第9話① 実に喜ばしいな

 三の丸にある藩庁舎は、どこかざわついていた。

 数日前に幻獣が出現した場所は藩庁舎からほど近い名古屋城の北東部となる。いかに全て退治され、いかに城内であっても、間近で発生した幻獣災害に動揺はあった。

 そんなどこか不安が漂う空気の中で、慎之介は万歳した。

「よしっ、これで工事が間に合う!」

 工事現場を担当する現場代理人から、あの問題だったコンクリート塊が完全に壊れているとの報告があげられたのだ。そして残骸処分だけであれば工期は問題ないとも言っていた。

 嬉しそうにしていると、隣の風間がこれ見よがしに息を吐いた。しかも呆れ顔だ。

「こらこら、人的被害が出てんですよ。それなのに喜ぶのは不謹慎でしょ」

「うっ、それはまあそうですね」

「喜ぶならこっそり静かにってもんです。そういう配慮って大事ですね」

 風間は説教するように言った。年齢的には少し上で、しかも身分も上。だから慎之介に対する態度は、いつもそんな感じだ。

「それに感謝するなら特務課にですよ。あの辺りの担当は特務四課。若くして抜擢された五斗蒔家のご令嬢様が大活躍ですよ。幻獣を何体も撃破して、逃げ遅れた女子高生を救助してーの、って何をニヤニヤしてんです?」

「……いえ、別に」

 慎之介の活躍は関係者でも、事実を知るのは咲月だけ。無論のこと一般では誰にも知られていない事項になる。それでも自分がやった事を認められ達成感や貢献できたという気持ち、そして人の役に立てた嬉しさもある。

 ニヤついたつもりはなかったが、ニヤついていたようだ。


 反省していると、離席していた普請奉行の春日が汗をふきつつやって来た。

「はいはいはい。皆さん仕事です、仕事をしましょう」

 上司の言葉に風間も雑談をきりあげ仕事に戻る。慎之介もそうしたが、春日はそのまま慎之介の側まで来た。眉間に皺を寄せ困り顔だ。

「設楽君、設楽君。ちょっといい?」

「はい、大丈夫です」

「成瀬御家老が、君を名指しでお呼びになられてる。何か心当たりあったりする?」

「いや、どうですかね」

 慎之介は曖昧な返事をしたが、ようやく来たかと心の中で万歳した。きっと静奈から働き掛けて貰った件での呼び出しに違いないからだ。ただし喜ぶのは、こっそり静かにと配慮する。

 だが事情を知らない春日は不安そうだ。

「何かあったりしないよね? もしマズい件なら、後でもいいから私に相談してね。ちょっとぐらいは力になれるから」

「ありがとうございます。でも、大丈夫と思います」

「それなら良かった。ほら、行きなさい。御家老をお待たせしてはいけないよ」

 春日に言われ慎之介は勢いよく立ち上がる。同僚たちの興味津々の視線を背に、弾みそうになる足取りを堪え成瀬家老の元へ向かった。


 慎之介は尾張藩に仕えて長いが、家老のような重職と直接会うのは初めてだ。

 確かにエレベーターで一緒になったり、廊下で擦れ違ったり、何かの会議や集会で見かける事はある。しかし、対面して会話をした事はない。

 もちろん家老の執務室も場所は知っているだけで、入るのは初めてとなる。

 急に緊張してきた。

 入り口前で軽く身だしなみを整え、ノックして入室。噂で聞いていた通り、控えの間があった。そこで待機しているのは秘書役藩士で、家柄が良く能力を見込まれた腹心らしい。

「失礼します。普請課、設楽です。御家老様がお呼びと聞きまして」

「承知してますよ、そのままどうぞ」

 秘書藩士は気楽な態度で部屋の奥にあるドアを示す。慎之介を軽く見ているのではなく、むしろフランクな雰囲気である。おかげで少し気が楽になった。

 ドアの先には短い奥廊下があった。足下は赤い絨毯になっていて、まるでホテルの廊下みたいな雰囲気だ。突き当たりにあるドアをノックして入室した。

「失礼します」

 慎之介は両足を揃えて一礼、顔をあげながら室内を観察した。

 まさに書斎という印象だ。奥には文献や公文書の詰まった書架があり、その前に重厚な執務机。部屋中央に応接用セット。右手の壁全面には尾張藩全域の航空写真地図が貼られ、左手は大窓となって薄いカーテン越しに城下が一望できる。


「よく来てくれた」

 成瀬家老が執務机からやって来た。態度も足取りも堂々として、威厳と上品さがあった。応接用ソファへと手で促される。

「座るといい」

「はっ、失礼します」

 言われるまま座るがソファが柔らかく、その沈み加減に驚かされた。それでも両手を膝の上に置き、胸を張り背筋を伸ばす。ちょっと腰が痛くなる体勢だ。

「楽にしてくれて構わんよ。呼び立てたのは他でもない、先日の幻獣災害で娘を救ってくれたそうだな。その感謝を告げたかったからだ」

「はっ、救ったのは僕ではなく、特務四課の五斗蒔隊長です」

 事前に静奈が考えたカバーストーリーを外れぬよう注意して答える。成瀬は微苦笑しつつ頷いた。

「もちろん聞いておる。だが静奈を間一髪で救ったのは、お主という話ではないか。しかも妹を助ける為、危険な場所に駆け付けたと聞いた。勇敢だな」

「はっ。お誉めいただき、ありがとうございます」

「さらに、お主の妹さんが静奈と友人になったそうだが――」

 成瀬は口を横一文字に引き結び眉を顰めてみせたが、それは単に表情を押さえようとしての事だったらしい。堪えきれなくなった様子で破顔した。

「実に喜ばしいなぁ!」

 好々爺とまでは言わないが、膝まで叩いて嬉しそうだ。

「あの子は昔っから友達を作るのが下手でな。一人で本ばかり読んでおったので、親としては心配だったわけだ。友達が出来たと聞いた儂の気持ちが分かるか? 秘蔵のワインを一本開けて飲んでしまったぐらいだ」

 それから成瀬は散々に娘自慢をした。慎之介の持っている静奈のイメージとは少々違う内容ではあったが、それでも静奈が大事に想われていることは理解できる。

「――それと、お主の用地課配属の話。取りやめさせておいたぞ」

 成瀬は最後になって、取って付けたように言った。お礼に関する言葉が二割、娘自慢が七割、異動の話が一割というわけだ。どうやら家老の成瀬は親バカらしいと慎之介は理解した。

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