第6話① 猫の概念がゲシュタルト崩壊

 時は少し戻り、ちょうど昼になった頃のこと。

 ――うわぁ……。

 スマホの通知音に気付いた陽茉莉は画面を見て呆れた。兄である慎之介からの連絡それ自体はいい。問題は、その中身だ。友達と出かけることを称賛する内容で、友達を大事にとか、皆と仲良く楽しんでくるようにとか書いてある。

 あまりにも過保護すぎだ。

 呆然とすらする陽茉莉の様子に、隣の席の友達が気付いた。

「ねえ陽茉莉。誰からー? もしかして彼氏ですか、彼氏なんですね。裏切り者」

 冗談半分とは言え、スマホ画面を覗き込まれそうになって陽茉莉は慌てた。こんな内容を見られては恥ずかしすぎる。即座に画面を消した。

「違ーう、お兄からの連絡。彼氏いない」

「そらそうだ。そんで? お兄さん、早く帰って来いとか?」

「いやそうじゃないし。いつもの過保護で煩い内容。ほんっと、お兄ときたら妹離れ出来なくって。こういうのシスコンって言うのよね」

 言っている内容はさておき、陽茉莉は笑顔であった。その場に居た皆が目を泳がせ笑いを堪えたのは、陽茉莉がブラコンだと知っているからだ。

 ファーストフード店の一角を占拠して、のんびり昼を過ごしている。

 繁華街よりも住宅街に近い店で、駐車場も殆んどないため学校帰りに寄って雑談して過ごすのに手頃な場所にある。だから学生たちの溜まり場になっている店だ。

 今日も店内に居る客は陽茉莉たちも含め全て学生だった。

 制服の種類もいくつかあって賑やかしい。聞こえてくるのは主に噂話、誰それが付き合った分かれた、教師に対する感想や文句、昨日のドラマの感想や主演の誰それが格好いいかとか。そういったものだ。

 配膳用の猫型ロボがやって来て飲み物の乗ったトレイを置いていく。そのタイミングで話題が別のものへと変わった。

「陽茉莉ってさ、またSNSに新作だすの?」

「もちろーん! 今度はこれなの、じゃーんっ!」

 テーブルの上を陽茉莉のスマホが滑っていく。

 そこに表示されてるのは、陽茉莉の描いたイラストだ。それを売ったり、またはTシャツにプリントして売ったりと、配信しながら活動している。

 ただしスマホ画面を見る皆の反応は微妙だったが。

「うわ、また冒涜的な意味不明な……嘘でしょ、これ猫って書いてある……」

「猫の概念がゲシュタルト崩壊してる。謝って、猫に謝って」

「こんな絵が売れるなんて。信じられない、世の中間違ってるよ。けど、なんだろう。見てると何だか癖になりそうな気分」

「心をしっかり保って! 精神的な脅威に立ち向かわないと」

 そんな友人たちの言葉を聞きながら、しかし陽茉莉は澄まし顔で指を振った。軽く反っくり返って小威張りさえしている。

「分かってませんね、あたしは現代アート作家として評価されてるの」

 インフルエンサーとして活動して、月に数万ぐらいの収入を得ている。もちろんそれは全て生活費に足しているのだが。

「ふっふっふ。どう? 今なら友達価格で大特価。一枚五百円で似顔絵を描いたげる。将来はきっと何百万円にもなるよ、今の内に手に入れておきなさい」

 しかし誰からも声はあがらなかった。

「ぐぬぬ、芸術を解さない者たちめ」

 拗ねた陽茉莉はドリンクのストローを咥えた。そのまま行儀悪くぶくぶくさせ店外に視線を向けると、目に入ったのは公家の血を引く者と分かる撫子色の髪だ。

「あれ? お嬢様だ」

 それは学院の同じクラスの子だ。

 高貴な身分で誰とも交わろうとせず、いつも物静かに本を読んで孤高を貫いている。教師ですら遠慮するぐらいで、彼女と会話をした者は殆んどいないぐらいだ。そして登下校に御抱え運転手が送迎するような、とんでもないお嬢様である。

 こんな場所を一人で歩いて居ることは不思議だった。しかも何故か重そうなスーツケースを引きずっている。

 陽茉莉が視線を向ける相手に皆も気付いた。

「あらら、我が学院に君臨するクールビューティ様」

「才色兼備のスクールプリンセス。本を読んでる姿が素敵なのよね」

「超がつくお嬢様は、いつもお迎えの車なのに。どうしたんだろ」

「家出かも? って、そんな感じでもないか」

 皆の言葉を聞きつつ陽茉莉は通り過ぎる姿を目で追い、超お嬢様が向かいの本屋に入っていく様子を見つめた。

 だが直ぐ話の流れが変わり、皆の関心も別へと移ろう。テストの話題は早々に、最近注目のアイドルや人気侍の話から、美味しいお菓子とスイーツ店について語って、ようやく店を出る雰囲気になった。


「んーっ! 良い天気!」

 たっぷり喋った後の陽茉莉は、店を出た眩しい日射しに目を細めながら、両手を上げ思いっきり伸びあがる。

 今日は土曜日。

 ふと気になるのは、兄の慎之介がちゃんと昼を食べたかどうかだ。あれで意外に面倒くさがりで、しかも人の心配はするくせに自身に対しては適当になる性格だった。

「心配だから何か買って帰った方がいいね。うん、間違いないわ」

 面倒がってコンビニでお握りを買って囓って終わり、そんな光景が目に浮かぶ。だから帰り道で買えそうな食料を思い浮かべるのだが――陽茉莉の思考は、突如として響いた悲鳴によって中断を余儀なくされた。

 先日の幻獣騒動での経験もあり、間違いなく異常事態と分かる悲鳴だった。

 陽茉莉は表情を変え身構えた。

「今の悲鳴、ちょっと普通じゃないよ! 直ぐ避難しないと!」

 だが他の皆は先日の幻獣騒動があったにもかかわらず、悲鳴を聞いても気にもせず危機感もなく笑っている。

「うーん、辻斬りでも出たかいな?」

「それ恐いね、逃げた方がいいかも。でも痴漢なら叩きのめす」

「見つけたら正義の鉄槌だね」

「とか心配してると、単なる冗談って場合もあるからやだねー」

 交差点の信号が変わった。

 道行く人たちも訝しそうな顔で周囲を窺いつつ、しかし自分の生活や予定を優先し横断歩道を渡り動きだす。

 まるで何もなかったように街の営みが再会され、目の前を巡回バスが横切り視界を遮り通り過ぎ――牛丼系ファーストフードがある角に、白い身体をした巨大な生き物が姿を現した。

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