第29話① 半径一メートル以内立ち入り禁止です
『これより、平成五十年度、尾張連合総合対幻獣演習、及び、広域連携防災訓練を開催する』
藩主の挨拶の後に号令が出され、咲月は周りの皆に合わせ敬礼した。
各特務課はそれぞれの課長を先頭にして並んでおり、咲月は最前列だ。目の前には来賓貴賓が横一列に並び、その向こうには本部テントがある。
演習の総裁である徳川義直公の挨拶が終わり、続いて副総裁である成瀬筆頭家老が登壇して挨拶。来賓多数のため、そちらは司会が名前を読み上げるのみだが十数名のため長い。さらに演習の統監役が登壇して訓示を垂れ号令を発する。
『演習ぅーっ、始めっ!』
各員が持ち場に移動を開始した。
「じゃあ、私たちも移動しましょう」
そう言った咲月の隣に、すかさず志野が並ぶ。
緩いウェーブのかかった髪に強い目線、背筋を伸ばして歩く姿は、如何にも出来る雰囲気だ。しかし、中身は全くそうでもない。
「咲月様、熱中症が心配です。お飲み物を用意してあります」
「もうっ、そういうのいいから」
「でしたら日射しもあります。日陰にどうぞ」
「演習中よ。ほんと、そういうこと言わないで」
志野の感情は崇拝と保護と憧れが入り交じっており、それは推しを推すファン心理に近い。ただ、それを向けられる咲月は呆れと困りの様子ではあった。
さらに特務一課の柳生包利が近寄って来たので、咲月は今度こそ疲れた息を吐く。
「なんでしょうか」
「なんや、その反応。めちゃんこ傷つくわ。って、待て待て。ちいと待ってや」
「もう演習は始まってますので」
「分かっとるって。だもんで討伐演習で勝負せんか? どっちが上手いことやって表彰されるかでな」
「勝負? やるべきことをやった結果が表彰で、表彰が目的じゃないです」
ぴしりと言って咲月は足を早めた。いつも変なちょっかいをかけてきて、いろいろ面倒なことを言う包利のことが苦手というわけだ。
まだ何か言いかける包利との間に志野が入り、その隙に咲月は歩き去る。
「ちょぉっ……」
打ち拉がれた包利の肩を、いい笑顔をした部下がつついた。
「課長、どう考えても脈なしですね。賭けにもならんレベルです」
「そんなことあらせんわい。えーか、今に見とれ」
「はいはい。それよりファンサービス忘れとりますよ」
「分かっとる」
包利は一般観客に向け笑顔で手を振った。そちらからあがる黄色い歓声に自信を取り戻し、気合いを入れ演習に臨むことにした。
『演習想定。尾張藩内に観測された地圧値は、過去に大規模幻獣災となった東海大幻獣災の観測値と同じ上昇傾向をみせています。今後は、尾張藩全域に大きな被害をもたらす最悪の状態となる見込みです。既に幻獣目撃の情報もあり――』
ナレーションが放送されている。
咲月が待機するのは特務四課に与えられたテントだが、一般観客や報道の視線をある程度遮れる垂れ幕で囲われていた。風通りが悪く、天気が良いので蒸し暑い。
「私たちの出番は……」
「はい! こちらになります」
確認しようとした途端に志野がプログラムを差し出した。
「事前パトロール演習は五課が行いますので、一時間後の侍派遣まで暇になります。その後はまた待機して――」
「もうっ、分かってます。避難訓練と被災者搬送が終わった後だから二時間後の幻獣討伐演習でしょ。会議で何度もみているわよ」
「これは申し訳ありません」
「出番まで適宜待機、でも見られていることを意識して」
そう言ってから、咲月はパイプ椅子の一つに腰掛け待機した。
会場のあちこちに目をやるのは、慎之介の姿を探してだ。三日前に一緒にご飯を食べたとき、休みが潰れるとぼやいていて、この会場に来ているのは間違いない。
――暇そうなら話せるかな? でもシンノってバレたら困るよね
慎之介はシンノという名称で特務四課のアドバイザーとして協力して貰っている。その強さはとても凄く活躍しているので、皆に慎之介の凄さを知って貰いたい反面、自分しか慎之介の凄さを知らないのも実は嬉しい。
小さく何度か頷き、自分の複雑な心境を少しばかり楽しみながら困った。
「咲月様、どうなされました?」
不意に志野が訪ねてきた。
「えっ? どうって何が?」
「何やら笑顔になられていましたので」
「……笑ったつもりはなかったけど」
「ふっ、私は咲月様のファンです。推しの変化は見逃しません」
「なんだか反応のそれがストーカーの一歩手前よね。志野さんは半径一メートル以内立ち入り禁止です」
冗談めかして言う咲月に、やはり志野が大袈裟気味に謝った。それを特務四課の者たちが笑って和やかな様子で待機している。
演習項目は順調に進んでいた。
順調すぎるため予定時間より早まったりもするが、そこは司会が喋りを入れ、会場の者を飽きさせないようにしつつ時間稼ぎをしている。参加者は何も思わないがい、こうしたイベントで裏方は胃の痛い思いをしながらやっているに違いない。
そうした事情が少し分かる咲月は、本部テントで動き回る藩士を見ながら、心の中で応援をしていた。
「さあ、そろそろ演習訓練ね。私たちの出番ね」
咲月が呟いたときだった、ファンシーで軽快な曲が鳴り出したのだ。それは志野の私用スマホのものだが、志野の性格と家庭事情を知る咲月は直ぐ反応した。
「志野さん、電話構わないから出て。こっちは大丈夫よ」
「咲月様……」
「気にしないで、家族優先なのは当然なんだから」
「申し訳ありません」
言葉通りの顔をして頭を下げた志野はテントの端に行って通話を始める。一生懸命な様子でいろいろ聞いて話している様子だ。
ちらりと見やった後で咲月は立ち上がった。
「さあ、赤津君。いいかしら」
「お任せ下され課長。ここは俺が気合いを入れまっす!」
「落ち着いて冷静にね。赤津君は、気合いを入れすぎると失敗するから」
「たははっ、肝に銘じます。ですけどね、これは演習とか訓練って名の祭りですよ。思いっきりやりませんと。て言うか、一課にゃ負けられません!」
「だから勝ち負けは関係ないのに」
咲月が不満そうに言う間に、本部から連絡要員が走って来た。出演に備え待機するようにという指示だ。電話中の志野に目をやり、大丈夫と手で合図をして咲月は指定場所に向かう。
「赤津君、分かってると思うけど」
「もっちろんですよ。志野さんの事情は知ってますんで。そら親が入院してりゃ、そっちが最優先ってもんです」
「声が大きいわ」
「おっと、失礼。それより、あいつ。シンノは来んのです? 悔しいっすけど、あいつが来りゃ最優秀賞だって余裕ですよ」
「そこまで頼めないもの」
しかも会場に来ているので余計に無理だ。
そのシンノである慎之介を探し会場を見回すと、人の多さを改めて実感してしまった。出演者だけで千人を超えるが、一般観客も同じぐらい来ているようだ。
「うわぁ沢山……あっ」
緊張しかけた咲月だが、本部テント付近に立っている慎之介に気付いた。それでなぜだか緊張は消えてしまう。
「咲月様、遅れました。申し訳ありません」
「もう良かったの?」
「はい大丈夫です」
「そうなの。それなら、頑張りましょう」
咲月の言葉で志野だけでなく赤津や四課の皆が頷いた。
演習訓練で四課は一丸となった連携のとれた動きを示し、体制状況の他に見栄えと心意気といったもので特務四課は顕彰される事が出来たのであった。
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