第41話 替え玉作戦(選考対象外)

 睡眠薬と弛緩薬入りの紅茶を飲んで深い眠りに落ちたミレイは、小さな頭をイリオスの膝に乗せ、離宮に向かう馬車の中で静かな寝息を立てていた。


 イリオスは、良く手入れされている紺青の髪を撫でながら、そのシルクのようにひんやりとして柔らかい手触りにうっとりと目を細める。


(もうすぐだ。離宮についたら、可能な限り共にいよう。たったひと月でミレイが身籠れるかは運次第だが、心が頑なならば、身体から陥落させてしまえばいい)


 そう考えた後でイリオスは、自身を嘲笑うかのように、クッと笑いを咬み殺した。


「ミレイを手に入れようと必死だとはいえ、我ながら姑息な手段を考えたものだ」


 だがもし、これでミレイに嫌われたとしても構わなかった。自分の手の届く距離に居てさえくれればいい。


(パラディンのもとへ行かせてなるものか。それに、私情を抜きにしても、ミレイはこの国に……俺や民にとって必要な人間なのだから)


 イリオスが思案にふけっている間に、馬車は離宮の敷地内に入った。


 ――もうすぐだ。


 途端、イリオスは、気分が高揚していくのを感じる。これからしばらくの間、ミレイと二人きりで甘い蜜月を過ごせるのだと思うと、たまらなく嬉しかった。


(……このような気持ち、グレイスの時には感じたことがなかった。グレイスのことは幼い頃から知っていて、妹のような友人のような存在で……グレイスの前では立派な男の仮面を被り、守り、慈しまなければならないと思っていた)


 ――だが、ミレイは違う。


(ミレイにはみっともないところを見せても構わないと思える。ミレイを繋ぎ止めることができるのなら、惨めに泣いて縋ったっていい。それと同じくらい、ミレイを辱め、泣かせ、「愛してくれ」と。「捨てないでくれ」と、懇願させたくなる……)


 イリオスは、正当な王位継承者として、誇り高く、品行方正に育てられて生きてきた。


 しかしミレイに対しては、そんな上っ面だけの王太子イリオスではなく、みっともなくて情けない、だが狂気にも似た愛情を抱えていた。ミレイには、一人の男として意識して欲しい。醜い欲望を受け入れて欲しい。


「……時間はたっぷりある。余計な邪魔も入らない。心ゆくまで愛し合おう……俺の美しきエフィーリア」


 そう言って、車窓の外に視線を移したイリオスは気が付かなかった。


 まだ眠りから覚めるはずのないミレイのまつ毛が震え、いつも可憐な笑みを浮かべる桜色の唇が、妖艶な弧を描いていることを……。





 一方その頃、美澪の自室では、ベッドに寝かされていた美澪が目覚めたところだった。


 美澪は、妙にスッキリしている頭をいぶかしみながら、ゆっくりと視線を巡らせた。すると――


「あ。目が覚めた? 美澪」


 ここに居るはずがない男の存在に、美澪は、驚愕と喜悦に染まった瑠璃色の瞳を大きく見開いた。


「ヴァル……ヴァルなの……?」


「うん。ボクだよ。ヴァルだ。……もしかして美澪、寝ぼけてる?」


 そう言ってクスクス笑う形の良い唇に、美澪は信じられない思いで手を伸ばす。すると、薄っすらと目を細めたヴァルが、


「なーに? もしかして、キスで起こして欲しかったの? ボクの愛しいエフィーリア」


 と言って、美澪の手のひらに口づけた。


「……くすぐったい」


「ええ〜〜。今のは『ドキッ』とするとこなんじゃないの〜〜?」


 口を尖らせて抗議を始めたヴァルを見て、美澪はようやくホッと息をつくことができた。


 しかし、解決していない問題はある。美澪は、今の状況を訊ねようと上体を起こして、サラリと零れ落ちてきた紺青の髪をまじまじと見つめた。


「……え? ヴァ、ヴァル。あたしの髪の毛、なんでこんなに伸びてるの?」


 大いに困惑しながらヴァルを見ると、ヴァルは暫し考え込んだあと、にっこり笑って人差し指を立てた。


「結論からいうとね。美澪のその身体は、ねぇさんの――トゥルーナの身体なんだ」


「……はい?」


 十分な間を開けて首を傾げた美澪に、「うんうん。訳がわからないよねー」と言いながら、ヴァルがひとりで納得する。


「あの鬼畜ド変態から美澪を取り戻すには、美澪の魂をねぇさんの身体に移すしか方法がなかったんだよ」


「そんなことが出来るなら、初夜を迎える前にさっさとやってほしかった気もしますけど……。今まで安易にこのすべを選択しなかったのには、なにか理由があるんですよね?」


 美澪が真摯に訊ねると、ヴァルは真面目な顔でこくりと頷いた。


「緊急事態だったとはいえ、事前になんの相談もしなかったことを謝るよ。ごめん。……で、ここからが本題なんだけど。美澪は今、人間ではなく神になっている」


「へ……?」


 予想もしていなかったスケールの大きな話に、おもわず変な声が漏れた。


「――か、神様ってことは、あたしが生を司る神様になっちゃったってことですか!?」


「その通り。……やっぱり美澪は賢くて話が早いね。ねぇさんとは大違いだよ」


 そう言われて、美澪はハッとする。


「もともと魂は一つしか無いのに、トゥルーナはどうなっちゃったんですか? これって、身体はトゥルーナのものだけど、魂はあたしのものなんですよね!?」


「お察しの通り。トゥルーナは美澪の肉体に宿っている。――魂を持たない、精神だけの存在としてね。……美澪の身体をトゥルーナに渡すのは、苦渋の決断だったんだよ。って、こんなの言い訳にならないよね。ごめんね、美澪」


 いつになく殊勝な態度で頭を下げられ、美澪はどうしたら良いのかわからなくなってしまう。いろいろと問題はありそうだが、イリオスの孕ませ計画からのがれることができたのは、ヴァルとトゥルーナのおかげに違いなかった。

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