第28話② 誇りとはなんぞや

「偉い人が多いですね」

 慎之介は本部テントの最後端から前方を見やった。

 テントの幅は狭く物理的距離は近くとも、地位と身分は果てしなく遠い。もちろん、そこに行きたいとは欠片も思わないのだが。

「そりゃそうですって、偉い人の勢揃いってとこですよ」

 風間は鼻をひくつかせ得意そうだ。

「設楽さんは御存知なさそうなので、教えて差し上げましょう。たとえば、あそこの左から三河代官の新城様、遠江代官の舘山様、駿河代官の駒門様――」

 かつて明治三十三年の第二次関ヶ原の合戦の後、朝廷の仲裁によって日本は東西に分かれた。東日本となった幕府支配下では、幕府や御三家の勢力増大のため、幾つもの藩が併合された。

 尾張藩も尾張のみならず、美濃、三河、遠江、駿河、伊豆、信濃の南半分といった地域を支配下とした。その広大な地を治めるため、各所に藩出先機関として、地方代官所が設けられている。

「――あとは美濃の虎渓山代官、南信濃の阿智代官、ってもんです」

「なるほど」

 言われても覚えきれぬが、慎之介は肯いておいた。

「気のない返事ですねぇ」

「これから先、会うこともないでしょうから」

「そういうとこが駄目ですねぇ。まあ、代官所とは仲良くしましょう」

「頑張って仲良くはしてますよ」

 慎之介たち藩庁舎と代官所の関係は微妙だ。

 分かり易く言えば、東日本という学校があり、尾張藩という教室に藩主という教師がおり、藩庁舎という学級委員長がいて、代官所という生徒を従えている感じだ。

 しかも各代官所は独立独歩の気風があって扱いに苦労する。

 たとえば三河地方代官所であれば、質実剛健で義理堅い一方で、血気盛んで礼儀に厳しい。指示を出しても、納得せねばテコでも動かぬ頑固さがあるぐらいだ。

「いま気付きましたけど。ここでトラブルがあったら、今後の仕事に差し障りがあったりしませんかね」

 慎之介が不安を口にすると風間も頷いた。

「なるほど、確かに設楽さんの仰る通りですよ」

「では注意しておきますか」

「お待ちを。ここの皆には私が言っときます。なので、設楽さんは奴を頼みますわ」

 風間が指さしたのは東別院の座っていた席だ。今は空になっており、どうやら会場内を出歩いているらしい。


 演習訓練自体は、ある意味で運動会や体育祭のようなものだ。

 そのため本部テントに人が居る必要はあるが、絶対そこに居る必要があるわけではない。極端に言えば、開会式と閉会式に揃って座っていれば問題ない。とは言え一般人の目もあるため、気は抜けないのだが。

 慎之介は東別院を探し、会場内を歩いていた。

「ほんっと、面倒ごとを人に任せるのが上手いんだよな……」

 ぼやく慎之介だが、結局それは人が良いから任されることを自覚してない。

 今も律儀に東別院を探し、周りに目をやり歩いて行く。消防団や水防団の人と会釈をしながらすれ違う。関係者が大勢動いている中から、一人を見つけ出すというのは相当に困難だ。

