第30話① 似合ってるって、可愛いって言った
「で、どうして車を洗ってたんだ?」
設楽家の居間で腰を下ろしつつ、慎之介は陽茉莉に尋ねた。
なお静奈はバケツの水を引っ繰り返し服を濡らしたため、陽茉莉に頼み陽茉莉の服を借り陽茉莉の部屋で着替え中だ。
陽茉莉は大きく手を挙げた。
「遊びに行きたい、どっか連れてけ!」
つまり車を洗ったご褒美で、どこかに行きたかったらしい。思ったよりも不純で可愛い理由であった。おかげで慎之介は微笑むしかない。
そんな理由であれ期待に応えるのは当然だろう。
演習で疲れたと言っても、それは気分的なもので体力は十分なのだから。
「よし、いいだろう」
「うぁぃっ! やったね万歳!」
「それで、どこに行きたいんだ」
「うん、考えとらんかった」
「ノープランで言ってたのか」
慎之介が呆れると陽茉莉は両手を握って上下に振った。
「だって、どっか行きたかっただけだし。このどっか行きたいっていう、溢れる気持ち分かんないかな」
「分からんなぁ」
「酷い、なんで分からんの!」
こうした妹の理不尽さを受け止めるのが兄の度量というものだろう。
そう思っていると、居間の扉が開いた。正しくは少しだけ開いた。そこから静奈は顔を覗かせるが入ってこようとはしない。
陽茉莉は首を傾げた。
「どしたん?」
「えっと……着替えた、けど……ううっ、ちょっと恥ずかしい……から」
「別に、あたしとお揃いだし。いいじゃない」
「うあぁっ!」
のしのし近づいた陽茉莉は扉を開け、そこに居る静奈を居間に引っ張り込んだ。たたらを踏み現れた静奈だが、確かに見覚えのある陽茉莉の服を着ている。つまり半袖シャツにハーフパンツというものだ。
「ううっ。み、見るな。見ないで……お願い……見ないで、下さい……」
静奈はシャツを下に引っ張り、一生懸命に足を隠そうとしている。顔は真っ赤で喉の奥で唸っているぐらいだ。
あまりに微笑ましいので慎之介は軽く声を掛けた。
「大丈夫だ、似合ってるよ」
「うひゃぁ!? ほ、ほんと……?」
「恥ずかしがる必要なんてない。凄く似合って可愛い」
「か、可愛いって言った。可愛いって……似合ってるって、可愛いって言った」
「そりゃ言うさ、事実だから――なんで睨まれる!?」
陽茉莉の目付きに気付いて慎之介は怯んだ。妹に睨まれ怯えない兄など、どこにいるだろうか。
結局静奈は、慎之介の持っているパーカーの一つが提供されることになった。十分に大きなサイズを着たせいか、凄く満足している。
その駐車場は広大だった。あまりに広いので区画分けされ番号が割り振られているのだが、見たところ半分ぐらいが使用されている。食品から家電から雑貨まで幅広く取り扱い、映画館すらある大型総合商業施設だ。
「うーんっ。なんで、ここなんだろ。お兄の感性が信じられん」
「言ったな? だが見るといい、好評のようだぞ」
「そっちの感性も信じられんし」
設楽兄妹の隣で静奈は感嘆の声をあげつつ辺りを見回している。お嬢様育ちであるため、こういった場所に来たのは初めてだったらしい。
しかし、その静奈だが一見して静奈とは分からぬ姿であった。
やはり陽茉莉の服装のまま外に出るのは緊張するため、パーカーのフードを被りファッション用の眼鏡をかけ、さらにはマスクまでしている。ようやくそれで外に出れた。有り体に言えば不審者スタイルだが、その点は指摘しない方が良いだろう。
「こ、こんななのね……面白い……」
「建物の中は学校ぐらいか、それ以上広いし迷子にならないでね。迷子になったら見つけるの大変だもん」
小さい頃の陽茉莉が迷子になり大泣きしていたことを思い出した慎之介は微苦笑したが、勘の鋭い陽茉莉怒りの一撃を貰った。防御は完璧だが、妹の一撃は回避できないのが世の理というものだろう。
