第30話 疑問(選考対象外)

「美澪ーー!」


「きゃあっ」


 美澪のベッドに突撃してきたヴァルが、「うわーん」と泣きながら、美澪の腰に抱きついてきた。


 「心配したんだからねぇ~~」と泣きながら、腹部に額を擦り付けてくるヴァルの頭を、グイグイと引き剥がそうとする。


「ちょっ、離れてくださいっ」


「いやだぁ~~」


「嫌じゃないっ! は~な~れ~て~く~だ~さ~い~!」


 しばらくの間、美澪とヴァルの攻防戦が続いたが、結果は美澪の敗退で終わった。勝利したヴァルは、満足そうに、美澪の腹に抱きついている。そんなヴァルの様子を、美澪は「仕方がないですねぇ」といいながら笑って見た、


「体調はもう大丈夫そうだな」


「はい。もう、すっかり――」


 と言いかけて、美澪はぎょっとした。


「イ、イリオス殿下……! いつからここに……」


「最初からだ」


 イリオスにフッと笑われて、美澪は羞恥心にかられた。美澪は、真っ赤になった顔を隠すために、頭からシーツをかぶる。


(ヴァルのバカ~~!)


 ただでさえ、花園での一件で気まずい思いをしているのに――夫婦の営みは義務的に行っているが――子どもっぽい醜態をさらしてしまって、身の置き所がない気持ちだった。


(つい隠れちゃったけど、どのタイミングで顔を出せばいいの!?)


 シーツにくるまり、ひとりでパニックに陥っていると、ひとが近づく気配がした。それからバサッとシーツを剥ぎ取られ、驚いた美澪の瞳に映ったのは、イリオスの姿だった。


「……病み上がりだろう。ちゃんと休んだほうがいい」


 もっともなことを言われ、美澪はおとなしく「……はい」と答えるしかなかった。


「横になるか? それとも起きておくか?」


「起きときます……」


「わかった」


 と真面目な顔で頷いたイリオスは、上体を起こした美澪の背後に、せっせとクッションを敷き詰めはじめた。


「で、殿下。そこまでしなくても……!」


「駄目だ。病み上がりなのだから。それに、腰が痛むといけないだろう」


 有無を言わせないイリオスの態度に、美澪は困ったように笑って、おとなしく世話を焼かれることにした。


 イリオスはシーツを腹部に掛け直すと、その上に厚手のブランケットを掛けた。仕上げに、ヘッドボードに掛けてあったカシミヤのストールを、美澪の肩にふわりと掛ける。


「これでいいだろう」


 そう言って、イリオスは満足そうな顔をした。その姿を見て、美澪の胸の奥がきゅんと切なく鳴き、ほんのりと温かくなっていく。


 美澪の顔は自然とほころび、ストールの合わせ目をきゅっと握りしめて、「ありがとうございます」と笑みをこぼした。


 イリオスは褐色の肌をほんのり色づかせ、気後れするように控えめに笑った。


「無事に目覚めたところを確認することができたから、俺は会場の様子を見てくる。……メアリーを呼ぶか?」


 美澪はふるふると首を振る。


「そうか、わかった。……ミレイ。今日は一晩ゆっくり休むといい」


 そう言って、美澪を避けるように退室していく広い背中を見送ってから、美澪はこてんと首を傾けた。


「……ねぇ、ヴァル。殿下の様子、なんか変じゃないですか?」


「ん~~、別に? 4日間もパーティーに出れば、流石の体力馬鹿でも、疲れが出ちゃったんじゃないの?」


「そうなんですかね……?」


 美澪は釈然としない気持ちで扉を見つめた。


「それはそうと。――ヴァル」


 それだけを言って、美澪は黙り込む。すると、イリオスの話題をどうでもよさそうに聞いていたヴァルの動きが止まった。


 暫し――ヴァルにとっては気まずい――沈黙が落ち、壁掛け時計の秒針の音だけが空間を支配する。やがて時計の長針と短針が深夜零時を指した。


 ボーン、ボーン、と振り子時計の音が鳴り、最後の10回目が鳴り終わると、美澪はすぅ~っと息を吸った。


「ヴァル。……あたしに言うことがありますよね?」


「う、うん?」


 ベッドの脇の椅子に座っているヴァルの横顔を、穴が空く程じーっと見つめる。すると、だらだらと冷や汗をかきはじめたヴァルが、「あーもー、降参だよ」と言って両手を上げた。