 演目の放送を聞いて慎之介は呻いた。

「いかん、そろそろ咲月の演習が始まる。後で絶対に感想を聞かれるからな、見ておかないと……」

 言い訳を呟いて引き換えそうとしたときだった、東別院の姿を見つけたのは。

 そして思わず天を仰ぐ。

 世の中というものは起きて欲しくないことほど起きるもので、東別院はあろうことか、あの血気盛んな三河代官所の者と向き合っていたのだ。

「――でしょう? ですから、我々普請課はあなた方とは違うのです」

「何じゃと!?」

 トラブルは始まったばかりらしいが、既に周りを行く者の注意をひきだしていた。

「我々は藩全体を見回した仕事をしており、あなた方のように一地方だけ気にしていれば良いわけじゃありません」

「中央の者だもんで偉そうしとるな」

「偉そうに、ではなく本当に偉いんです」

 こんな皆が集まっている場所で、各方面を敵に回しそうな発言だ。

 慎之介は空を仰ぎたい気分をこらえ駆け付けた。

「申し訳ありません、すみません」

 とにかく頭を下げ謝るしかない。

「うちの若い者が失礼しまして、本当に申し訳ありません」

「普請課の者がか?」

「はい、普請課の設楽と言います」

「普請課の設楽? その名前、覚えがある。いつも世話になっとるな。ほだけどな、こいつ言うとるんは、おんしがとうの本音がか?」

「いや、とんでもない。全く違います。ここはもう、申し訳ないとしか言えません。きちんと叱って指導しますので、どうかご容赦を。本当にすみません」

「むうっ……」

「後ほど改めて、上司より謝罪いたします」

「まあ、ええわ。そげな言われたら、なんも言えんでな。おんしにゃ世話になっとうし、顔立てたるわ。だもんで、ようけ叱ったてや」

「それはもう」

 きちんと頭を下げたことで、その気持ちを汲んで三河の者も引いてくれた。日頃の付き合いと、相手の人情ある気質のおかげだろう。


 何事もなかったように周り人が動きだすなか、慎之介は東別院に目を向けた。だが注意をする前に東別院が口を開いた。

「先に言いますけど僕は悪くありませんよ」

「…………」

 慎之介は他人に怒ったり怒鳴ったりする性格ではないが、この時ばかりはそうしたい気分だった。しかし演習会場という場所柄、大人として堪えておく。

「そう思っているようだが、どうして相手が怒ったのかをよく考えた方がいい。今回は許して貰えたが、そうならない時の方が多いよ」

「設楽さんこそ、もっと誇りを持ったらどうです?」

「は?」

「あんなに頭を下げて、尾張藩士の普請課として情けないですよ」

 流石に頭にきて言い返そうとしたが、しかし普段そういった言葉を使わないため、頭の中で言葉を探してしまう。

 横から声が投げかけられた。

「その誇りとはなんぞや」

 相手は初老の男で見慣れない顔だ。

 しかし、その胸にある名札を見て慎之介は心の中で怯む。美濃地方代官の虎渓山だった。同じく気付いた東別院が笑顔で背筋を伸ばした。

「僕は東別院家の者になります、お目にかかれて光栄です。どうぞお見知りおきを」

 ここぞとばかりにアピールしている。もしかすると会場を彷徨いていたのも、こうしてお偉方と遭遇することを期待してだったかもしれない。

 しかし虎渓山は空を見やり一瞥さえしない。

「自分の血統をひけらかし、相手を見下すことは。自分自身に誇りがないからこそだと思うがね」

「…………」

 東別院の頬が紅潮し目付きに険が漂った。先程の件を見られていたと気付いたらしく、言い訳染みたことを呟き足早に去って行く。

 それを見送った美濃代官は軽く笑い、視線を戻し慎之介に目を向けてきた。

「ところで、普請課の所属だそうだな」

「あっ、はい。そうです、普請課の設楽と申します」

「春日とは知り合いだ、今も偶に飲みに行く」

 美濃代官は軽く笑ったが、それは存外と親しみの持てる笑い方だった。

「君のことは春日も褒めているし、頼りにしていると言っていた。どうやら、それは事実だったな」

「……はぁ。あー、いえ」

「見ている者は見ているということだ。頑張りなさい」

 そう言って美濃代官は腕を軽く叩いて去って行く。どうやら、その先にある喫煙スペースが目的らしい。

「…………」

 そろそろ侍の演習が始まる時間のため、嬉しい気分で本部テントに戻った。しかし席からは演習会場が見えず、さらに東別院と顔を合わせたくない気分だったのでテント付近で立って眺めることにした。

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