第69話 じょうろ、活躍
◆
「し、信じられん」
愕然とした村人の声がひとつ響いたのを合図に、ざわめきが広がった。
アデルに突撃していっていた牛たちが静まったのだ。
大人しく、アデルにすりすりと頭を擦り付けている。
アデルに頭を撫でられた暴れ牛が、「ぐうう」と唸っている。
「魔物化した牛が……懐いてる!」
「さすが、だなぁ」
リィトは感嘆した。
「いいこ、いいこですわね」
アデルが慈愛に満ちた表情で魔物化した
しかし。
あれは懐いているのではない。
(筋力で……押さえつけている……)
突進してこようとした牛の頭を、アデルは握力でもって押さえ込んでいるのだ。微笑みを浮かべたままで。
「ぶも……っ」
「いいこ、いいこです」
周囲では牛たちが大人しくひざまずいている。
あれは懐いているのではない。
ボス級の牛が、腕一歩でアデルにねじ伏せられて為す術もない光景に繊維を喪失しているのだ。
「うふふ……いい子ですね、本当に」
そして、もっとも恐ろしいことに。
アデルは、本当にただ牛を可愛がっているのだ。
「何か嫌なことがあって、暴れていただけですわ……私も、たまにそういうことがあります」
巨大な危険度S級モンスターをむしゃくしゃするに任せてぶん投げたことだろうか。それとも、荒れ狂う装甲竜をワンパンで沈めたことだろうか。
いずれにしても、アデルの日々の鍛錬としなやかで、かつ鋼のような強度を誇る筋肉皇女の肉体によってなせる技だ。
戦乙女だとか、姫騎士とか。
リィトに負けず劣らず、様々な二つ名で呼ばれるアデリア・ル・ロマンシアの本領発揮といったところだろう。
村人たちの表情が、先程までとは完全に変わっている。
「すごい……聖女さまだ……!」
「この呪われた村を救ってくださるかも……」
その機会を逃さないのが、ミーアだった。
くいくい、とリィトの袖を引っ張る。
「リィト、例のジョーロってここでもできるのニャ?」
「え?」
スキル「じょうろ」。
アデルが腕一本で牛を止めたインパクトには及ばない、右手から水を出せる技能だ。
「さぁさぁ、皆様! 並ぶのニャ~、水が飲み放題、なんと無料で水が飲み放題だニャッ!」
「え、ちょ、ミーア?」
「ほら、いいからいいから! とっとと水を出すニャ!」
瞳をきゅぴんと輝かせて親指を立てるミーアに言われるがままに、リィトは右手から水を出す。
水精霊の魔力たっぷりの水だ。
子どもがひとり、おそるおそるとリィトに近づいてきた。
右手から出てくる水を不思議そうにさわって、一口飲んだ。
「っ、おいしい!」
ごくごく、と喉を鳴らして水を飲む子ども。
やがて、どこからともなく村人たちが水瓶や桶を持って集まってきた。
「じゅ、順番! 順番ニャッ! この水は無限に湧いてくるのニャッ!」
「……
「細かいことはいいのニャッ、ほれほれ、どんどん出すのにゃ!」
「お、おう」
「出血大サービスだニャッ!」
「いや、出てるのは水だけど……」
出所が出所だけに、出血とかいう言葉は避けてほしいところだった。
「……み、見ろ!」
「ん……? な、
アデルが屈服させた魔物化した牛たちが、元の姿に戻っていた。
やたらと発達してしまっていたツノがぽろりと落ちて、穏やかな表情になっている。
「水精霊の魔力による浄化作用かと──
「ぶおぉ♪」
すっかり落ち着きを取り戻した牛たちが、ゴキゲンに萎れた草を食み始めた。
「スキル『じょうろ」からの……
リィトがすかさず、牛たちの食べている草に魔力たっぷりの水をぶっかけて、植物魔導で育てていく。
「おおおっ!」
今度こそ、村中がどよめいた。
それはそうだ。
今まで、どんなに苦労をして作物を育ててきたのかという話だ。
それを、指先ひとつで健やかに育てあげているのだから、たまらないだろう。
「見たこともない魔導を操るすごい魔導師様……前に役人が話しているのを聞いたことがあるぞ、もしかして……対魔百年戦争の大英雄……」
「でも、草を育てるって……そんなんでモンスターが倒せるんかね……?」
「それはそうだけど、すごい人たちを連れてるし……言われてみれば、こう、ただ者じゃない感じというか……」
「そうじゃなくても、草を一瞬で育てられるってことはさ……」
「畑の麦も……」
嫌でも期待が高まる。
もしかしたら、この状況を変えてくれるかもとか。
そういう、英雄を求めるような期待が。
「あー……」
聖女然とたたずむ、
そして、すでに村人となんらかの商談を始めているミーア。
リィトは、ごっほんとひとつ咳をした。
「……残念だけど、この土地では麦を育てることはできないよ」
リィトの宣告に、フニクリ村が凍りついた。
火山性の暑くて乾いた土地が、氷点下に冷え込んだ。
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