第4話② お金でどうこう出来ません
ちょいちょいと手招きされ個室に連れて行かれた。
嫌な予感が、凄く嫌な予感になった。
春日は慎之介に椅子を勧めながら、眉間に皺を寄せ話しだした。
「実は話があって、設楽君を用地課に異動させたいって話なんだよ」
「この時期に異動ですか、そうですか……えっ? ええっ!?」
肯きかけた慎之介は目を剥いた。
普請課から用地課などありえない。しかも用地課は事業に必要な土地取得や補補償の担当。喜んで土地を手放す人は少なく、それこそ怒鳴られながら交渉する最悪の部署だ。
「ですが」
動揺する気持ちを生唾を飲むことで押さえ込む。
「僕は技術系で、用地課は事務系。全く系統が違いますが」
「上の人は難航してる交渉に、技術的視点から説明をすれば順調に進むのではないかとの考えみたいだ。つまり設楽君に期待しているんだよ」
春日は慰めるように言ったが、表情の方はむしろ申し訳なさそうぐらいだ。
「もちろん今すぐではなく半年後の話だから、まだ内密に――」
ドアがノックされた。
慌てて春日が黙り込みドアを開けに行く。ドアを軽く開け、その向こうに居る風間と小声で会話をしている。だが、春日は途中で困惑と驚きの声をあげた。
「分かったよ……ちょうどいい。設楽君もいるし、ここで話そう」
雰囲気だけで絶対に碌な話ではないと察せられる。
手招きされて入って来たのは風間だけでなく、作業服姿の者も入ってくる。慎之介が普請課で発注した工事を請け負っている建設会社の現場代理人だ。
「こいつを見て頂けますでしょうか」
現場代理人は挨拶もそこそこに、タブレットの画面を差し出してきた。普段は気さくで慎之介にも普通にタメ口だ。しかし今は御奉行がいるため丁寧な喋りだ。
「掘削中にコンクリート塊が出てまいりました」
「これは……かなりの規模だ。これは?」
「恐らくですが、過去に不法投棄で埋められたのではないかと思われます。こいつを撤去するのはかなり大変ですよ」
「そうすると工期は?」
「伸びます、それもかなり」
それを聞いて慎之介は顔を引きつらせた。
この工事は日常生活に不可欠な電気、ガス、水道、通信線などを道路下にまとめて収容し、幻獣災害の際でも設備が維持できるようにする工事だ。
地域の安全のための工事だが、道路を掘削して通行規制を行うため、地域からは
「そこは何とかならないかな、予算なら都合をつけるよ」
春日は必死なようすだが、現場代理人は首を横に振るった
「お金でどうこう出来ません。ここは住宅街の真っ只中で御座います。コンクリートを破砕すれば大きな音が響きます。静音性の高い方法となれば、少しずつしかできません。それでもある程度の音は響きますので」
「そうなると住民に説明して納得して貰わねば、また苦情の嵐かね」
「壊しさえすれば撤去は早いですよ、壊しさえすればですが」
顔を付き合わせて唸っていると風間がそっと部屋を出て行った。もちろん巻き込まれたくないので逃げて行ったのだ。恨めしくは思うが、それを責めはできない。なぜなら慎之介だって逃げ出したいのだから。
それにもし同じ状況なら、慎之介も同じ事をするだろうから。
「終わった……」
慎之介はふらふらとした足取りで帰路につく。
最悪の話を聞かされ、最悪の気分で、最悪の週末を過ごす事になりそうだ。せめて休み明けに教えて欲しかった。せめて数日だけでも幸せでいられたのだから。
とぼとぼ出た廊下は静かで、誰の姿もなかった。
土曜日の昼なので、さっさと帰って当然だった。最近は働き方改革で、早く帰ることを推奨されている。皆はきっと、いつも通り気楽な週末を過ごすのだろう。
「どうしたものか」
慎之介は呟きエレベーターに向かった。
頭の中では退職の二文字すら過るが、流石に先祖代々の仕事を軽々しく辞めるわけにもいかない。それに陽茉莉を学校に行かせねばならないのだ。
「天は我を見放したか」
ぼやいていると電子音が響きエレベーターのドアが開いた。中に入ろうとして、そこに居た先客を見て躊躇してしまった。
「乗らないのかな?」
堂々とした体格で上品さのある相手は、尾張藩筆頭家老だった。
――成瀬様だ。
藩政のトップにあり、藩主の覚えもめでたく華族でもある権力者。着ているスーツは上等であるし、帯びている刀の塗鞘も見事だ。
卒族である慎之介にとっては雲上人である。
「…………」
慎之介は無言で一礼しエレベーターに乗り込んだ。
幸いにと言うべきか、中には別の者がいた。そちらも身分高い者らしいが、揉み手せんばかりの言葉と口調で、盛んに成瀬に媚びている。
「成瀬様のお嬢様もお綺麗になられて、本当に羨ましくて可愛らしく。うちの娘なんてとてもとても及びませんです」
歯の浮くような台詞を言う姿は人として見苦しい。
――でも、成瀬様に媚びれば人事を覆してくれるか……?
埒もない事を考えてしまうが、直ぐに心の中で首を横に振る。異動の話は嫌だが、そこまで自分を落とせない。人としてのプライドもある。
聞いているだけでうんざりするのだが、それは成瀬家老も同じだったらしい。
「もういい、黙れ。お主は煩い」
「えっ……」
成瀬の言葉で媚びを売っていた男が引きつった声をあげた。
そして到着を告げる電子音が響きドアが開くと、成瀬は悠々とエレベーターを出る。だが、手がひょいと伸びて慎之介の目の前にある閉のボタンを押した。
思わず見た慎之介に、成瀬はにやりと笑ってみせた。
「お待ちを、御家老様」
追いかけようとした男は閉まりかけた扉にぶつかりながら挟まっている。その滑稽さを見て慎之介は、ちょっとだけ気が晴れた。
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