第9話② 夢みたい!

 仕事の問題は片付き異動の話も消えた。

 この世の春のような気分で仕事に戻って、風間から質問攻めにあったが気にもならない。適当に返事をして定時になったところで退庁した。

 今日は用事がある。

 地下鉄には乗らず徒歩で北東方向の清水町に向かう。そこは幻獣災害のあった地区だ。まだ焼け焦げた車両の撤去や、落下した看板や壊れた物の片付けが行われている最中。あちこち立入禁止のテープが張り巡らされている。

 尾張藩から安全宣言が出されているが道行く人は少ない。

「もぉー遅ぉい。とりゃぁ」

 学院の制服姿の陽茉莉は走ってくるとチョップを放ってきた。妹の可愛い攻撃を甘んじて受け止めた兄は反撃で額を突いてやる。

「仕事の終わり時間があるから仕方ないだろ」

「ぐぬぬ……でもまぁ、こっちも来たとこだし」

「それなら良かった。あー、ところで彼女は?」

「静奈なら。ほら、ちょうど出て来た」

 成瀬静奈が重そうなスーツケースを手に本屋から出てきた。撫子色をした髪を揺らし、お見送りに出た店員に向け怜悧な顔で会釈している。どう見てもお嬢様だ。

 だが慎之介を見つけると表情を変え、スーツケースを置いて嬉しそうに来た。

「荷物、運んで。運びなさい……運べ、運んでください」

 命令したり頼んだり忙しいが、どことなく距離感を推し量っているような感じがある。慎之介がどこまで許容してくれるか確認しているのかもしれない。


 慎之介が笑ってスーツケースを持ち上げると静奈は顔を赤くした。

「あ、ありがと……」

 三人並んで歩くが、慎之介としては妹が一人増えたぐらいの気分だ。人通りの少ない閑散とした道に陽茉莉の機嫌良い嬉しそうな声が広がる。

「でも良かったねー、それが無事で」

 幻獣災害の避難時に、本屋に置いてきたスーツケースの事だ。今日はそれの引き取りだった。預かってくれた店に静奈は感謝しているが、災害次に店員は静奈を置いて逃げている。慎之介は自分が気付いた事は黙っておいた。

