師原高校 相談部の活動記録

広井 海

消えたバイオリン

第1話 消えたバイオリン

部活動日誌


 5月 24日 (水) 部員 阿ヶ佐あがさ 行人ゆきと 戮淵りくぶち 香深かふか 天気:晴れ


 

活動内容


 

 まだ聞こえる。開け放たれた窓の外からはバイオリンの音が聞こえてくる。緩いリズムが耳に響き、体温と同じくらいの陽光も相まって眠気を誘う。


 この曲は何と言ったかな。たしか……カノンだった気がする。バイオリンの経験はないがなんとなくこれを演奏している人の努力が伝わってくる。

 

「人に仕事を押し付けて、居眠りなんて言い分ね」


「今、御身分の『ごみ』のところだけ強調したな」


「あら、そうかしら?」


「そもそも……寝てねぇし」


 バイオリンの音が止む。演奏が終了したため、突っ伏していた机から上体を起こして軽く全身を伸ばす。固まっていた筋繊維がほぐれていく。この教室には二人しか居ない。たった二人しか居ない部活。


 去年、卒業した元3年生が引退した後この部活には人が居なくなった。一番多い時は10人くらいが所属していたらしい。


「呑気に休んでいるけど……原稿は出来ているのかしら?阿ヶ佐あがさ君」


「一応、半分くらい」


 今、俺たちの部活では文化祭の日に配布される特別な校内雑誌に掲載される記事を執筆している。テーマは特に決められていない。一見、自由にテーマを決めて良いのなら簡単に見えるが、テーマが決まっていないからこそ軸が定まらず上手く書けない。


「そこまで言う香深かふかさんはどんなテーマにしたんですか?」


「秘密と言ったでしょ?当日、お互いに読むまで秘密にするって……」


「はいはい」


 目の前の女子は淡々と答えてくる。長めの黒髪を垂らしながら机の上のノートを見つめている。前髪が長いせいで目元が隠れる。同時に目の前にかけている細いフレームのメガネと彼女の特徴でもある泣きボクロも見えなくなってしまった。


「そういえば、アガサ君のクラスは文化祭で合唱をするのね」


「あぁ、ほとんどの男子は乗り気じゃなかったけど……一部の女子がね……」


「その言葉だけで、なんとなくその時の雰囲気が伝わるわ」


 原稿に集中しているのかそれとも話に対して興味が無いのか、こちらには目も運ばずに口だけを動かしている。

 

「伴走者と指揮者は決まったの?」


「一応、伴走者だけ。足立あだちさんって人」


「知らない人ね」


 そりゃそうだ。カフカは基本的に他人に興味がない。正直俺もそこまで他人と関わる性格じゃないが、カフカはさらに重症だと思う。最初に会ったときの第一印象は最悪だった。

 

「吹奏楽部の人だけどピアノも弾けるらしいからやるって、最初に合唱やりたいって言ったのも足立さんだった」


「ずいぶんと詳しいのね。その人に」


「席が近いからよく話すだけ」


「そう」


 再び部室が静寂に包まれる。たった二人しか居ないので話題が無くなれば会話も無くなってしまう。開いた窓からはちょっと暖かい風が吹くと微かに教室に置いてある物が揺れる。机の上にあるシャーペンが転がり、カフカのすぐそばにあるプリントが滑っていく。


「窓閉めて」


「はいはい」


 当然、カフカは不機嫌そうな声でこちらに指示してくる。窓際に寄ってシルバー色の窓枠を掴む。外からは部活動を頑張る生徒の声や車の駆動音が聞こえる。


 ガチャン


 窓を閉める瞬間、音がした。どこから聞こえたかは分からないがこの教室がある旧校舎のほとんどが古いのでいたるところから変な音がする。トイレの扉なんかは出入りするたびにギィーとか鳴る。廊下の方からも階段を駆け下りたり登ったりしている音も聞こえてくる。


「トイレ行ってくる」


「いちいち言わなくていい」


 特段トイレに行きたい気分ではないが喉が渇いたのでトイレへ行くついでに自販機で何か買ってこよう。席を立ちあがって教室の2つある扉のうち階段に近い方から出ようとする。


「失礼します。……うわっ!」


「え?」


 開けようとした引き戸がいきなり開かれ急に人が現れる。まさか扉の前に人が居ると思っていなかったのか、急に現れた生徒は一瞬遅れて驚いたように半歩後ろに下がった。いや……それより今、うわって言った?


「すいません」


「いえいえ、こちらこそ」


 何やら慌てているのかわずかに息が上がっていて少し耳元の髪が肌に張り付いている。そもそもここに何の用だ?

