第20話② 分かれ、分かりなさい、分かって下さい

 帰路についた慎之介は、地下鉄の改札を顔認証で抜けた。混み合っているため刀を身体に沿わせて縦にして、所謂ところの落とし差し状態にする。稀にだが鞘が当たったとイチャモンをつける者がいるための対応だ。

 人の少ない方へと移動していき、慎之介は気付いた。

 ――陽茉莉がいるじゃないか。

 陽茉莉が通う明倫堂学院は尾張藩庁のある三の丸の近くに位置する。帰る場所が同じなのだから、特に連絡を取らずとも顔を合わせること時々あった。

 今日もまさにそれ。

 人の認識力は凄いもので、後ろ姿の一部だけでも相手が分かったりする。だから、ちらりと見えたセミロングの黒髪だけで陽茉莉がいる事に気付いたのだ。

 声をかけようかと思ったが、止めておく。

 陽茉莉はホームの白線近くに居る。わざわざ近づき声をかければ衆目を集め、そして周りの耳を気にしながら会話をせねばならない。ちょっと面倒だ。

 ついでに言えば、馬の骨がいないかの確認もしたかった。

 ぼんやり様子を見ていると、不意に陽茉莉が辺りを見回しだした。何かを探している様子だ。目が合った。この妹は時々妙に勘が鋭い。

「見ぃつけたっ」

 白線の側を離れやって来るが、まるで獲物を探し出す猟犬の如き鋭さだ。

 にこにこ嬉しそうな陽茉莉だが、慎之介は頭に手をやり困り顔だ。周囲は兄妹などと知るはずもなく、関係を邪推するような視線すらある。

 声を大にして兄妹だと言いたいが、むしろ言い訳っぽくなるだけだ。

「陽茉莉じゃないか、学校の帰りか」

 できるだけ知り合いという素振りで返事をする。

「もちろん、そうだよ。見れば分かると思うけど……」

「ちゃんと勉強しているようで、兄は嬉しいぞ。兄として誇らしい」

「ええっと? 普通に学校に通ってるだけなのに。ほんと、どうしたの?」

 家族だとアピールをする慎之介だが、そうした事情は陽茉莉には分からないらしい。心配するような訝しむような、何とも言えない顔をしている。

 ――だが、これでひと安心。

 そう思っていると、如何にも公家の血筋と分かる撫子色の髪が人垣の向こうに見えた。もちろん静奈だ。また設楽家に特設した自分の蔵書庫に行くところだったのだろう。

「慎之介お兄さん、会えて嬉しい……じゃなくて嬉しく思いなさい……思って」

 上目遣いで恥じらう静奈の姿に、周りからの邪推度が上昇した気がした。


 地下鉄では一緒に乗り、乗り換えたバスでも最後部席に三人並んで座った。だから自宅近くの停留所で降車したときに、慎之介は微妙に疲れた気分だ。

 だが幸いにも静奈をしっかり観察できた。

 ――なるほど、これが御家老の言う状態なのか。

 静奈は機嫌よく笑みを見せ、若干だが上気している。確かに成瀬が言った通りの様子だ。つまり浮き立つように華やいだ様子である。

 恋だの愛だので浮かれる状態を見るのは初めてで、それを間近で見られて得をした気分だ。しかし、あんまりにも見つめ過ぎたらしい。

「な、なに? ……なん、ですか?」

 気づいた静奈は鞄で顔を半分隠してしまった。

「いや、なんでもないのだが」

「ちょっと、お兄ぃ。静奈を見すぎ、迷惑でしょ」

「すまん、ちょっとその何というか――」

 どう言い訳しようか迷う。まさか、観察していたなどと言えるはずもない。

「そのだな。つまり……綺麗な髪だなと思ってだけだ」

「はわっ!」

 静奈が変な声をあげ鞄で顔を完全に隠してしまった。

「あのさ、そういうのはさ。女性に対して失礼だって思いますけど」

「そうだったか。以後気を付けよう、もう見ないようにしよう」

「いや、それはね……ああ、もうっ! お兄のバカ、バカバカバカ! 鈍感!」

 良い言い訳と思ったが、ダメだったらしい。

 陽茉莉に怒られ反省しつつも、ちょっとだけ理不尽だと思った。

 バス停の幌は老朽化で撤去され、今は骨組みだけの状態だ。空は青さを残しているが僅かに赤みを帯びだし、そこに浮かぶ雲の陰影が少し強く感ぜられる。

 降車したバスが重いエンジン音を響かせ走り去ると、夕食の支度を感じさせる空気が漂う中を歩きだす。

「え、と……今日はお仕事どうでしたか、忙しかった?」

 どこか楽しそうな声で静奈が聞いてくる。

「いや、忙しかったのは途中まで。案件が片付いたから帰れた」

「そ、そうなのね。なら忙しく……ない? 忙しいなら……何とかしてあげるわ。ちょっと父、脅すだけだから」

 その父から仰せつかった仕事があるが、しかしそれは言えない。


「普通程度になった感じかな」

 歩きながら会話をするのだが、真ん中に居るのは静奈。だから、そちらを見やれば向こう側に陽茉莉の顔が見える。できれば会話を代わって欲しい。しかし陽茉莉は口をへの字に、何か考えるような顔をしているばかりだ。

 そして静奈はいつもより喋りかけてくる。

「じゃ、じゃあ。今度の日曜日空いてる? 空いてるなら、取材を手伝って。手伝いなさい。良いわよね……良いでしょ、良いって言いなさい。言って」

 慎之介と陽茉莉は、その能力を知った静奈に脅されている立場だ。可愛く脅されているだけだが、逆らえるはずもない。

「日曜日か。どうせゴロゴロしているだけだから、構わないが。どうせなら陽茉莉と二人で行った方が楽しいのではないか?」

「そ、そうだけど……そうじゃない……ううっ、手伝いだから。手伝いなの。だっ、だから! 分かれ、分かりなさい、分かって下さい」

 珍しく静奈は早口だ。

 それはどんな手伝いなのか分からぬ慎之介だが、たぶん力仕事があるのだろうと理解した。話を聞いていた陽茉莉が仕方なさそうに小さく息を吐いた。

「そうね。お兄が行った方が良いよ、うん。でも、あたしも行くから。友達なんだから構わないよね」

「うぇぁっ! と、友達。友達……うん、友達。もちろん、うふふっ」

「お兄は荷物持ちにするから。何か買ったりしても安心よね」

「荷物持ち、お付きの者。そ、そうね。そういうのもいい……かも?」

 どうやら休みの日は引きずり回され、力仕事をさせられそうな様子だ。しかし成瀬から依頼された静奈の動向調査としては、都合の良い話かもしれない。

 そんな話をしていると、あっという間に家に着いた。

 静奈は機嫌良く本を読みに行き、のんびり寛ぐ。そして慎之介が自宅近くまで車で送り届ける。だが、今の時点では御家老が心配する男の影というものは微塵も確認できていない。調査は長引きそうだ。

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