか? もう気にしなくていいと何度言ったらわかってくれるんだ」
苦しい言い訳に聞こえたのかもしれない。彼は眉を寄せると徐に手を伸ばしてくる。
――カシャン。
え、カシャン……て何の音?
「は……? 手錠……?」
「罰として、君からキス五回してくれるまでこれはこのまま」
「この、まま……?」
あたしは今し方手錠をされた右の手首と、そこから伸びる鎖の先を眺め下ろした。
手錠のもう一つの輪っかは、どう見ても彼の左手首に繋がっている。
「かかかっ鍵は!?」
「僕が持っているから心配要らない」
「いやいやいやあるなら外して? 外して下さいいっ!?」
「どこでもいいからキス五回」
「無理無理無理」
「じゃあキス七回」
「二回も増えてるし! 五回でしょ!」
「五回も七回も同じじゃないか」
「数の概念を根底から否定!?」
開いた口が塞がらない。おお神よ、ううん、ゲーム開発者よ、どうしてあたし主人公ミラベルはこのクレイジー右肩上がりな男と関わらなければならなかったのでしょーかッ!?
大荒れの大海原を目の前にした解放感に気を抜いていたのが心底悔やまれる。
「……だったら、五回もゼロ回も同じよね?」
「…………ま、まあ今すぐじゃあなくていいさ。ここがどこだかは知らないが、割と寒いし危ないからとりあえず城に戻ってティータイムにしよう。もう準備はさせているから」
「ううっ、またあたしのプライベートな時間が侵食されるうぅ……っ」
「ははっ、君の生涯のプライベートは僕のものだ」
「意味がわかりませんっ」
内心で歯を剥いて中指を立ててやる。
どうせ一年だけの契約結婚と思っていた。
つまり、契約期間が過ぎれば離婚し、残りの人生は彼からは自由になるつもりだったのに……そうできそうにない。
軽くアクスタ百個は部屋で奉って愛でちゃうくらいには美形な彼の容姿にほだされたわけではない。
全ては、このゲームのせい。
履行必須のペナルティーのせいよ!
以前のペナルティーの一つに、彼からのお願いを一つ聞くってあって、だからお試し交際に合意するしかなかった。
システムの姑息さに苦々しい顔をしていると、美青年ギルバートさんはじっと見つめてきた。うるうると潤んだ捨てられたわんこの瞳で。
「その……僕とお茶は嫌か?」
「ああもっ! しますよします!」
好みど真ん中の超絶美形はいつでもどこでもインパクトが半端ない……ってよりは、そんな顔されたら突っぱねられないじゃないのよ。
寒さで赤くなったのかその他なのかあたし自身でも判然としない中、怒る気力も失せて道を戻る。大体ね、あたしってば職業柄か基本頼まれたりお願い事されるのにどうにも弱いのよね。
最近わかってきたけど、彼はそこを確信してやっている節がある。
だから余計に憎たらしい。
手錠のせいで必然的に並んで歩きながら、さてテレポートだと魔法陣を踏もうとして、あたしは取り止めた。
「帰らないのかミラベル?」
「こんなまま帰ったら、また何て言われるか」
屋敷の皆からは、手錠でまでお互いを繋いじゃってむふふ若いもんは盛んですねって目で見られる。絶対。違うのにっ。
ゲーム上この男とは不仲になれないから、手錠するとかこんなある意味やべえアプローチされても無下にできないのは仕方がないけどってか最早諦めたけど、それにしてもあたしって心が広いわって自画自賛よ。
もしもボランティアの女神様が居たなら、あたしは第一の弟子確定ね。
「どこでも五回でしょ」
「もしかしてここでしてくれるのか!?」
彼はぱあっと表情を十万ルクスくらいに明るくした。眩しい、眩し過ぎ!
「な、なら頬で頼みたい!」
「手にするわ」
「えええっ、せめて一回だけでも! な! 頼むミラベル!」
「…………一回だけよ」
とても嬉しそうにして、彼はあたしがしやすいようにか少し身を屈める。
すると、ポーンと画面出現の音がした。
【ペナルティー キス五回 経緯任意】
との新たなお知らせがと言うか、ようやくペナルティーの具体的内容に言及する表示が出てきた。
は? だけど経緯任意……て?
