第18話 保健室
「1ーBの東浦です。同クラのやつが体調悪いらしいんで連れてきました」
「東浦君、ありがとう。1ーBの……初めて保健室を利用する子かな? クラスと名前をここに書いてね」
そう言いながらその人物は立ち上がり、真に黒くてシンプルなバインダーを差し出した。数枚の紙が挟まっており、クラスや名前、入室理由を書く欄がある。この表に記入すれば良いようだ。
真は差し出されたそれを受け取る為に、目の前の人物に数歩近付いて、改めてその顔を見上げた。
座っているとわからなかったが、近付くと思ったより背の高い人物だとわかる。背の低い真が顔を見ようとすると、軽く仰け反る程だ。
柔らかそうな緩いウェーブのかかった茶髪と、優しげな垂れ目の下にある泣き黒子が特徴的だった。
こちらに向かって歩きながら、薄手のタートルネックの上に、椅子から取り上げた白衣を慣れた様子で羽織った。
「……何かあった? 症状が書きにくかったら口頭でも良いよ」
「あ、いえ。すみません。……男性の保健の先生って珍しいなと思って」
「ああ……」
困ったような表情が、納得したように綻んだ。
垂れ目がちな目元のせいで、笑うとより一層優しそうな印象になる。
東浦の口ぶりや自身の先入観から、生徒に人気の保健医を当たり前のように女性だと思っていたが、顔を見て改めて納得した。芸能界でも通用しそうな、あまり見ない程の美形である。
東浦が「イケメン」ではなく「美人」と言うのもわかる気がした。
線の細さからだろうか。「かっこいい」「イケメン」などの男性的な形容詞より「綺麗」「美人」といった言葉が似合う。
声も低過ぎず高過ぎず、柔らかく落ち着いている。その事も、彼の柔和な雰囲気の一因なのだろう。
「確かに男性の養護教諭は多くないね。……呼続 左京(よびつぎ さきょう)といいます。東浦君、送ってくれてありがとう。教室に戻って大丈夫ですよ」
「はーい。伏見、あんま無理すんなよ。何かあったら有松にメッセージしろ」
「うん。……東浦、ありがとう。送ってくれて」
「いいよ。サボれてラッキー」
真が気にしないよう、冗談を言って片手を上げた。得意そうなその姿に、真も軽く手を振って見送る。
明るい声で「失礼しましたー」と言いながら、軽い足取りで東浦は教室へ戻って行った。
東浦を見送ると、室内には呼続と真の二人だけになった。遠くから東浦の廊下を歩く足音が響いて聞こえる。
真はそれを聞きながら、手早く表に自身のフルネームやクラスを記入していく。症状の欄には、少し迷って『頭痛』と書いた。嘘ではないが、さすがに『寝不足』と書くわけにはいかない。
「あ。……校内ではスマホは禁止だって言い損ねたな」
ふと思い出したように苦笑して、さて、と呼続がバインダーを覗き込んだ。真が記入の終わったバインダーを手渡すと、素早く目を通して一つ頷く。
「伏見さん、症状は頭痛って書いてあるけど、寝たら楽になる? 他にも何か症状はある? あまり酷いようなら早退出来るように準備するけど」
「えっと……少し横になりたいです。実はあんまり眠れてなくて、でも……あんまり眠りたくなくて……」
「……何かストレスでも?」
軽く眉を寄せて首を傾げ、呼続が真の顔を窺うように見下ろす。心配そうなその表情に、真は思わず言い淀んだ。
ここ最近の出来事を話すかどうか、もし話すならどう話すか。頭の中で考えてみても、判断に迷う。
繰り返し見る夢は確かに不気味だが、何も知らない大人がそれをどう扱うのかわからない。
自分の悩みを一蹴して欲しいような気もするし、けれど実際にそうされたら腹が立つ予感もした。
「……言いにくい?」
言い淀み、口を閉じた真を見て、呼続は小さな声で問いかける。
気遣いが現れた、低い優しい声だった。「言いたくない」と真が言えば、きっと彼は無理に聞き出したりはしない。初めて会う相手だというのに、確信のようにそう思った。呼続の纏う空気が、そう思わせるのだろうか。
真はおずおずと口を開き、ゆっくりと、言葉を選んで話し始めた。
「毎日……怖い夢を、見るんです。同じ夢。最初は気のせいだと思ったんです。でも、それがもう三日くらい続いて……同じ夢なのに、どんどんおかしくなっていって……眠るのが、怖くなって。それで、私……バカみたいだと思うかも知れないんですけど、思ったんです」
真はそこで躊躇うように一度言葉を切って、視線を彷徨わせた。
そして、意を決してそれを初めて言葉にする。
「……これって、呪いなんじゃないかって」
「――呪いだって?」
真の言葉を繰り返すように呟いた呼続は、先程までの『人当たりの良さそうな養護教諭』の姿とは全く様子が違っていた。
その声はまるで、耳元で愛を囁く時の様に小さく低く、――鳥肌が立つ程、甘い声音だった。
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