第29話② うぁーい、やったぁ 

 演習が終わって即解散――とはならず、慎之介は辺りを見回した。

 ここから藩がチャーターしたバスで帰るのだが、演習要員だけでも千人を超えており、さらには一般観客も大勢いるため会場付近は大混雑。

 まずバスに移動するだけでも一苦労だ。

 それでも早めにバスまで移動できたので、上手いこと一人用の席を取れた。続々と普請課と管理課の藩士が乗り込んでくる。

「はいはい、居ない人は手を挙げて-」

 風間が定番の台詞を言って笑いを取り、点呼をしてチェックしていく。

「えーと? 東別院、東別院が居ないぞ。またあいつかよ、誰か見てない?」

 こうしたとき必ず一人は別行動をして皆を困らせるものだが、どうやら東別院がそれだったらしい。早く家に帰りたい慎之介は微妙に苛つき、車窓から外を見やって辺りを見回す。

 辺りは大勢が無秩序に、しかし帰路につくため駐車場目指し一定方向に移動している。水防団や消防団は同じ制服で固まって移動するため、よく目立つ。

「ん?」

 消防団の動きを目で追っていた慎之介は小型消防車の辺りに、消防団の制服とは違う色合いを見つけた。

「あっ、東別院がいた」

「どこです? どこです?」

 バスの中を風間が歩いて来て、慎之介は窓の外を指さした。

「あそこの消防車、右から四台目。消防車の写真撮ってる」

「ええっとぉ……本当だ! くっそ、あいつ! なんで勝手な行動してんだ? 信じられんわ。何人か行って引っ張って来い!」

 風間の指示で入り口付近にいた数人が立ちあがり、人の動きに逆らいながら苦労して東別院を目指していく。

「しかし設楽君、よく見つけましたね。目聡いですね」

「服の色合いですよ」

 そう言った慎之介だが、実際には本当に目聡い。過去に剣術稽古で師匠から何度も不意打ちされたこともあって、集中すればその注意力はかなりのものだ。

 ややあって、ようやく東別院が連れて来られた。

「ちゃんと集合しろって言っただろ、聞いてなかったのか?」

 風間が苛立ちを隠さず注意するものの、東別院は軽く肩を竦めた程度だ。

「聞いてましたよ。でも、いつ集合しろとは言ってませんでしたね」

「あのなぁ常識でものを考えろよ」

「はいはいはい、分かりました。僕が悪かったです、そういう事にしときます」

 溜め息まで吐く東別院に風間が顔を顰めた。

「いい加減にしとけよ、いくら家柄が良くたってな。俺だって、それなりに影響力はあるんだよ。そいつを教えてやろうか?」

「まあまあまあ。ね、そういうのはやめよう。帰ろう、はい。帰ろう」

 春日が宥めに入ったものの、本来なら奉行である春日が最初に東別院を叱責すべきだろう。そういった白けた空気が漂う中、ようやくバスは出発した。


 撤収が済んでからの普請課の執務室。

 疲れた顔の何人かがいる。その中に慎之介もいたが、ロッカールームで着替えを済ませており、普段通りの背広姿だ。

 周りも同じく着替え済みであったが、しかし中堅どころの者ばかりだった。

「あの東別院なんとかならんですかね」

「風間さん、気持ちは分かりますけど。どうにもならないでしょう」

 慎之介が宥めるように言うと、風間が顔を顰めた。

「そうやって諦める人がいるんで、あいつが付け上がるんです」

「確かにそうかもしれませんけどね。喧嘩したところで、どうにもならないですよ」

「あー、イライラするぜ。よっしゃぁ! これから皆でパーッとやろう。この際だ、俺が奢ったる」

 給料は同じでも、上級藩士の風間は家自体に収入がある。下手すると、家の収入が主で普請課の給与の方が少ないかもしれない。慎之介のような卒族とは財力からして違うというわけだ。

 周りで抑えた歓声があがるが、慎之介は断った。

「すいません、家で妹が待ってますんで」

「設楽君ねぇ……そういうとこが駄目だって思いますよ」

「重々承知ですけど、二人だけの家族なもんで」

「はぁ、そう言われますとね。俺の方が悪者になるじゃないですか」

 いつもに増して風間が刺々しい口調なのは、やはり東別院の件が尾を引いているからのようだ。不愉快な人間が厄介なのは、撒き散らされる不愉快さが周りを染めていくからに違いない。