まあ何にしろこのペナルティーを受けないと物語は次には進まない。
「はぁも、厄介なシステムめ……」
「ん?」
無垢な目になりキョトンとする男をやれやれ我が儘ちゃんって思いながら「ちょっとそのまま動かないで」と命令しつつ、羨ましい程のすべすべほっぺに顔を近付けた、刹那。
急に正面を向かれた。
で、ちゅっとキスされる。
一瞬だったけど、唇に。
「なっ……!」
びっくりして目を見開いちゃったわよ。
相手の方はふっと余裕そうに両目を笑ませた。今にもてへぺろしそうな面持ちで。
こいつううう~っっ!!
「何も僕からしないとは言っていないからな。恋人スキンシップはキスまではしていいって君からは了解を得ているんだし、問題ないだろう? 散々避けられていた腹いせだ。さあ君のターンをどうぞ」
「……っ……っ」
「僕は君を落とすためになら、どんな手だって使うつもりだよ」
カカッと顔が熱くなった。
ああ任意ってそういうわけ。どっちからキスしても可って。
またポーン、と機械的な音がして、
【ペナルティーの1/5が終了しました】
との無機質な文字。
そのおかげでやや怒りが減退した。
そうこれはゲームよゲーム、いちいち熱くなるなかれってね。
とは言え、また不意討ちされたらどうしようと心臓が止まりそうにもなりながらも、恥ずかしいのを我慢して手錠のために条件をこなした。
がしっと掴んだ彼の手の甲にキツツキ連打宜しくちゅちゅちゅちゅーってしてやったわ。
【ペナルティーが完了しました】
って文字が浮かぶ傍では彼が呆気としていたっけ。勿論手錠は外してもらったわ。
ふん、あたし――ゲーム転生者を甘く見ない事ね。
彼ギルバートと出会ったのはおよそ三月前。
あたしミラベルの十六歳のバースデーから間もなかった時分。
はあ~。あの頃を何度思い返しても、しくじったとしか言えないわ。こうなるとわかっていたら契約結婚なんてしなかった。
ゲームみたいにやり直しができたら良かった……。
だけど生憎この世界は世界観がゲームと同じなだけで、今のあたしのリアルなのよね。先が思いやられる。
予期せずもあたしが転生した世界はゲーム世界だった。その名も「魔女ミラベルは逃走中」って乙女ゲーム。
あたしの新たな人生たる主人公――ミラベル・クラウンはとても不幸な生い立ちのキャラで、早くに両親との離別があり、ミラベルの魔女としての血筋を重視する魔女教から追われ、どうにか逃げて普通人を装って生きているけど、何故か騒動に巻き込まれては魔女だと露見して魔女教に見つかりまた逃げる羽目になる。そんな事の繰り返し。
魔女教は魔法至上主義な集団で、女の魔法使い――魔女が代々トップを務めるって女系な組織。
所属メンバーも基本女性だけとされている。
魔女教幹部達はこの国の王家から逮捕状が出されているくらいに過激な者が多い。
だからなのか、この国の王家は魔女排斥を声高に掲げている。
それで、ミラベルはよりにもよってその王家とも関わってしまう。
魔女教からも王家からも目を付けられる彼女は、しかし魔女教が生きて両親を捕らえていたのを知り、彼らを助けるために自ら立ち向かう。当初は彼女も二人は死んだと思っていたから降ってきたような奇跡にやる気もひとしおよ。
そんな彼女を支えてくれるのが何と王家の王子ギルバートだ。
そうして彼の協力を得て魔女教から見事両親を奪還する。
その後、互いの気持ちを確認し合ったギルバートと手を取り合い、王家に全ての魔女の権利を認めさせて晴れて結ばれハッピーエンド。
このゲームのあらすじはざっくり語るとこんな感じ。
だけどこれは一見普通の乙女ゲームのようでいて、タイトルにもあるように、その実かなり癖のある逃走ゲーム。
