第68話 寒村フニクリ村
◆
フニクリ村。
クレイグ領でもっとも貧しいとされる寒村だ。
「うー、鼻かカサカサになってしまったニャ……」
乾いた空気と砂埃に不機嫌そうなミーア。
スキル「じょうろ」で出した水を、ミーアの鼻先に垂らしてやる。
「ぷは、生き返るニャ!」
「リィト様、ただいま戻りました」
「アデル」
村の様子を見て回っていたアデルが、暗い表情で戻ってきた。
「みなさん、お腹を空かせていますし、喉を渇かせていますわ」
「……だろうなぁ」
村の入り口でぼんやりと座っているリィトとミーアを遠巻きに見ている村民たちは、誰も彼もが虚ろな表情だ。
「食料はわずかなものを皆で分け合っているとか……若い殿方は、食事を求めてクレイグ私設軍にどんどん志願していってしまうとか」
「それがクレイグの狙いだったりしてね」
「人を安く雇いたいギルドは、貧乏な村でごはんを振る舞うものだニャ……ありえるのニャ」
「人間、食うことができなきゃ生きられないからな」
リィトが畏れられた理由もそれだ。
植物魔導は土地を覆い尽くして、変えてしまう。
もしリィトが本気で村を潰そうとすれば、一瞬にして家から農地までをベンリ草で覆い尽くして人の住めない土地にしてしまうだろう。
食べることのできない植物が生い茂る土地に、人は住むことができない。
長い年月をかけて開拓した土地を、植物は日々浸食していく。
リィトの植物魔導は一瞬で土地を破壊できるし、実際、小さなダンジョンであればリィトの植物魔導で瞬時に破壊してきた。
低位のモンスターたちも、食わねば生きていけないだ。
彼らの食物を根こそぎ奪うリィトの植物魔導は、まさに侵略の象徴そのものだったのだ。
「かなりの農地があるみたいだけど……ちょっと、だいぶ様子が良くないな」
「なんだか、葉っぱに元気がないにゃ……」
「ああ、フラウが見たら卒倒するかもな」
フニクリ村の農作物は、徹夜明けに上司に激詰めされた新卒三年目の会社員のごとき萎れ具合だ。
植物を元気に育てることが何よりの生きがいである花人族たちだ。
この状況を見たら、彼らの頭に咲いている花のほうが萎れてしまうだろう。
「んー、乾燥した火山性の水はけのいい土地か……根菜類なんかは育ちそうなものだけど」
「どうやら、農地はすべて麦の栽培を義務づけられているとか」
「麦かぁ」
潮風でカピカピになってきた髪を撫でて、リィトは溜息をつく。
塩害対策ができているわけでもない土地で、麦を育てたとしても収穫量はたかが知れていそうだ。
食料と農業について無茶を押しつけてくる領主がマトモだとは、どうしても思えないリィトであった。
「……他の作物は、庭先で小さく育てることしか許されていないのだそうで」
「税って、麦以外では支払えないのか」
「クレイグ領では貨幣での支払いも許可されているはずです、が」
「この状況でお金を稼ぐニャんて、ミーでも無理だニャ」
くしくしと鼻を気にしながら、ミーアがぼそりと吐き捨てた。
少女のような背丈で、元気いっぱいの言動のミーアだが、商売にかける情熱と手腕は本物だ。
創薬ギルドの件でも、大きく燃え上がった案件を最後まで投げ出さずに粘り、リィトが水精霊と契約して状況を変えるまで取引を継続させていた。
だからこそ、最終的に双方のギルド同士の話し合いにより、商業ギルド『黄金の道』に所属するミーア側が巨額の利益を得ることになったわけだ。
ガッツがある。
そして、いつでも商売っ気を忘れない。
そんなミーアが、「これでは無理だ」と判断した。
「……だよなぁ」
リィトが今回の旅にミーアに同行をお願いした理由のひとつが、これだ。
クレイグ領の貧しさというのが、どの程度のものなのか。それを、ミーアの目から判断してもらいたかった。
まぁ。他にも理由はあるのだけれど。
「それに、商売っていうのは信頼第一だニャ……あんな目で見られたら、ミーはすごすごと引き下がるしかないのニャ」
「うん、まぁね」
村人たちは、急に現れたリィトたち一行に対して完全に警戒モードになっている。
虚ろな表情でリィトたちのほうを伺いながら、何やらお互いに囁き合っているわけで──しまったなぁ、とリィトはぼやいた。
(あー……)
モンスター討伐を請け負う冒険者協会の魔導師として、あるいは正体不明の帝国軍の助っ人として、ロマンシア帝国内を転戦した経験のあるリィトだが、このような塩対応は初めてのことだ。
やってしまったかも、とリィトは思う。
(モンスターどもっていう実際的な脅威があったから、当時はどこに
行ってもウェルカムなかんじだったんだけど……そりゃそうだよなぁ……)