 

「あの……私のバイオリン見てませんか?」


「え?」


「……」



            +             +


 

「それで……なんでバイオリンを探しているんですか?」


「1年のみなとカナエと言います。最初から話すんですけど、私さっきまで音楽室を使ってバイオリンの練習をしてたんです」


 さっき聞こえてたのはこの人のバイオリンだったのか。改めて目の前の女生徒を見る。まとめて後ろで束ねた髪型が第一印象で線の細い女生徒だ。会話の仕方や見た感じからしてカフカと同じクラスでは無いみたいだ。当然、俺もこの女生徒を知らない。


「練習を一旦休憩して、お手洗いに行っていたんです。でも、帰ってきたら置いておいたバイオリンが無くなっていたんです」


「それってバイオリンを置いてトイレに行っている間に誰かに盗まれたということですか?」


「多分……そうだと思います。私以外は誰も音楽室に居ませんでした」

 

「……バイオリン窃盗事件ね」


「なんでわくわくしてんだよ」


 隣に座っているカフカの顔を見てみる。目元は前髪のせいで見えずらいが口元はわずかに曲がっている。声音もさっきより高くなっている……始まった。


「誰かが間違えて持って行った可能性は……」


「この学校の音楽系の部活動は吹奏楽部と軽音部以外無いわ。バイオリンってことはストリングオーケストラの部類でしょ」


「はい、そうです。音楽室はいつも吹奏楽部が使っているのですが、水曜日は休みなので毎週水曜日は自主練のために借りているんです」


「なるほど……誰かが間違えて持って行った可能性は低い。バイオリンを間違えて持って行くような人がそもそも居ないってことか……」


「そうだと思います」


 こちらの問いにハキハキと答えてくれる。背筋もまっすぐだし、育ちの良さが所々から垣間見える。隣でメモを取りながら、あーでもないこーでもないと呟いている女とは大違いだ。

 

「状況を整理しましょう」


「はい」


「今日湊さんは3階、つまりこの上の階でバイオリンの自主練をしていた。湊さんが練習を終えてトイレへ行っている間にバイオリンが無くなった。状況から見て盗まれた可能性が高い……」


「ところで今日、3階の部活動って何があるのかしら?」

 

「お前……なぁ」


 人が状況を整理して真面目に話してんのに横から口出ししてくる奴が一名。しかし正直、誰が盗んだか推理するにしても材料が無さ過ぎるため俺も情報が欲しい。

 

「普段、3階で活動しているのは書道部、軽音部、写真部、美術部です。あとは奥にある図書室でも図書委員が活動しています」


「怪しいのは軽音部か」


「一概にそうとも言えないわ。バイオリン1つだけを盗むなら今この学校に居るすべての人間が容疑者になるわ」


「じゃあ……なんで3階の部活を聞いたんだよ」


「3階には階段が1つしかない。3階よりも下の階であれば本校舎に繋がる廊下や中庭へ出る扉なんかがあるけど、3階から移動するためには階段を使う必要があるの」


 確かにこの学校は衛星写真など上から見ると「エ」の形をしている。北側が本校舎、南側が文化部の部室や実験室などがある校舎に別れていてそれらを繋ぐ通路は2階と1階にしかない。


「急いで階段を降りてきたら、足音が聞こえるでしょ?少し前に誰かの足音がしなかった?」


 この教室は階段の真正面にあるため、階段を急いで降りたり登ったりすると音が鳴る。確かに湊さんがこの教室に来る前、階段を降りる音がしたような。


「あっ……多分それ私です」


「やっぱり」


「どういう事?」

 

「バイオリンが無くなっていることに気付いた後、急いで階段を降りて2階と1階の廊下を確認しました。見た限り誰も居ませんでした」


「音楽室はトイレよりも階段から離れているわ。音楽室や3階の廊下に誰も居なかったことを考えると、犯人は3階の教室もしくは階段付近で待機していたことになる。音楽室から離れれば離れるほど盗むまでの時間が増えるし、その分誰かに出くわす確率も高くなるから」


「確かに」


「湊さん。バイオリンはどんな状態で置かれていたのかしら?」


「えっと……弾き終わった後、近くのテーブルに……」


「その時、ケースにはしまっていましたか?」


「いえ、そのままの状態です。ケースは近くの椅子の上に置いてありました」

 

「消えたのはバイオリンだけですか?」


「ケースごとです」


 カフカが相手の返答を待たずに質問していく。湊さんは動じずにしっかりと答えてくれた。しかし質問に答える瞬間、わずかに視線が下がり悔しそうな表情を浮かべたのを見てしまった。よほど大切なものだと推測できる。


「一旦、先生か誰かに行った方が良いんじゃないの?」


「教師に相談したところでどうなるの?バイオリンを盗んだ心当たりのある生徒は名乗り出てくださいとか呼びかけるの?」


「いや……先生が協力してくれれば普段使わない教室とか探せるかもだろ?」


「バイオリンをすでに学校の外に持ち出していたらどうするの?」


「それなら……」


「今日見つけられないなら、発見は絶望的ね」


 確かに一理ある。今は生徒がある程度残っているが時間が経てば、続々と生徒は帰宅していく。その中にバイオリンを盗んだ犯人が居る可能性もある。

 

「それは困ります。……あれは大切な物なんです。今度の留学にも持って行くつもりで……」


「留学?」


「はい、今度ドイツに……」


「ドイツ?」


 バイオリン……音楽……留学……。


「あれが無いと……私……」


「でも……」


 あれ?なんで……助けようとしてるんだ?知らない。分からない。それで終わりじゃないか。あとは関係のない事だ。


 全校生徒約750人、3年間で一度も関わらない人間がほとんどだ。不用意に関りに行けば痛い目を見るかもしれない。


「それなら推理するしかないわね」


「え?」


「盗んだ犯人が誰なのか、どのようにして盗んだのか……気にならないの?」


 隣に座っているカフカはいつもの何倍も目を輝かせながら語り掛けてくる。まるで新しいおもちゃを与えられた子供のように笑みを浮かべながら。

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師原高校 相談部の活動記録 広井 海 @ponponde7110

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