ストーリー進行途中で生じる各イベントごとに鬼同然のキャラクターから逃げ切ったり、或いは正体がバレないようにやり過ごす。隠れたりするなんて事もある。
捕まったり見つかればペナルティーが科され、それは相手によって異なるの。
ただ、あたしはプレイ中ほとんどペナルティーを受けなかったから、主人公ミラベルが各ペナルティーで何をされるのか実はあんまり詳しくは知らない。
攻略サイトを覗いた事もなかった。それが今は悔やまれる。見て知っておけばぜえーっっったいに失敗できないってイベントがわかるもの。
イベントが生じると、開始と終了が目の前にゲーム的な表示画面になって現れるから、わかりやすいっちゃわかりやすい。
――たったの今、あたしの目の前に現れたみたいに。
よくある青透明の長四角いタッチ画面が、微かなノイズを伴って浮かんでいる。
後ろを向いたり目を逸らすのは可能だけど、どこへ歩いても走ってもそれは必要な操作をして消さない限りは付いてくる。
あたし以外には見えていないのは検証済みだ。
【ダーレク教会からの逃走を開始しますか? はい いいえ】
もうお馴染みの逃走開始を誘う問いかけ。はいといいえの二つのボタン。
選択をしないうちは最早このダーレク教会からは一歩足りとも出られない。
深呼吸したあたしは「はい」ボタンへと指先を伸ばした。
ディン、ってやや重い感じのタッチ音。
【ダーレク教会からの逃走を開始します】
あたし、ミラベル・クラウン。花の盛りの十六歳。
あと何回こんな茶番を繰り返せば、この世界で安心して暮らせるんだろう。
まあとりあえず、今は隠れようか。
…………。
……。
……ドタドタと荒い足音が近付いた。
「――この愚図! いつまで心の整理してる気だい!」
バンッと小さなダーレク教会奥の木の扉が乱暴に開かれる。
そこは本日結婚式を迎える花嫁の支度部屋だ。
「なッ!?」
しかしノックもなしにズカズカと押し入ってきたドレス姿の恰幅の良い中年女は、ばさばさした付け睫の両目を大きく見開いて絶句すると、その魚のようなぎょろりとした黒い目をみる間に吊り上げた。
「いないじゃないかい! 一体どこに逃げたんだ! お前達早く捜すんだよ! 見つけないと大金がパーだ!!」
女は大声で後ろに付いてきた黒服の男達に命じ毒づきながら部屋を出て行く。
ドタドタと遠ざかる粗雑な複数の足音。
しばししてその足音が完全に聞こえなくなった頃、その乱暴に開かれた仕度部屋の入口扉がギギイィィと軋んでゆっくり戻っていく。
「……ッ、いったあ~……」
今の今まで開いていた扉の陰、あたしは赤くなった鼻っ柱を両手で押さえて悶絶する。
白い花嫁衣装は半ば無理やり着せられたものだ。
純白に映える真っ赤な長い髪がさらりと肩から垂れて広がる。
「全くもう、ホント話が違うじゃない。……はあもー、小娘だからって甘く見られたものね」
苦々しい顔付きで一人愚痴をこぼす。
そんなあたしは現在この国リベラエスタ国の中規模都市ダーレクで「小さな雑用から大きな雑用まで何でも引き受けます」というキャッチフレーズの下、何でも屋を営んでいた。
今回の依頼は病弱で結婚式に出られない娘の代わりにその娘の役回り――つまりは花嫁のフリをしてほしいというものだった。
どうも世間への体裁を重視する相手なのか、結婚式を挙げないと結婚に応じないという狭量な条件があるらしかった。そんな相手なんてやめればいいのにと内心思っていたけど、ようやく娘が結婚できるのだと、どうしても頼むと、そう母親に泣きつかれ仕方なく引き受けたという次第だった。
そう、受けた、んだけれども……。
「ああもう何なのあのくっそババア。これって要するにあたし騙されてどこかのおっさんに売られそうになったのよね!」
淑女としては失格な言葉を交じえ、極力小声で怒りと悔しさに拳を握る。