 ただし慎之介は抑えてそうならぬよう心がけた。

「ではすいません、お先に失礼します」

「はい、お気を付けて」

 風間の方も大人として、ある程度は感情をコントロールして挨拶してくれる。残りの連中からの挨拶を受けつつ、慎之介は普請課の執務室をあとにした。

 静かな廊下に出て歩きながら深呼吸を一つ、それで胸の内の全て吐き出す。

 これから帰る家に、不愉快さを持ち込まぬための所作であった。


 藩庁舎は閉庁しているため、守衛室のある小玄関に向かう。そこに待機している足軽に挨拶しつつ外に出た。

 良い天気だ。

 演習の最中と同じ天気であるのに、今は清々しく感じる。

 人の姿の殆んど無い三の丸を早足で進み東御門から城外に出ると、直ぐそこにある地下鉄階段を降りていく。

 とたんに埃臭いような空気を感じ、電車の走行音が聞こえた。

 どうやらタイミング悪く電車が出発したところらしい。ただし数分もすれば次が来るので、それほど慌てない。陽茉莉に教わり使えるようになった電子マネーで改札を通過、地下鉄ホームに行き電車を待つ。

 なんとはなしに、生活のことを考えてしまう。

 ――陽茉莉の学費の為には、もう少しお金が欲しいな。

 咲月のお陰で特務四課のアドバイザーとなって、侍関係で副業的収入が得られるようになった。それは本業になる額ではないが、あると嬉しいほどの額ではある。

 ――その前に何とかしないといけない、刀をな。

 心の中でぼやいた慎之介は、腰元の刀に手をやった。

 設楽家にある刀は越後守来金道のみだが、それは幻獣との戦いで折れてしまった。だから、いま慎之介が帯びているものは竹光だ。

 正確に言えば竹光ではなく、ツナギと呼ばれるものを鞘に入れた状態だ。

 ツナギが何かと言えば、まず刀剣には戦闘用のと、保管用のがある。片方の鞘に刀身とうしんを入れると、もう片方の鞘の中身がなくりバラバラになる。そのため中身代わりに入れる木製刀身をツナギと呼ぶのだ。

 ――刀を買うしかないよな。

 悩みながら電車に乗る。


 しかし刀の値段が分からないのが事実だ。

 これまで家伝の刀があったがため、買おうという意識も機会もなかった。そのため、どれぐらいの値段をするものか把握出来ていない。職場で話題に出て多少は見聞きして百万ぐらいするといった感覚程度だった。

 ――でも陽茉莉の学費、京都留学も行きたがってそうだよな。

 その辺りを考慮して月の給与額に対し生活費やイベント的出費を差し引き、侍関係の収入の期待値を加えて算出し、それを年単位で計算していく。何度も何度も繰り返し、いろんなパターンで金額を弾いていく。

「いろいろと厳しいな」

「何、どういうこと?」

「いや今後の予算が……うん?」

 我に返ってみると、そこは自宅前で目の前には陽茉莉がいる。どうやら集中しすぎて上の空のまま自宅まで到着していたようだ。

「どしたん?」

「いや、何でも無い。ただいま」

「お帰り、なんか変なお兄」

 訝しみながら嬉しそうな陽茉莉は服の腕を捲っており、ハーフパンツにサンダル履きだ。手には洗車ブラシがあり、どうやら家の車を洗うところだったらしい。気の付く良い子だ。

「よし、小遣いをやろうか」

「うぁーい、やったぁ。とでも言うと思ったか、そういう目的じゃないし」

「だったらどういう目的だ」

「まあ酷い。妹の行いに疑いの眼差しを向けるとか」

「ほう?」

「まあ、目的はあんだけどね」

「やっぱりな」

 言葉を交わす慎之介と陽茉莉だったが、激しく水音が零れる音がしたので揃って見やった。そこにはバケツの水を引っ繰り返したあげく、ホースの水を浴び声なき悲鳴をあげる静奈の姿があった。

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