何かを起こしそうな男子高校生たち

泡沫 河童

プロローグ

”高校生”。なんと力強い言葉だろうか。


昔から、テレビを眺めていれば『高校生クイズ』で難問に立ち向かう諸氏はまさしく碩学の徒であったし、SNSを眺めていれば学校の風景を動画を投稿してはバズらせていた諸氏はアーティストやタレントの卵であり、すべてが輝いているように見えた。


自分と諸氏は何が違っているのか、それは他ならず『高校生』か『それ以下』であるかであったと私は推論していた。

ローマは一日にして成らず。されど海底火山が突如として島を作り上げることもあれば、大雨は一夜にして湖を生み出す。75万年前に火を使うことを知った人類がマッチを開発するのはつい200年前だが、そんなもの地球の時間からすれば一瞬のことである。そう、全ての物事が成るのは必然であり、ちょっと時間が経てば大いなる意思のもとに勝手に世界は変わるものだ。


人間のスケールで言えば、小学生から中学生になるということはママチャリが自動車になることであり、中学生が高校生になるということは自動車がジャンボジェットになるようなものなのである。いや、戦闘機かもしれないしスペースシャトルかもしれない。親という動力によって動かされていた小学生から自分の力で歩む動力を得るのが中学生に上がるということであり、高校生になるということはついに地面という制約を離れ大空へ自由に旅立つことができる、そういったパラダイムシフトなのである。


人間が次のステージへと到達するのは、毎年進級することでありいわば自動的に変わっていくことであった。私はそれが人間として、生物学的なものだけでなく精神的なものとしても成長するものであると考えていた。


そう思っていた。


**********


天は我々に生涯において最初の試練である『受験』を与え給うた。受験というのはいわば天からの生命の選別であると私は考えていた。受験というのは大人になるに向けての大いなる潮流であり、大人たちというエジプト軍が子供であることを許さず紅海の縁まで我々を追いやるのである。

それまでに真面目に勉学を啓示として授かっていたものだけが、海を割り、高等学校というシナイ山にたどり着き「たいへんよくできました」と書いてある石版の合格通知を手にすることができるのである。

勉強しない連中は海にでも沈むか塩の柱にでもなってしまえと思っていた。


そんな試練を乗り越えた先にあったバラ色の高校生活。それに思いを馳せることで私は辛い受験の日々を生きてきたのである。

ありがたいことに私は第一志望の高校に合格し、舞い上がっていたのもつかの間、あれよあれよと気づいたら入学式前日となっていた。75万年を須臾のように考えるやつにとっては当たり前のことである。


私はなれない制服に袖を通し、鏡を覗いてみた。成長に合わせてとわけのわからない理由で私の制服はやや大きめであったこともあり、なんとも服に着られているようにしか見えない情けない自分が映っていた。


部屋の扉の隙間から覗いていた母君は「あらあら、似合ってるじゃない」と悪辣な笑みを浮かべ言い放った。それに対して私は一言

「うるせえクソババア」と言った。


その様子を眺めていた姉君は「よかったねー、夢の高校生になれて」と、同じように悪辣な笑みを浮かべて言い放った。それに対して私は一言

「うるせえクソババア」と言った。


本人を深く傷つけまいと端的かつ意思を明確に伝えんとする私の深い温情を無視し、姉君は続けて「お母さんに対してもアタシに対しても同じクソババアだなんて、ちょっとはボキャブラリ増やしたら?」と人類の悪意を煮しめたような笑みでニヤニヤと言い放った。それに対して私は一言

「うるせえクソババア」と言い放ち、部屋の扉を全力で閉めた。


**********


入学式当日、私は期待に胸をはちきれんばかりに膨らませて、通学路へ駆け出した。入学式はどんな感じなんだろう、高校生活最初のクラスメイトはどんなだろう?いや、むしろ学校に着く前の通学路の曲がり角で食パンをくわえた美女とゴッチーンと衝突してごめんなさーいとなってクラスに行ってみたらあーっあのときのってなってそこから始まるラブコメにやれやれ困ったなってなりながらもあれよあれよと美女が何人も現れ俺を取り合いになってどっひゃーっってなるんじゃないの、なんてことを考えていた。


が、私は気づいたら家の玄関の扉の前に立ち尽くしていた。


何が起こったのだろう。自分は意識を失っていたのだろうか。日は沈みかけているから時間は経過している。もっというと、スマホをみると日付は入学式から1ヶ月が経過していた。では私は何をしていたのか。


わかっている。わかっているんだ。


実際のところ、何が起こったのかというと、『何も起こらなかった』のである。むしろなにか起こってくれたほうが良かった。


入学式初日、入学式では期待に胸を膨らませすぎたせいで血管がはち切れたのか鼻血を出してしまい、入学生全員に『鼻血の人』という印象を与えたところからスタートした。大英図書館一杯ほどあった中学生の黒歴史ノートは進学とともに焼き払ってきたのだが、すでに新しい黒歴史ノートの1ページ目が記載された。


クラスでの自己紹介では、家で考えてきたメモ帳いっぱいの文句をメモ帳の紛失とともに一切忘却し、震える声で絞り出したなにかの呪詛めいた自己紹介と精一杯の卑屈な笑みを浮かべただけで終わった。むしろここで鼻血を出して近くの女子から「大丈夫?はい、このハンカチ使って」とか言われたらロマンスに発展しそうなものだったのだが、私は毛細血管レベルでヘタレだったようである。


