第5話② 良かった、嬉しい
それでも慎之介は首を横に振った。
「無理だろ」
「どうして? 私が言うのもなんだけど、良い話だと思うよ」
「確かにそうだ、だからこそ無理だ」
上士ばかりの侍に、下士が特別扱いで紛れ込めばどうなるか。間違いなく陰口や非難の対象となる。これは制度の問題ではなく感情の問題だ。どうにもならない。
そうなると慎之介は周りを黙らせ存在を認めさせるため、常に気を張り能力精神ともに強さを示し続けねばならない。それこそプライベートを犠牲にしてもだ。
お嬢様育ちの咲月には、それが理解できないに違いない。
「損害賠償の身代わりになってあげて、陽茉莉ちゃんの事も内緒にしてあげたのに。そんなの酷いんだから」
咲月は哀しそうな顔で肩を落とした。
「うっ……それを言われてもな」
「いまのは嘘」
途端に悪戯が成功したような顔をされた。
「でもね、役職加算もあるし危険手当もつくよ?」
悪魔の囁きだ。
設楽家は裕福ではないが、そこまで貧乏ではない。しかし陽茉莉は結構良い学校に行かせているので学費は高めだ。しかも、どうやら陽茉莉は京の都の大学に興味があるらしい。隠しているようだが、そうしたパンフレットを取り寄せているのでバレバレだ。
妹の夢を叶えるため節約して貯金しているが、あと数万円でも手取りが増えれば気は楽だ。だがしかし、お金と家族の時間のどちらを取るかと言えば――。
「それでも無理だな。それに陽茉莉の力も知られたくないからな」
隠しきれるかもしれないが、万一露見した場合を考えると危険は冒せない。どうあろうと慎之介にとって陽茉莉が大事だ。
「そっか。うん……分かりました。そういう事なら、諦めてあげる」
「すまないな」
「気にしないで。でも、その代わりにアドバイザーになってくれる?」
「だから断ると言ったじゃないか」
「ん、違うの」
咲月は楽しそうな顔で微笑んでいる。
「私は慎之介が必要で、慎之介は目立ちたくない。なら、内緒にすればいいの」
「内緒だって?」
「過去にも事例はあるよ。昭和の頃だけど、非公式に侍を雇用して外部にも内部にも正体は明らかにしなかったの。他藩の侍を招聘して指導を依頼したみたい」
咲月は真面目だ。
だから課長という立場になって、色々なことを勉強したのだろう。ちょっとだけ得意そうに知識を披露してくれる様子は昔と変わらない。
「という実例があるの。だから同じようにすればいいよ」
「ふむ、頻度と謝金は?」
「月に三回ぐらいだけど、場合によるかな。時間当たりの謝金はこれぐらい」
ほっそりとした人差し指が立てられ、軽く左右に振られる。
慎之介は軽く想像するが、一回の協力が一時間で終わるという事もなく、それが三回ほどあったとした必要な貯金をしても家計はとっても潤う。
正体がばれずにやれるなら、素晴らしい話だ。
「引き受けよう」
「ありがと、慎之介。良かった、嬉しい」
笑顔を見せる咲月が胸の前で手を軽く打ち合わせた。
「あと、教えておくね。陽茉莉ちゃんみたいな回復能力持ちって、幻獣に狙われ易いから。だから慎之介も侍として動ける方が便利なはずよ」
「狙われ易い……!? どうして先にそれを言わない。侍でも何でもなってやる」
「だから言わなかったのよ」
浅紫色の瞳が真正面から見つめてくる。
「言えば慎之介は、自分の意思とか関係なしで決めるでしょ」
確かにその通りだ。どうやら咲月なりの誠意という事だろう。
「敵わないな」
「そうです、慎之介は慎之介だから私には敵わないのです」
「言ったな、こいつ」
冗談めかした咲月を軽く指差して、お互いに笑いあう。
「あ、でも慎之介。侍について、他に内緒にしてたことあれば白状して」
「白状ってもな、後は別に大した事ではない。昔、近所に住んでた師匠のところで稽古をつけて貰ったぐらいだぞ。でもまぁ、防御の仕方しか教えて貰えなかったけど」
「あんなに強いのに、勿体ない事してたね」
咲月は机に肘を突き、両手で頬を挟んで残念そうな顔だ。
「それなんだが、僕は強いのか?」
「えっ、どういうこと?」
「その師匠に毎回ぼこぼこにされていたし、その後も幻獣と戦うようなこともなかった。だから実際、自分がどれぐらい強いのかも分かってない」
侍を諦めたのは身分の壁や、陽茉莉の事を内緒にするためもあるが、師匠である近所の老人に才能があるのは防御だけと言われてガッカリした部分も大きい。
「強いよ、慎之介はとって強い。私が保証してあげる」
そう咲月が言ったとき、テーブルに置いてあった咲月のスマホが鳴動しだした。裏に番号の記されたシールが張ってあり藩から貸与されたものだ。
「ごめん、仕事の連絡」
そう断ってから咲月はスマホを手に取って横を向きつつ、口元を隠しながら電話に出ている。プライベート時に職場から連絡が来たとき特有の、あのこそこそした後ろめたさのある仕草だ。
慎之介も微妙に視線を逸らしていると、自分のスマホにメールの着信があった。
それは陽茉莉からだった。どうせ帰りの時間の連絡だろう、そう思って確認した慎之介は目を見開く。
「幻獣だって!?」
慎之介が息を呑むと、ちょうど通話を終えた咲月が見つめてくる。
「こっちは幻獣出現で緊急召集なの。もしかして陽茉莉ちゃん、巻き込まれた?」
「友達と一緒に清水町にいるらしい」
「ええ、その近辺という情報よ。かなりの数が確認されているみたい」
「行かねば」
慎之介は席から立ちあがると、そのまま出口に向かう。慌てた咲月が喫茶店の主人に手を合わせ、後で支払う旨を伝えている事にも気付かない。
今にも走り出しそうな慎之介を咲月が止めた。
「待って」
「なんだ、陽茉莉を助けに行かねばならん」
「目的は同じよ。私も幻獣駆除で現場直行なの。でも私なら他の侍たちの位置も分かるわ。慎之介は見つかりたくないでしょ?」
にっこり笑った咲月と共に喫茶店を飛びだした。
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