第一章 闇犬

第1話 黒に染まれ

 何も必要ないと思いながらも、不満ばかりだった。

 それは、望まないものを与えられる事に対してのものだ。


 僕が身を置くこの場所は、何もないものから何かを与えてくる。

 それが『任務』という、やらざるを得ない事務的な、僕にとっては退屈なものだった。



 僕は、禁忌呪術を使った。そして全てを失い、その絶望から自ら命を断とうとした。

 二度と目を覚まさず、この目に映るものなどなくていいと、そこで僕の人生は終わるはずだった。

 なのに……。

 僕の目は、まだ生きているという現状を映した。


「……どうして……」

 殺風景な部屋だった。ベッドで寝ていた事に気づいた瞬間、誰かに助けられたのだと思った。

 だけど、助けられた事が不愉快に思えた。

 もう何も見たくないと、そう望んでいたからだ。

「目が覚めましたか?」

 眼鏡を掛けた、知性溢れる若い男が僕の側にいた。

 一見、穏やかな風貌。だけど……。

「どうして助けたのかと、お聞きになりたいですか?」

「……っ……!」


 直感だった。

 この男……僕が思うよりも先にいく。

 この能力…… 一体、何者……。


「そうですね……」

「……やめ……」

 聞いたところでどうなるという。

 何もかもを失ったという事は、僕に追い討ちを掛ける、残った事実だ。

 僕が止めるのも聞かずに男は言う。


「禁忌を犯したにも拘らず、逃げようとした者を捕えただけです。勘違いしないで下さい。助けた訳ではありませんので」

 冷ややかな言葉とは逆に、にっこりと笑みを見せると、男は言葉を続けた。


「これでいいですか? 君をここに置く事に、僕には理由が必要ですが、君に理由は必要ないでしょう? これは君の為だと言われたら、不愉快でしょうしね……? 逆に君を死なせてあげた方が、君の為となるのでしょう?」

 僕の心を見透かすような目。

 男の言っている事は、確かに合っている。

 だけど、先手を打たれているようで腹が立った。


「取り敢えず、生きるという意味は出来たでしょう。生きるしかない……と言った方がいいかもしれませんね」

「罰を受けろという事か」

「罰……? それは少し違うかもしれません。まあ……君がそれを罰だと思うなら、それでも構いませんが」

「どういう事だよ……確かに僕は、禁忌を犯した。それで捕えたなら、そういう事だろ。それに……ここはなんだ? 罪人の収監所か?」

「いいえ」

 男は椅子から立ち上がると、小さな窓へと近づき、月を眺めた。


「この世には、身を隠してでも生きなくてはならない理由を持つ者がいます。僕もその一人です。ここはそういった者たちが集まった場所です。表では生きられませんが、裏では生きられる……牢獄より、随分とマシですよ」

「身を隠してでも……?」

 僕は眉を顰める。

「理由はいずれ……」

 男は、ゆっくりと僕を振り向いた。


「これより先……君に任務を与えます。司令が下る時は真夜中……行動も真夜中に限ります」

「任務……? 司令? 行動は真夜中って……? 一体……」

「言ったでしょう? 表では生きられないと。それよりも、そもそも、君に理由は必要ないでしょう?」

「だからって……! 黙って言う事を聞けって言うのかよっ!」

「ええ。黙って言う事を聞いて下さい。僕は君の上官ですから」

「……ふざけるな……」

 僕は、ベッドから下り、出て行こうとドアへと向かう。

 ドアを開けようとした瞬間に、男は言った。

 その言葉に、僕の手が止まる。


「陽の光の下に身を置けるというなら、どうぞお好きなように。但し……君が今、出て行こうと思えたのは、今が真夜中であるという事が背中を押したという事をお忘れなく。陽が昇った時に何処に向かえるのか……行く宛があるならば、辿り着けるでしょう」

 ……行く宛……そんなところ……ある訳がない。僕は、全てを失ったのだから。

 手を止めた僕に、男が近づく。僕は、振り向きもせず、俯いたまま男の言葉を聞いた。


「この世を白と黒で分けるならば、ここは黒です。正義を主張する気はありませんが、白が正しいとも限りません。勿論、黒が間違っているとも言いません。そもそも、白が正しくて、黒が間違っていると決められるものではないでしょう。君が見るべきものは、その答えを明確に導く為のもの……その目で見るものが任務に繋がります」


 僕が見るべきもの……。

 もう何も見たくないと望んだ僕が。

「……っ……」

 息が詰まるような感覚が、言葉を失わせた。


 ドアを開けようとした手を下ろしたのは、納得したからじゃない。

 行く宛がないからと、諦めた訳でもない。

 そうせざるを得ないからと、流れに身を任せた訳でもない。


 僕は、肩越しに男を振り向き、睨むような目を見せて言った。


「禁忌を犯したとはいえ、あんたが必要なのは、僕の能力だって事だろ。だったら僕を道具同然に使えばいい。あんたの意に添うかは、保障しないけどな」


 吐き捨てるようにも言った言葉。

 そう反抗心を持つ事で、僕は僕の間違いを、正しいと思いたかったのだろう。

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