目まぐるしく移ろいゆく新しい生活の中で私が何をしていたかというと、クラスの男子女子のべつ幕なしに話しかけ、気づけばクラス一の人気者、ひいては学年一のモテ男になった、というシュミレーションを繰り返していた。あまりに同じ演算を繰り返すので「わたしはロボットではありません」と認証をしなければならないレベルであった、と想像していた。


そして、今に至る。夢見ていた高校生活からは程遠く、彩り豊かな日々は、中学時代と対して変わらず、通学路を挟むように屹立するコンクリート塀のように薄暗い灰色なものとなった。

世界は大いなる意思のもとにちょっと時間が経てば勝手に世界は変わるものなのではなく、いや、そうなのかもしれないが、それは選ばれた人々であり、その人々が更に努力を重ねることで成し得るものなのだ。


わかっていた。わかっていたんだ。


**********


あまりにも何もせず家に帰るには私の空回りする若気が許さない気がしたので、僕は未練たらしく通学路をまた歩いていた。過ぎた日々がもとに戻るわけでも、新たな日が始まるわけでもないが、どこか知らない場所に行く度胸もないので。


いつも渡る橋、自転車で通れば苦労せず渡れてしまうのだろうが、徒歩で渡るにはいささか距離のある橋である。ましてやトボトボ歩く僕の足取りからすればあまりに遠く、マーケット・ガーデン作戦の真っ只中の気分である。


橋を半分まで渡ったところで、橋の欄干に黒い大きな影があることに気づいた。目を凝らしてみると、どうやら人影のようである。気になった僕は近くに寄ってみると、欄干に学校の制服を着た大柄の男子が座っているようである。彼は裸足であり、橋に揃えて残された靴は一枚の紙を押さえるように佇んでいた。


この光景を見て、察しの良い者であれば少なくともバンジージャンプの予行演習だとは思わないだろう。しかし、私はそれを察してしまったばっかりに、発生するとかく面倒なイベントに巻き込まれることも、無視することで沸き起こる自責の念に押しつぶされるのも御免である。しかも、あの制服はうちの高校と同じ学生服ではないかと気づき、余計厄介なことになることを危惧した。

いわばこれは超法規的措置であるとして、私は見なかったことにすると判断した。


気づかれないように、背後をヒョコヒョコと通り過ぎようとすると、欄干の彼から声をかけられた。


「待たれい、そこな君よ」

完全に硬直した私の姿を見てか見ないでか、彼は続けた。


「君はここに今飛び降り散りゆこうとする若人がいることを知りむは、何ゆえ過ぎゆこうとせん」


「して、貴君は何を望まん」私は問うた。


「その問いは無粋である」彼は首を振りながら答えた。


なんだか思ったより面倒になりそうなので、私は通り過ぎるために普段より大股で踏み出した。

すると、欄干の彼はその体躯に見合わぬ速度で振り返り私の袖を掴んだ。


「やあ、これもなにかの縁、しばし私の辞世の句を1時間ほど聞いていかぬか」


「そんな辞世の句があってたまるか。1時間もあれば介錯人も途中で首を刎ねるわ」


「つれぬことを言うな、人助けと思ってくれ」


そんな押し問答をしていると、でかい図体が体勢を崩し、それに引っ張られる形で渡しを含め二人は橋から落ちた。

とはいっても、橋は3メートルも高さはなく、ただ雪崩落ちるように入水しただけだった。水深も膝の高さ程もないので、水に叩きつけられることより底の地面に頭をぶつけたほうが痛かった。彼はよくこんなところで身を投げようと思ったもんだ。


新しい制服も1ヶ月目にしてずぶ濡れである。幸い今日は金曜日であったので、軽く洗えば大丈夫だろう。

水を吸って重くなったズボンを引きずりながら川から出ると、先に上がっていた彼が立ちながらむせび泣いていた。いやまて、引きずり込んどいて自分が先に上がるとはどういうことだ。しかし、彼のでかい図体の割に咽び泣くなんとも情けない姿を見ていると、文句を言うほうが悪人と看做されそうで飲み込むしかなかった。


「まぁなんだ、涙拭けよ」

ポケットからハンカチを出そうとしたが、よく考えたらこっちも濡れているんだった。まぁいいや。

彼は涙を拭いたあと、鼻をかんだ。ハンカチを返そうとしてくれたが、「武士の情けだ、受け取ってくれ」と受取拒否をした。


「大丈夫かい諸君」


突然聞こえた声に驚いて振り返ると、橋の影にしゃがむ人影があった。しかも、またも私と同じ学生服だ。どうなっとるんだこの学校は。


「何があったかわからんがね、握り飯をひとつどうだい。学校で食べられなかったから余ってたんだけど」

橋の影の主はそういって、アルミホイルに包まれた握り飯らしきものを差し出してきた。今日の流れは何かを断ると悪い方に転がるような予感がしたので、私は受け取ることにした。


「あ、自己紹介が遅れたね。僕は鈴木。西高校の一年」影の主は言った。


「佐々木。同じく西高校の一年」身投げ主は言った。


「俺は…結城。同じく西高校の一年…」私は言った。


何が起こるかわからないのが人生、これだけ訳の変わらない出会いがあったわけだからなにか大事件が巻き起こってもいいかも知れない。しかし、往々にして人生はなにか起こりそうで何も起こらない、ようで何かしら起こったりするものらしい。


なにか起こりそうで何も起こらないかも知れない、男子高校生の高校ライフが始まる。








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