と、やや勢いで来てしまったことを後悔していたところで、村人たちのなかから一人の女性が歩み出てきた。
年の頃は五十才くらいだろうか。
白髪が目立つ、くたびれた印象の女性だ。
「あなたがた、こんな村に何をしにきたのですか」
不思議な威厳のある声。
おそらく彼女が、村で重要な役割を担っているのだろう。
少しずつ集まってきた村人をよく見れば、彼女と同じくらいの年齢の人間はほとんどいない。男性は特に。
この村の状況がわかって、リィトは暗い気持ちになった。
平均寿命も短く、男性は鉱山での労働などにかり出されて村にいない状態なわけだ。子どもの姿もまばら。
これは、あれだ。
失政だ。
リィトは確信する。
これは失政の被害だ。
「……この村を、助けにきました」
リィトの言葉に、女性は特大の溜息をついた。
「余計なことをしないでもらえませんか」
「なっ! リィト様は信じられるお方ですわっ!」
「……あなたのような見るからに高貴な御方が来る場所でもありません、帰ってください」
かたくなな態度に、アデルがぐっと言葉を呑む。
なるほど、とリィトは思った。
アデルは施政者側の人間だ。リィトも、どちらかといえばそう。
この村に住む人たちは、施政者側にいる人間をまったくもって信じていないのだ。
彼らの心を開かないことには、どうにもならない。
ミーアの言うとおり、商売というのはお互いの信頼関係によって成り立つのだから。
「このような村、もうどうにもなりません……村が立ちゆかなくなれば、クレイグ様のご指示でこの土地は廃棄になるでしょうよ」
「そんな……ご自身の故郷に、そのようなことを」
「苦しい記憶ばかりがある故郷です。あたしたちは、おらが故郷を棄てることができてやっとまともな生活ができるのです」
「夢も希望もにゃいニャ」
「ミーア、静かに」
黙ってしまったアデルに、長老っぽい女性が吐き捨てるように言う。
「家畜もあのようなことになってしまえば、早晩、一粒の麦すら畑からは採れなくなるでしょうよ」
「家畜……?」
リィトは、村の様子をもう一度見回してみる。
村に家畜がいないのだ。
農村には家畜がいるはずだ。花人族という農業チート集団がいない場合は、家畜の力を借りて畑を耕し、堆肥をつくり、乳や肉や卵から栄養を貰っている。
その姿がひとつもない。
「おかしいニャ」
「……妙だな」
リィトとミーアが同時に呟く──その瞬間。
「敵性反応!」
ナビが叫んだ。
アデルが村人たちを背中に庇うようにして立つ。
「……おらが村の家畜はあれですよ」
諦めたような声で、村人の誰かが吐き捨てた。
──
「なっ!」
リィトは驚愕に声を上げる。
「モンスター!? 牛がどうして……っ!」
「少し前に、家畜たちがあのように……今まで、どうにか税の一部をおさめておりましたが、こうなっては飢え死にするしかありません」
「いやいやいや! 冷静すぎるだろ!」
深い溜息をついて、膝を抱えて座り込む村人たち。
魔導師でもない人間が、魔物化してしまった動物に立ち向かえるはずもない。絶望が日常、それがフニクリ村なのだ。
巨大なツノに火がともった、異様な風貌の
「これ、魔導研究的には大発見だぞ……っ!? 家畜の魔物化って!」
「リィト様、そっちですか!?」
「あっ」
つい好奇心が勝ってしまうリィトだった。
「いえ……そうですわ、リィト様は偉大な魔導師としての観点からこの事態を収拾しようとされているのですわね!?」
「そ、そういうことで!」
相変わらず解釈が好意的で助かる。
「しかし……」
荒れ狂う牛。畑や家を荒らしながらこちらに向かってくる牛モンスターたちに、座り込んで諦め顔の村人たち。
「ニャアアア、顔が怖いニャッ!」
「地獄絵図だなぁ」
牛たちを植物魔導で一網打尽にすることはできる。
毒草とか、ツタで絞め殺すとか。色々とできる。
ただ、あの牛はもとはこの村の家畜だ。家畜といえば財産だ。
村の財産を破壊していいのか。
リィトは悩んだ。
「……っ!」
迫る牛たち。
うなだれる村人たち。
「仕方ない、か……」
目の前で被害が起きることを、見逃せない。
見て見ぬふりはできない。
そんな人の良さが、リィトを英雄にしたのだけれど。
ベンリ草の種子に手をかける。
これを蒔けば、後戻りはできない──けれど。
「待ってください」
「アデル?」
村人たちを守っていたアデルが立ち上がって、牛たちの群れに向かって駆けだした。
どどどどど、と牛たちの蹄の音が轟く。
ひっ、とミーアが息を呑む。
「止まりなさいっ!」
アデルの声が村に響いた。
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