第26話 花園(選考対象外)

 謁見の間から退室して廊下に出ると、美澪はようやく肩の荷が下り、呼吸が楽になった気がした。そうして胸をなで下ろしていれば、イリオスが侍従たちを下がらせて、再び美澪の右手を握った。


「えっ」


 驚いた美澪が手を振り解こうとすると、イリオスは指を絡めて恋人繋ぎをしてきた。


(なっ、なんで!?)


 美澪は顔を真っ赤にしながら、繋がれた手をブンブンと振ったが、イリオスの手が離れることはなく。そのかわりに、クックッと含み笑う声が頭上に降ってきた。


「なにがおかしいんですかっ」


 美澪はイリオスを見上げてキッと睨みつける。するとイリオスは、「いいや、別に?」と答えて、美澪の手を引っ張った。


「きゃっ! ど、どこに連れて行く気ですか?」


「秘密の場所」


「ひみつのばしょ……?」


 手を引かれながら復唱すれば、顔を半分だけ傾けたイリオスが、ニッと白い歯を見せて笑った。廊下の窓から差し込む光を背にして笑う姿が眩しくて、美澪は口を引き結んだ。


 二人は無言のまま本館の廊下を歩き、別館に続く扉を開けて、アプローチを通っていく。手入れが行き届いていないのか、草花が生い茂る様子を眺めながら別館に辿り着いた。すると、イリオスがジャケットの内側から鍵を取り出し、観音扉のハンドルに巻かれた鎖の南京錠に差し込んだ。


「……ここって閉鎖されているようですけど、入ってもいいんですか?」


「本来は禁止されているが、ここの鍵を持つ俺だけは例外だ。――開いたぞ」


 イリオスが左側の扉を開くと、蝶番がギィィィと不快な音をたてた。


「さあ、入ろう」


 イリオスが左手を差し出してきた。


 美澪は逡巡したのち、イリオスの手に右手をのせる。するとイリオスはフッと微笑み、美澪の手をギュッと握った。


「もう少しで着く」


 そう言って、薄暗い別館の廊下を通り、開けた場所に着いた。そこには、色とりどりのバラとサルビアなどの宿根草しゅっこんそうが咲き誇っていた。


「わぁー、綺麗……!」


 美澪はイリオスから手を離し、花園の中心へ駆けっていく。鮮やかな赤バラの花弁をなで、ピンク色のバラの香りを嗅いでみる。


「いい匂い」


 甘く芳醇な香りを楽しんでいると、ふと、バニラの香りが鼻腔びくうをかすめた。


 美澪が振り返るとイリオスが立っていて、手に持っていた白バラを美澪の耳の上に差し込んだ。


「……ミレイの髪色には、白いバラが良く似合う」


 そう言って、イリオスはフッと優しく笑った。


「っ、」


 美澪の心臓が高鳴り、頬が熱をおびていく。なんとなく、イリオスに見られたくなくて、美澪は顔をそむけた。


「……ここがどこか聞いてもいいですか?」


 居心地の悪さをごまかすように質問をする。すると、一拍ののち、イリオスが口を開いた。


「ここは、俺の母上が愛した花園だ」


「あ……」


 美澪はとっさに口元を押さえた。


(そういえば、エクリオの先代エフィーリアが亡くなって1年が経つって……)


 美澪は、メアリーと一緒に調べた内容を思い出した。


 返答に困った美澪は、なにも言えずに口を閉じた。


 その反応を良いように受け取ったのだろう。イリオスは寂しげな表情を浮かべつつ、美澪の頭を優しくなでた。


「気まずい思いをさせてしまったな。……すまない」


「い、いえ。大丈夫、です」


 美しい花園に重い沈黙が落ちる。


(な……なにか、なにか言った方がいいよね?)


 心中で焦る美澪をよそに、沈黙を破ったのはイリオス

だった。 


「ミレイ」


「はい」


「ミレイは、ヴァートゥルナとゼスフォティーウの物語を知っているか?」


 美澪はふるふると首を横に振った。


「ヴァートゥルナの魂とゼスフォティーウの魂を持つもの同士を結婚させて、魂の穢れを浄化する。そして、穢れの少ない魂を持つ子どもを何代にもわたって作り続けて、魂の完全な浄化を目指している……とだけ」


 美澪の言葉に、イリオスは、悲痛な表情を浮かべる。


「そうか。……エクリオには、こういう言い伝えがある。――ゼスフォティーウはヴァートゥルナと子を成し、エクリオを治める。しかしゼスフォティーウは人間の娘を愛し、ヴァートゥルナを……殺す」


「……え?」


 美澪は目を丸くしてイリオスを見た。


 二人の間を、風がザァと吹き抜けていく。


(ゼスフォティーウがヴァートゥルナを殺す? じゃあ先代の王妃殿下が亡くなったのって……)


 美澪は表情がこわばるのを感じた。その姿を見たイリオスが、美澪のまろい頬をスルリとなでる。


 美澪の身体がびくりと震え、イリオスは苦笑いを浮かべた。


「母上は自害したんだ。父上がグレイスを愛妾にしたことに耐えられずに。……母上は父上を愛していたから」


「国王陛下は、殿下のお母様のことを愛していなかったんですか?」


「さぁ……分からない。訊ねたことがないからな。ただ、これだけはハッキリと言える。……父上はグレイスを愛している。心から」


 そう言って、イリオスは遠くを見遣った。


 哀愁漂う横顔を見ていると、美澪の胸がキュウっと苦しくなった。それと同時に恐怖も感じた。


(あたしも死んじゃうの? 元の世界に戻ることもできずに?)


 美澪は乾いた唇をひと舐めし、生唾をゴクリと飲み込んだ。


「……イリオス殿下は、グレイス王妃殿下を愛しておられるのですよね?」


 イリオスは美澪に視線を移して、「そうだ」と頷いた。


 美澪は震える両手を胸の前で組むと、祈るように瞳を閉じて、わななく唇を動かした。


「――あたしも死にますか?」


 言って、ゆっくり目蓋を開け、イリオスを見つめる。


 イリオスは美澪に向き直り、「それはない」と答えた。


「なんでそう言い切れるんですか?」


「そなたを愛せなくても、伴侶として尊重し、大切にするつもりだ」


「……王妃殿下を愛してるのに?」


「そうだ」


 美澪は不安と嫌悪がないまぜになった、複雑な表情を浮かべた。


「あたしの故国は一夫一妻制なので、正直こちらの常識には嫌悪感を覚えます。だけどあたしは、エフィーリアの使命を果たすと決めてエクリオに来ました。だから、あなたの子どもを産む覚悟はできています」


「そうか。ありが――」


「でも! あたしは元の世界に帰りたい」


「……なんだと?」


「あたしは別に、殿下のことを愛していません。上手くできるか不安だったけど、初夜もこなしました。妊娠できるか分からないけど、子どもを産む意志はあります。だけど、無責任かもしれないけど。使命を果たしたら、あたしを自由にしてください!」


 そう一息に言い放つと、美澪はきびすを返した。


「……そろそろ戻ります。今夜のパーティーの準備があるので」


 美澪はイリオスの反応を確認することなく、花園から走り去る。


(そうよ、これでいい。あのひとに愛してもらおうなんて、これっぽっちも思ってないんだから)


 美澪は心が軋む音を無視して、ただひたすらに足を動かした。

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