第3話 The noble science でなく卑俗の輩
「この病んだ時代の密林の中で、我々は捨てられた腐肉のみをあさる麓のハイエナであるよりも、高みに凍えて死ぬその一匹の豹でありたい。」
石原慎太郎 「孤独なる戴冠」
(400年前)宮本武蔵は、虚構の剣法ではなく、実理を元にした実利ある戦い方・勝ち方を自身で追求し、後進に提唱しました。
当時の柳生の剣法とは、現在の警視庁の柔道と同じで、権威や地位・格式漬けの見世物であり、「就活」や金儲け(利権)の道具となっていた。そのため、武蔵は「五輪書」地の巻で「免許皆伝とか印可状に何の意味がある」「本当の武士がいない」と嘆いたのです。
権威や格式・利権あさりの警視庁剣法が、ペリーの来航という価値観の異なる敵に対しては全く無力であったのは、歴史が証明しているではありませんか。
柔道が柔術を追い出して警視庁御用達となって以来、かれらの柔道理論や哲学を宮本武蔵のように論理的に明快にわかりやすく解説した本を、誰が書いたことがあるだろうか。
商売の道具として権威化・格式化・神性化し、そういうスタイルで人間作りをしているから、永久に柔道哲学を持った人間も本も出ない。だから、国民全員が柔道精神によって本当に正しい人間として薫陶される、なんていうことも起こり得ない。
講道館柔道が、警察という檀那・施主・後ろ盾に頼った時点で、柔術には勝ったが、魂・哲学というものは消えてしまったのです。
韓国脳人間は、ボクサーのガッツ石松氏のような人を、単に面白おかしがっていますが、警察や国家という意地汚い権威を傘に着た柔道屋などよりも、よほどthe noble scientistとしての気高さを持っていらっしゃいます。
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