第7話① 行くっきゃないよね!

 どこからか銃声が聞こえた。

 居合わせた警官もしくは同心どうしんが発砲しているのだろうが、ビル街の中では音が反響して位置は分からない。どちらにせよ近づくのは危険だ。

 悲鳴と怒声と爆発音が何重奏にもなって響き、もうそれだけで頭がくらくらするぐらいだった。大勢の人が走り、半ばパニックになったまま避難シェルターの入り口に殺到して渋滞を起こしている。

 そこに大型犬サイズの白い存在が突っ込んでいき――。

「うぁー」

 陽茉莉が思わず視線を逸らす惨状となった。

「あの幻獣って、こないだも見た。名前は忘れたけど」

「テ、テッソ……ね。幻獣が妖怪扱いだった時、鼠の妖怪だって言われてた。軽幻獣に分類の尖兵、あんまり強くないって話。だけど……」

 それでも人を殺傷することは余裕のようだ。

「こっちは駄目だぁ! 方針変更ーっ!」

 陽茉莉は静奈の手を掴んだまま、大急ぎでビルの間にある小路に駆け込んだ。

 テッソから身を隠すためでもあり、そして辺りの混乱を避けるためでもある。小路を飛びだし、道路に放置された車の間を駆け、角を曲がって大通りを横断し、名古屋高速の高架下にある植栽帯を飛び越え進む。

「うわっとっと、ちょっと待って」

 通りに出ようとして陽茉莉は急停止。角から精一杯に自分の頭を出して辺りの様子を窺った。

 道路を規制した工事現場がある。

 その周りを何体かのテッソが長い鼻面をゆらゆらさせ歩いていた。足元には何人か倒れているが、踏まれても動く様子はない。たぶん生きてはいないだろう。

「ちょっとあれは、マズい感じだね」

 陽茉莉はそっと頭を引っ込めた。

 横で静奈が膝に手をついて肩で息を吐いている。息も絶え絶えといった様子だ。

「はひぃ……」

 インドア派で運動が得意でないのは明らかだ。

 陽茉莉は動くのは好きだが、これだけ動いて平然としていられるのは多少なりとも士魂が使えるからだ。ただし戦闘能力は殆どなく回復能力の方が強いのだが。

「なんなのよ、こんなの。ほんと……もう、無理……私を置いていきなさい……」

「あ、そういうのいいから」

「でも」

「ここで置いてくなら最初っから助けに行くわけないもん。そんな事を言うなら、どうするか考えた方がいいよ」

「……そう……そうよね……確かに……そ、それなら」

 静奈は荒い息を繰り返しながら考え込む。

「お、思ったより幻獣の数が多い。避難所も無理。それなら、しっかりした建物、そこに避難して隠れた方が良い……かも……そ、そことか?」

 ほっそりとした指が指し示すのは、交差点の角に建つコンクリート住宅だ。一階が駐車場となっており、そのシャッターは閉まっている。しかし傍らにある通用口のドアは僅かに開いていた。

 万全な場所とは言えないが、動ける範囲で身を潜めるには最適だろう。

「なるほど、確かに。静奈が言わなかったら、気付かなかったわ」

「べ、別に。そんなんじゃないわ。偶然よ、偶然気付いたの」

「いえいえ凄いって、凄い凄い」

「ううっ……褒めないで、褒めるな……褒めないで、ください」

 俯き加減の静奈は、その撫子色した髪と同じぐらいに頬を染めている。面と向かって褒められ照れきっているらしい。

「よーし、そんじゃ。早いとこ隠れよっか」

 二人は辺りを見回し、こそこそと小走りで建物に向かって、僅かに開いているドアから中に滑り込んだ。


「お邪魔しますでーす」

 壁面にある窓から外の光が入るため、中は薄明るかった。

 車もなく空っぽで、車用品が幾つかとスタッドレスタイヤが置いてある。近々ゴミに出す予定らしいダンボールが縛ってまとめてあった。念のため、住宅に通じるドアを確認したが流石に施錠されていた。