悶絶する慎之介の服を静奈が掴んだ。
「ん?」
「迷子、迷子にならないためだから……だから離れないでおく、わ」
「それなら陽茉莉の方がいいだろう。どうせ見る場所も一緒なのだろうし」
「ふ、ふん……そういうこと言うんだ……よ、用が無ければ相手にしない。そうなんだ……別に、いいわよ……気にしてない……慣れてる」
心にグサグサ来る言葉を聞き、慎之介は屈するしかなかった。
「別に駄目とは言ってない。うん、迷子になられると困るし好きにしなさい」
「そ、そう!? なら、仕方ないわね……ちゃんと側にいるから」
途端に静奈はマスク越しでも分かる程、ご機嫌になった。
「それで? ここで……何するの?」
素朴な質問をする静奈の横で陽茉莉も深々と頷いた。同感らしい。
「買い物に決まってる」
「な、なるほど。そうよね……買い物ね」
静奈は弾むような声をあげ、いそいそと自分の鞄を探った。嫌な予感がする。そして予想していたとおり札束が二つも取り出される。
「……これ、使って。使え、使いなさい……使って下さい」
商業施設に着くまでに、札束を引っ込めさせ宥められたほど駐車場は広かった。
こうした大型総合商業施設は、言ってみれば昔の商店街を進化させたものだ。通路脇に様々な店舗が並び、それぞれが客の相手をして品を売っている。小綺麗で洒落て明るい雰囲気、広い駐車場という利便性が集客力を高めているに違いない。
飲食店も充実しており、さっそく陽茉莉は静奈を誘いアイスを買いに行った。
「人が多いな」
慎之介は吹き抜け二階から店内を見やった。あちこちに休むための椅子やベンチが置かれているのも納得の広さだ。幻獣対策の避難シェルターも完備され安全も確保されている。
そして空中投影型の広告が流され、立体映像のキャラクターが店内を歩いたり飛んだりして楽しい風景だ。ここに来れば一日飽きずに過ごせるに違いない。実際、子供連れや友達同士ではしゃぐ姿が目立つ。
「はいっ、お兄の!」
陽茉莉がアイスを持ってきた。頼んではなかったが、ちゃんと買って来てくれたらしい。しかも慎之介の好み通りのバニラアイスのプレーンでコーンだ。
「よく分かってるな」
「とーぜん!」
嬉しそうな陽茉莉はカラフルアイスのトリプルでトッピングありのカップだ。それは静奈も一緒で、マスクを外し嬉しそうで幸せそうな笑みを見せていた。
座れる席はどこもいっぱいで、吹き抜け前の手すりに寄りかかり、三人並んでアイスを食べる。
「お兄、これあげる」
ふいに陽茉莉が言った。その笑顔で慎之介は全てを悟る。
「美味しくなかったな」
「妹の気持ちを疑うとか酷くない?」
「胸に手を当て日頃の行いを振り返ってみるがいい。そうやって勧めてくるときは美味しくないやつだろうが」
「……美味しくないわけじゃないもん。トマト味のアイスが、あたしの好みじゃないってだけだもん」
そんな回答に慎之介は溜め息一つ、残っていたコーンを差し出す。
即座にのせられた赤いアイスを食べてみるが、さほどの不満はなかった。
「ふむ。トマト味アイスと思うから駄目で、冷たいトマト味と思え悪くない」
「その理屈分かんないんですけど」
「要するにだ、陽茉莉の味覚が子供ということだ」
「子供とか言うな――静奈はどう?」
陽茉莉は慎之介越しに見た静奈に矛先を向けた。
「わ、私も……悪くない。美味しい、かなって……思う」
「がーんっ。裏切られたし」
「えぁっ!? ちっ違……」
「嘘でーす」
「よ、良かった」
こうした休日も悪くないと慎之介は思い、冷たいトマト味をたいらげた。
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