真夜中のジンギスカン

筆開紙閉

ばん殿、酒は飲めるか」


 銀髪の豊かな髪を後ろで纏めた浅黒い肌の少女が隣り立つ青年に尋ねた。

 いや外見年齢が少女と言うべきか。少女は神である。天叢雲剣そのものであり、浮世では須佐八一すさ やいちと名乗っていた。


「自分、未成年です」


 気弱そうな人間の青年が申し訳なさそうに答えた。この青年の名前は番春日ばん かすがという。実家の姉のような気の強い女性に弱く、そのような女性を見ただけで気絶するか弱き男である。八一の外見年齢が自分より年下であるためギリギリ耐えられていた。

 

 

「そうか。烏賊毬原いかいがはら殿は?」


 八一はまた別の女性に尋ねる。一人で酒を飲むのは寂しいのだろう。


「あー……一杯だけでいいですか?」


 烏賊毬原いかいがはらと呼ばれた女性はピンク髪が特徴的だった。

 彼女は成人済みだった。破滅的な迷子の才能を持ち、道に迷っただけでこの温泉宿に辿り着いたのだ。


 『麗瀬石うららせせき』は北海道弟子屈周辺に存在する神々の為に開かれた温泉宿だ。神々の為に開かれた温泉宿だが、来る者は拒まず結界に迷い込んだ人間を迎え入れることもあった。

 迷い込んだ人間の居住食は最低限保証されているが、温泉宿での生活を豊かにするために宿の仕事を手伝うことが多かった。迷い子が元の居場所に帰るにはどうしても時間が必要だった。

 五月の今、季節行事として週末毎に宿の庭先で立食形式の宴会が開かれるようになり、八一やいちたちはその手伝いを終え、宴会の余り物で賄いを頂こうとしていた。時刻は月曜日の午前一時である。週末の宴会は土曜の午前零時から四十八時間開かれ、従業員が一日三交代でジンギスカン鍋の火や食材を取扱っていた。

 日曜日を終え、後片付けを終えると月曜日になっていたのだ。


「どうぞ」


 自然な流れでばんは日本酒の一升瓶を傾け、八一やいち烏賊毬原いかいがはらの杯を満たした。


ばん殿は何を飲む?」

「そうですね、コーラ頂きます」

 

 全員に飲み物が行き届き、一つだけ残しておいたジンギスカン鍋で解凍済みのラム肉や野菜が焼かれていく。火を消し、この鍋を宿の内部まで運び、残りの食材を処理すれば宴会の後始末は終わりである。


「乾杯」


 各々が杯を空にした。

 ジンギスカン鍋の肉は八一やいちが焼いていた。

 八一やいちはここしばらく日光とアルコールのみの生活が続き、肉や脂が恋しくなっていた。


「あー、そういえば八一やいちさんって好きな男のタイプどんなですか?」 


 労働の疲れと深夜テンションとアルコールの酔いが合わさり烏賊毬原いかいがはら八一やいちにグイグイと近づいていった。成人女性が未成年の少女に絡む事案のような絵面であった。


「俺より足の早い男」


 八一やいちはいつもの決まり文句を言った。異性のタイプの話題では決まって同じフレーズではぐらかしていた。実際の好みも足の早さを内包するため、完全な噓ではない。


ばん殿、食が進んでいないな。もううどん食べるか?」


 ジンギスカン鍋の〆はうどんとされている。

 八一やいちは年長者特有の若者に食べ物を食べさせようとする姿勢を見せていた。


「……あっ、すいません。聞いてませんでした。もう一度お願いします」


 ばんはそこまで体力に優れているタイプでもなかった。夜勤の仕事で疲労し、食欲よりも眠気が勝っていた。瞼も閉じかけている。


「うどん食べるか?食べるよな?それとも白米が欲しいか?」


 ばんの耳元で八一やいちは囁いた。尋ねながらもすでにうどんをジンギスカン鍋に投入していた。


「食べます!」


 八一やいちの押しにばんは押し切られていた。

 しかし実家の姉たちと比べれば八一やいちの押しは弱く気を失うほどではなかった。


 八一やいちがうどんを鍋に入れて直ぐに、宿の周りの森から何か影のようなものが現れた。その影は四足動物のように見える。まだ鍋に投入されていないラム肉がクーラーボックスから奪われた。

 十メートル以上の距離を瞬きの間に詰められたのだ。

 影は生のラム肉を喰らいながら、鍋に首を向ける。


「何!?」

「狼!!」


 ばん烏賊毬原いかいがはらは咄嗟に八一やいちの背に隠れた。


「招かねざる客だな。この気配は宿の客というわけでもなさそうだ」


 八一やいちは天叢雲剣を抜いた。相手は結界をすり抜けて侵入を果たす程度はできる。神性は薄い。動物の霊だろう。

 天叢雲剣の切先から水が吹き出し、影を吹き飛ばした。

 八一やいちは天叢雲剣としての権能により水を生み出し、操ることができる。在りし日の出力の一割にも満たないとはいえ、動物霊を追い払うには過剰。

 吹き飛ばされた影は地に叩きつけられ弾む。


「この肉は宿の客の為に用意されたものだ。貴様のものではない!」


 八一やいちは少女の身で声を張り上げた。

 彼我の距離は大きく開いている。剣の間合いではないが、天叢雲剣の水流は問題なく届く距離だ。影が再びクーラーボックスに向かって来る。

 それよりも早く影は水流に吹き飛ばされる。

 影は本能で損得勘定をし、逃げた。労力に対して割に合わないと判断したのだ。


「クソッ!ラム肉を盗られた!」


 八一やいちは激怒した。ラム肉を一塊奪われた他に被害は発生しなかったとはいえ、やはり悔しいものは悔しい。自分の取り分が減ったのだから。


「いやいやいや!別に良いじゃないですか!」


 八一やいちの怒気にばんは意識が飛びそうになりながらも落ち着かせようとした。誰の負傷もなく、解凍済みであとは賄いなり廃棄なりになるしかない肉を盗られたとはいえ、これといって被害はないのだ。


「俺が食べたかったんだよ!ラム肉!」


 〆のうどんは既にジンギスカン鍋の上に広げられているが、ラム肉はまだまだクーラーボックスの中にあった。


「まあまあまあ。これ食べて落ち着いてくださいよ」


 烏賊毬原いかいがはら八一やいちの皿の上にうどんや野菜を乗せていく。とにかく食べ物を食べさせて機嫌を取ろうという魂胆だ。


「まだお酒残っていますし、どうぞどうぞ」


 ばん八一やいちの空いた杯に酒を注いでいく。酔わせ忘れさせようとした。飲ませ過ぎて八一やいちが酔い潰れたので、ばんが担いで部屋に戻すことになった。



 



 

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