「ふーどっこいしょ、結構走ったね」

 オイルの匂いと埃っぽさが感じられる中で二人は座り込む。コンクリートに直に座るのは冷たいので、ダンボールを座布団代わりに使わせて貰う。

 少しスマホを弄って陽茉莉は笑顔で顔を上げた。

「とりあえず、お兄に助けに来てって連絡したから大丈夫」

「は? 陽茉莉さん、何言って……幻獣のいる場所に来いとか……あなた……鬼?」

「あー、それはね。うん、どう言えばいいのかな」

 陽茉莉は頭に手をやった。

 兄である慎之介は侍の力を持ち、テッソどころかイヌカミでさえ余裕で倒せてしまう。しかし、それについては内緒にせねばならない。

「まあ、いろいろあるのよ。うん。うちのお兄は、ちょっと特殊だから」

「は、はぁ……?」

「あんまり気にしないで。あとはSNSに投稿して――」

 その時、壁に轟音と共に衝撃がはしった。

 窓ガラスが砕け、そこから獣の鼻面が突っ込まれる。それがひくつき、一度引っ込む。窓枠の向こうに血走った巨大な目が現れた。

「うあー、またイヌカミ来たわ。なんで見つかるのかな、気付かれるのかな」

 つい先日同じような状況に遭遇したばかりのため、陽茉莉は割と冷静だった。とりあえず硬直している静奈の肩を掴んで引きずり、ジリジリと窓から離れていく。

 衝撃、轟音、震動。

 コンクリートの壁にイヌカミが体当たり始めたのだ。

 重く低い音が響くたびに、窓に残されていた僅かなガラス片が全て落ち、窓枠が外れて転がり、壁のヒビが拡がり大きくなっていく。天上からも埃や細かな破片が落下し、シャッターが波打ち激しい音を響かせた。

 ついに壁が崩れる。

 そこから外の光が差し込み、激しく舞う粉塵を照らす。大きな獣が這うように押し入ろうとして影が乱舞する。

「あーもう駄目だ。ここはもう駄目だわ」

 切羽詰まって見回すが、駐車場から建物に続く扉は施錠されている。そうなると唯一の出入り口は、ここに入って来た扉だけ。

「あそこから出るしかないけど、けどさぁ……」

 壁に開いた孔からイヌカミの顔が半分以上も入り込み、牙を見せている。その前を通るのは危険すぎだ。しかし陽茉莉は決意を目に宿した。

「……行くっきゃないよね!」

 近くにあった缶を両手で持って思いっきり投げつける。イヌカミは反応して食い付くが、その中身はエンジンオイル。変な味と食感に驚いてか頭を引っ込めた。

「さあ、今っ!」

 陽茉莉は静奈の手を引き扉へと走った。イヌカミの咆吼に空気が震えヒヤッとするが、それでも扉に辿り着き、押して引いて何とか転げるように外へと出た。

「よっし! 成功!」

「ま、まだ……喜ぶのはまだ……どこかに隠れないと!」

 安全な場所を探し走り出し――二人は足を止めた。先程の工事現場からテッソの群れが近づいてきていたのだ。瓦礫が落下する音が響き、先程のイヌカミが駐車場の中から頭を引き抜いた。

 逃げねばならない、逃げても意味が無い。

 なぜならイヌカミはもう身を屈め、四肢に力を込め跳躍したのだから。獣の姿をした白い巨体が牙と爪をみせ迫って来る。

 ――お兄っ!!

 陽茉莉は心の中で助けを求め、静奈を庇って身を屈めた。だが、イヌカミの攻撃は来ない。何もない。もう一度心の中で兄に助けを求め、恐る恐る目を開けると目の前にイヌカミの姿がある。

 しかし、そのイヌカミは空中でもがいていた。

 直感と同時に振り向く陽茉莉は、そこに立つ慎之介の姿を見つけた。

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