第8話② うあー、分かりたくないなぁ
落ち着いた静奈は頭を抱え上目遣いで唸っている。今になって、先程の態度を恥ずかしく思っているらしい。公家の血を引くとは思えない姿である。だが気を取り直すと精一杯に取り繕って頭を下げた。
「え、と……成瀬静奈よ……そのっ、よろしく」
「成瀬? 失礼だが、御家老の成瀬様と何か関係が?」
「ういっ? ……そ、そうよ。父は家老なのよ」
静奈は両手を腰にやり、ちょっと威張っている。
この少女がとんでもない身分と知り、慎之介と咲月は顔を見合わせた。この静奈に万が一の事があれば、それこそ大騒動だったに違いない――そこで慎之介は目を見開いた。
「それだ!」
「ひゃぁ!?」
慎之介の声に静奈は小さく悲鳴をあげ、先程までの威張った姿はどこへやら、首を竦めながらおどおどしている。意外に小心者らしい。
「そうだ御家老だ、御家老なんだよ!」
「お兄? どしたの?」
「聞いてくれるか、異動の話があったんだ」
普請課から用地課への配属の危機、そこで懸念される用地交渉という難題。激務で面倒な仕事の懸念を慎之介は切々と語る。
理解した咲月は呆れ顔だが、しかし陽茉莉の方はピンッと来ないらしい。
「それで静奈にどうしろって?」
「だから御家老なら、この異動をなんとか出来るだろう」
「えっと? つまり偉い人にお願いしちゃおうっていう発想? それっていいの?」
「陽茉莉よ、お前も社会に出れば分かる。誰だって面倒事はやりたくないんだ」
「うあー、分かりたくないなぁ」
「いいのか? 忙しくなると帰るのが遅くなるが」
「やだ。早く帰って」
即座に言った陽茉莉の言葉を遮ったのは静奈だ。
「わ、分かる。その気持ち……分かる。分かるわ、とっても」
何度も頷いて心の底から共感している。ただし陽茉莉の言葉に対してではなく、慎之介に対してらしい。
「面倒な事って、凄く嫌」
「用地交渉というのは、話を聞く気のない相手と話して交渉せねばならない」
「こ、交渉。何て恐ろしい……」
「嫌味を言われたり怒鳴られたりな。反論も許されないまま、延々と理不尽な主張を聞かされたりもあるんだ」
「ひいいぃっ」
静奈は恐ろしそうに呟き、怯えた顔をしている。一方で陽茉莉と咲月は、何のことやらと呆れ返っているのだが。
「だから、御家老に異動の話を何とかして貰いたい」
「と、友達のためだから何とかする。父に言えばなんとかなる……ううん、させる……脅せばどうとでもなる、から」
「ありがたい」
「でも、対人関係の仕事が嫌という言い方はダメ……今の仕事を、もっと習熟し頑張りたい、とか? そんな感じに言っておく……任せて」
静奈は自信ありげに笑って見せた。
藩行政が私心でねじ曲げられそうな運びを見て、咲月は眉間を揉んでいる。
「そういうコンプライアンス的に駄目な話、私の前でしないでよ」
「ふん、だ……いいの……そんなの知らない、わ」
咲月の言葉など聞く耳持たぬ様子で、静奈は口元に手をやりぶつぶつ呟いている。かなり真剣な様子だが、少しして肯いた。
「こ、今回の筋書き、こうする――」
助けを求める妹の声に応えた慎之介が我が身を顧みず危険な地に駆け付け、妹と共に静奈を幻獣から間一髪救出。そして五斗蒔咲月が到着し幻獣を倒した。
「細かい部分、こうする。で、でも語る時は全部は語らない……それが嘘のコツ」
呆れ顔の皆を他所に、静奈はにやりと悪い顔をした。上品で可憐な見た目に、それはまあまあ似合っていた。
支柱の傾いた信号機が手の届きそうな位置にある。足元のアスファルトはめくれ上がり補修は大変そうだ。
災害申請を幕府に提出し、予算をたっぷり貰って工事に取りかかるが、申請や工事発注や諸々で普請課は大わらわになる。しばらく残業が増えそうだと慎之介はうんざりした。
「あ、連絡」
咲月が不意にスマホを取り出した。どうやら着信があったようだ。ちゃんとマナーモードにしていたので震動だけらしい。
「御城から武装徒歩組が出陣したそうよ、これで安心ね」
「侍たちは?」
「既に出陣して周囲に展開してる。もちろん、私の部下たちも。ほら、この通り」
スマホ画面に表示された地図には、侍たちの位置がリアルタイムで表示されていた。それなりに広範囲に散っている。一般人からの救助要請も表示されるようだが、慎之介たちが居る付近にそれは見当たらない。
「これから安全圏まで移動するから。いいわね?」
「幻獣が居たって、お兄がいるから大丈夫」
「あまり油断しては駄目だから。どこに幻獣が潜んでいるか――」
咲月の会話の途中、慎之介は地面を蹴って跳び、越後守来金道を振った。小路から恐ろしい勢いで飛びだしてきたイヌカミを一撃で斬り捨てる。アスファルト道路の上に音をたてイヌカミが落ちて転がり、長く伸びたまま動かなくなる。
「はうぁ……」
丁度それが目の前まで来た静奈は、目を大きく見開き硬直している。陽茉莉の方は幾分かましだが顔が引きつっている。
慎之介は血振りした来金道を肩に預けるようにした。
「まだまだ居るようだな」
「うぁー、やっぱ早いとこ移動した方が良いね」
「分かったら、早いところ安全な場所まで行こう。咲月は先頭を頼むよ、僕は後ろから見ながら守る」
慎之介の指示で一行は歩きだした。
いつ襲ってくるか分からぬ幻獣を警戒しながら移動していく。陽茉莉と静奈は手を繋いで身を寄せ合い、あちこちに視線を巡らせている。
そうやって進んでいくと、ビルとビルの間に名古屋城の姿が現れた。
交差点を曲がった通りには放置されたり破損した車両があちこちにあり、看板が落ち電柱が折れ、破壊されたゴミ箱の中身が散乱している。だが、その先にバリケードがあって動き回る人の姿が確認出来た。
「おっ、戦車がいるな」
「テッソ程度なら、ある程度は対応できるけど。あの数ならイヌカミも安心かな」
さらに避難し保護されたと思しき、身を寄せ合う人の姿も確認できる。
「ここから先は戦うとまずいな。次から幻獣が出たら咲月に任せるが、いいか?」
「任せて。そうね、今度は私が皆を守ってあげるんだから。もちろん慎之介も」
「頼りにしている」
軽いやり取りをしつつ進んでいくと、向こうで気付いた徒士組が手を振って合図を送ってくる。バタバタとした動きでバリケードが動かされ、そこから武装車両が走りだしてきた。迎えの車だ。
これでひと安心だと慎之介は安堵して、抜き身の越後守来金道を鞘に収めた。
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