お迎えの馬車では予想外にも縄で縛られ、教会に着くやすぐさま支度部屋に放り込まれ、無理やり着せられた花嫁衣装。
諦め従順になった体で「心の整理をしたいので少し一人にして下さい」なんて泣いてみせ、まんまと時間を稼いだもののこれからどうしようか。
護衛の男達の人数とその屈強さは、狙った獲物を逃がさないと言う決意の現れだ。
病弱な娘云々なんて話は端から嘘だったのよね。
失踪してもすぐには捜索願いの出されないだろう独り身独り暮らしの若い娘を狙っての人身売買。
道理で根掘り葉掘り家族構成やら友人やらその交際頻度を訊かれたわけだ。
「ああもうしばらくこの街歩けないじゃないのよ」
大声を上げたい所だが、バレるといけないので今はこそこそ声で叫ぶしかない。
向こうが諦めるまで、家も顔も知られているあたしは不用意にこの街をうろつけない。
「何なのよもう。まさかここでイベント開始になるとは思わなかったわ。次はユーリエの街に行かないとならないのはわかってたけど、そこまで行くにしたって逃げる相手は魔女教だとばっか思ってたのに。くそー完全不意を突かれた感じじゃない。せっかくお得意様もできて軌道に乗ってきたところだったのに、これじゃあ逃げ切った所でこの街には戻れないから築いてきたもの全てが台無しよ。目立たず細く、けど堅実に生きてきたあたしの平穏を返せーッッ!」
庭の草取りとか子守りとかペットの散歩とか買い物代行とか荷運びとか黒い虫Gの撃退とかジビエしたいとか、ご近所さんの小さな小さな雑用を地道にこなして世話をして、ようやく一人で何とかやって行けていたのに。
この世界は「ミラベル」に意地悪だ。
つまりは、あたしに。くぅ~~~~っ!
順調だった両親の会社――クラウン商会が潰れたのは五年前。
因みに本来のゲーム本編の始まりは実はその辺りから。
どこかであたしと母親が魔女だと知った魔女教が悪意を持って噂を流したの。
――クラウン商会と関わると知らないうちに魔女にいいように操られる。だから会社の業績が好調なのだ、と。
魔女教は初めは甘い言葉で同胞たる魔女を仲間に誘うけど、非協力的だったり反抗的な相手には容赦しないから。
以前うちの母親もきっぱり誘いを断っていた。
噂なんて根も葉もないわよ。
母親にそんな高度な精神魔法は使えないし、もし使えたとしても誠実な両親が卑怯な真似をよしとするわけがなかった。
けれど魔法に無知同然な世間はそうは取らなかったわけ。
この国リベラエスタじゃ魔女は偏見の目で見られる。
だけど、男の魔法使いはその限りじゃないのよね。普通に生活しているわ。男は良くて女は駄目とか不公平にも程がある。魔法に基本男女差はないのに。
例外は、極々一握りの才能ある魔女だけ。そういう者は王国のエリートとして国の中枢に関わる仕事をしていて、王族や貴族同然に権利も保障されて一目置かれてもいるんだとか。
だけどそうじゃない弱い魔女は道端の虫けらも同然、息を潜めて暮らすしかない。
迫害の対象となったり、魔女教に従ったり、或いは捕らえられどこかへ連れて行かれてそのまま……なんて理不尽な話も決して少なくない。
戦争でも起きない限り魔法が庶民の目に触れる機会がほとんどなく、ここ百年以上戦乱とは無縁だったこの国だからこそ、庶民が魔法に疎いのは仕方がなかったと言える。
だけどそのせいで魔法は得体の知れないものと思われ、一つの謂れない噂が魔女を破滅させたりもする。
例えば、会社経営に深刻な風評被害を齎したりとかね。
まあでも家族三人心機一転と一から出直すつもりで引っ越すはずだったの。なのにその矢先、魔女教配下が屋敷に押し入って母親とあたしを連れて行こうとした。あの日は普段は温厚な父親が激しく憤怒したのを覚えている。