 美澪は満足気に頷く。


「あたしの質問に、正直に答えてくださいね?」


「……うん」


「あの葡萄ジュースの中には、なにが入っていたんですか?」


「……ボクの血液です」


 美澪は両手で顔を覆い、天井を仰いで「はぁ~~」と長いため息を吐いた。


 そして、イタズラをした子どもを叱るように、怒った声を上げた。


「ヴァル……どうしてそんな事したんですかっ」


 ヴァルはビクッと頭を庇った。


「だって、美澪の魂が穢れてて、そのせいで体調が悪そうだったから……」


「だったら、パーティーが始まる前に飲ますとか、パーティーが終わってから飲ませるとか。とにかく、パーティー中じゃなくてもよかったんじゃないですか!?」


「美澪、ぜったいに嫌がるじゃん!」


「『血液を飲む』なんて、誰でも嫌がると思いますけど!?」


「でも、あのままだったら美澪、喀血してたかもしれないし……」


「喀血するくらい別にどうでも……って、喀血!?」


 ヴァルの爆弾発言に、「どういうことですか!?」と、肩を落としていじけるヴァルに詰め寄る。


 ヴァルは澄んだ支子くちなし色の瞳に薄っすらと涙を溜めた。


「だって、美澪は痛いのも血を見るのも嫌いでしょ? それにボクの血を飲むことも拒むでしょ? だからどうしようかと悩んでたら、思った以上に穢れの浸食が早くて……。ああするしかなかったんだもん……」


「穢れの侵食……」


「でも、ボクが悪かったよね。ごめんなさい」


 と涙をこぼしたヴァル対して、美澪はハァとため息を吐いた。


「み、美澪?」


 美澪は、おどおどするヴァルに対して、右手の平を突き出した。


「……わかりました。謝罪は受け入れましょう」


「! ありがとう、美澪!」


 そう言って、満面の笑顔で抱きつこうとしてきたヴァルをサッと避ける。


 ヘッドボードに顔面アタックをキメたヴァルは、赤くなった額を押さえながら、しょんぼりと椅子に戻った。


「酷いよ美澪……。これ、人間だったら頭カチ割れてたよ……」


「おおげさです。謝罪は受け取りましたが、いま、あたしは怒っているんです。ハグは仲直りしたあとにしてください」


 美澪がバッサリ言い切ったあとも、ぶつくさ言うヴァルに苦笑して、美澪は「あ」と声を上げた。


「ん? どうしたの?」


「ヴァル。さっき穢れの浸食がどうのって言ってましたよね?」


 ヴァルはこくりと頷いた。


 美澪は下唇を舐めてから、頭の中で考えていることを話した。


「あたしが殿下を浄化するようになって、まだ数日しか経ってませんけど、魂の穢れってものをなんとなく認識出来るようになってきたんです。それで不思議に思ったんですけど……。殿下の魂の穢れは、こんなに短期間で、あたしの身体に支障をきたす程の穢れじゃなかったと思うんです。それに、エフィーリアは自分の血液で魂の穢れを浄化できる筈なのに、今朝試した時は全く効果がなかった……。どうしてこんな事になってるのか、ヴァルは知ってますか?」


 そう言って支子色の瞳をじっと見つめると、ヴァルは悲しそうな表情を浮かべて、穢水えずいのことや王妃殿下のことを話した。

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