 少し歩いてコンビニに向かう。

 慎之介が呼ばれた理由は荷物運びを頼まれたからだが、陽茉莉にねだられてコンビニスイーツを食べさせてやる事にも――何故か――なっていた。

 だが入り口前で静奈が立ち止まる。

「ま、待って。入る前にメニュー……確認しておきたい」

「うん? メニューとは?」

「何でもあるって聞いてる……だから入って悩むより、ここで決めてから注文する……お勧めがあれば教えて……お、教えなさい」

 お嬢様の静奈はコンビニがどんな場所か、それすら把握していないようだ。ひょっとすると料亭やレストランのように思っているかもしれない。

「あ、あと……奢られるよりは、奢る……だって助けて貰ったから……でも、面子を潰す気はないわ。だから……これを使って奢りなさい、奢って」

 静奈は財布から紙幣を束で取り出した。全部一万円札だ。それを慎之介に差し出したあげく、足りないかどうか心配そうに聞いてくる。

 流石は華族で、相当な箱入り娘だ。

 しかし成瀬家老の親バカぶりを思い出せば、無理なからぬものかもしれない。


 慎之介はコンビニの概念や利用方法という、到底説明する機会のない事を説明した後に、自分の財布を取り出しコンビニスイーツを奢った。

 陽茉莉は電子マネーの存在を知りそうにない二人に呆れ気味だが、小豆コーラ胡瓜紫蘇の濃厚ミルク味という大福を所望した。明らかにチャレンジャーな味だ。

「あははっ、これ面白い味だぁ!」

 味覚が心配になるような発言をしている。

 同じ物を手に静奈は固まっているが、味に対する心配が原因ではないらしい。

「つ、ついに買い食い……なのね」

「こういうのは、ガブッといくの。もちもち食感も美味しいから」

「そうなの……ガブッ」

 陽茉莉の指導のまま言って、静奈は小さく口を開けカプッとやった。少しして目を白黒させ変な顔をしている。どうやら味覚は正常、初コンビニは大惨事らしい。

 慎之介は念の為に買っておいたお茶を無言で差し出した。

「お兄も食べる? 一口ならいいよ」

「食べるわけないだろ。大福なら粒餡、百歩譲って漉し餡だ」

「そう? これ面白い味なのになぁ」

 呆れた事を言う陽茉莉の横で慎之介はペットボトルのお茶を口にする。しばらくして、口の中が甘くなりすぎた陽茉莉のため追加でお茶を買いに行った。何だかんだと妹には甘いのだ。

「それより今日、御家老と会ったよ」

「ふうん、そうなの。ちゃ、ちゃんとしてくれてた?」

「君を助けた事を感謝されて――」

「ま、待って……待ちなさい。待って、下さい」

「ん?」

 戸惑う慎之介の前で静奈は下を向きながら上目遣いで見つめてくる。

「静奈、そう呼びなさい……よ、呼んで。呼んで下さい」

「そういうわけにはな。とにかく助けた事を感謝されて、それから異動の話を取りやめさせたと言われたよ」

 成瀬家老の話の大半は、親バカぶりを披露する娘自慢だった事は黙っておく。しかし、自分が役に立てたと嬉しそうにする静奈を見れば似た者親子だと思えた。


「そ、そう……よか、った……ふふっ」

「感謝するよ」

「別に、感謝しなくたっていいの……と、友達なんだから」

 そっぽを向いた静奈は、大福の残りを口にした。どうやら健気にも、友達のお勧めを頑張って食べるつもりらしい。

「それにほら……本だって運んで貰ってる……で、でも感謝してるなら。これからも私の言う事を聞いて、言う事を聞きなさい……聞いて下さい」

「ああ、そうしよう」

 この素直なようで素直でない少女を、慎之介は純粋に気に入っていた。妹の友達として、仲良くやって欲しいと思っている。

「このスーツケース、どうりで重いはずだ。本が入ってるのか。しかし、どうしてまた本なんだ。もしかして売るつもりだったとか?」

「売る!? ち、違う!」

 静奈の説明によると、家に置いておけなくなった本を運び出したらしい。

「こんな本はダメだって言うの。だ、だからお夕飯まで家出して。貸金庫に預けるか、アパートを借りて置こうか迷って。でも本屋で……立ち読みして……」

 本のためにそこまでする心情と財力が慎之介には衝撃的ですらあった。陽茉莉も同じらしく口を開けて呆然としている。

「では、これはどこに運べば?」

「ど、どうしよう……そうだ、よい考え……設楽家で預かって」

「はい?」

「め、命令。命令なんだから。これ預かって、あと本を読める場所も用意して……用意しなさい。そしたら……あ、遊びに。遊びに行く、から」

 言って静奈は上目遣いで、期待と不安の入り交じった顔をした。

「……それは」

 元は両親を含めた家族四人で生活していた家に、今は陽茉莉と二人で暮らしている。だから空いた部屋はある。

 少し思案して慎之介は肯いた。

「用意しよう」

「お兄、それ本気!?」

「別に問題ないだろう」

 打算的に考えれば成瀬家老への伝手は残しておきたかった。

 あの親バカっぶりを見れば、何かあれば静奈の口添えは期待できるだろう。空いている部屋を好きに使って貰って十分にお釣りが出る。

 もちろん静奈という少女の人となりが確認出来ているからこそだが。

「そか、お兄が良いって言うならいいけど」

「じゃあ、じゃあ……遊びに行っていい、の?」

「いいよー、いつでも来てよ」

「夢みたい!」

 静奈は胸の前で手を組んで、お嬢様っぽい仕草でくるりと回転して見せた。そんな喜び具合に、慎之介と陽茉莉は軽く微笑んだ。

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