そしてその事件こそ、ゲームの一番最初の逃走イベントが開始される場面だったから、あたしは襲撃者達から一人逃げ切らないとならなかった。
だけど、逃げずに抵抗した。
ミラベルとして転生する前に、あたしは天の声にここがゲーム世界であり世界の流れも物語の進行にある程度従うって教えられていたから二人が死なないのは知っていた。
だけどそれを無視して助けようとしてしまうくらいに真実二人が大好きだったから、たとえ捕まればペナルティーだったとしても放って逃げられなかった。
結果、父親はあたしを庇って本来負わなくても良かった深手を負った。
この襲撃の混乱では爆発があって屋敷は破壊される。だから本来のミラベルは、両親は屋敷ごと死んだとずっと思っていた。
そしてあたしの目の前でもその通りに爆発が起こった。
あたしは逃走失敗でデスペナルティーを、最悪ゲームオーバーを覚悟した。
ただし結局は爆発の中、怪我を負いながらも父親が一人で逃げろと逃がしてくれたから、ペナルティーもなく今のあたしがある。
屋敷の秘密の抜け道に押し込まれ、何かの神話みたいに絶対に振り返らず戻ってもいけないときつく言われた。怖いくらいだった。
その時あたしはもうあたしであって、精神的にも小さな少女ミラベルじゃなかったのに、本当に言われた通りにしなかったら父親を悲しませるし怒らせるかもって思って、本気でそれは嫌だわって感じた。
言われた通り近くの村まで通じていた地下迷宮っぽい複雑な通路を振り返らず逃げて逃げて走って逃げて、知り合いに匿ってもらった。
悔しくも、ゲームの展開に沿うしかできなかったの。
この出来事はあたしに改変できる内容とできない内容とがあるんだって身を以て悟らせた。
その線引きは不明だけど。
因みにゲームエンディング後の生き方は完全あたしの自由だって天の声からは保証済み。
そこを目指して今は仕方がなくシステムの統制下に甘んじているってわけだ。
そうやって将来シナリオ通りに両親を必ず救い、その後は親孝行しようとそう固く決めている。
だから、頑張れる。
話を戻すと、あの後あたしは密かに父親の友人に引き取られた。
彼は、万一の際にはと前以て父親からあたしの事を頼まれていたらしい。
そうしてお世話になって暮らして、ゲーム通りにあたしはその恩人の所から独立するために、ダーレクの街でどうにか何でも屋を立ち上げたの。
元のゲームじゃミラベルはこの街から隣街のユーリエに逃げる。
彼女の居所を知った魔女教連中がダーレクに現れるせいで。
だけどその逃走イベントまでは何も起きない。現にこの五年、森で猪から逃げ切るとか、墓場で殺人鬼から逃げるとかのサブイベント的なものは幾つもあったけど、本筋に関わるような出来事は起こらなかった。
そもそもこのゲームはキスやそれ以上の大人な恋愛も絡んでいるからミラベルがある程度成長しないと話を進められないのよね。
このダーレクの街から逃走しないとならないのは、ミラベルが十八歳になってから。
だからその時期になるまで、できるだけここでお金を貯めようって決めていた。
そうすればユーリエに行っても暮らしは安泰だもの。……と、まあそのはずだったのにねえー。どうなってんのよ!?
十八じゃなくまだぷりぷりの十六歳になって間もないあたしは花嫁衣装を脱ごうとして、着てきた衣服がそういえば回収されていたのを思い出す。
「お気に入りだったのに……っ」
憎々しげな溜息をつくと仕方なくドレスの裾をたくし上げて部屋の外の様子を窺った。
廊下には誰の気配もない。
遠くの方で捜し回る者達の張り上げた声や物々しい足音が聞こえるのみ。
ごくりと唾を呑みこむと今のうちだと慎重に一歩を踏み出した。
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