第11話 神力

「ミレイ様。もうよろしゅうございます」


 美澪が慎重にバスタブから出ると、メアリーと神女の3人がかりで全身を拭かれた。そして用意されていたバスローブを身にまとう。それから室内用のスリッパを履き、メアリーに案内されるまま、ドレッサーの前に座った。


「ミレイ様。これよりご支度をお手伝い差し上げます」


「よろしくお願いします」


 2人の神女が、美澪の白磁のような柔肌に香油を塗り込み、メアリーが鎖骨まで伸びた紺青の髪を丹念にいていく。それから、肌の白さを引き立てるように化粧を施され、髪を複雑に結い上げられた。


「ミレイ様。こちらのご衣装がミレイ様の正装となります。本来は水色の衣装をご用意させていただくのが慣例ですが、この度はすぐにエクリオへ向かわれますので、エクリオ王室のものをご用意いたしました」


 そう言われて、美澪は撫子なでしこ色のエンパイアスタイルのドレスに着替えた。ドレスは紫みを帯びた薄い赤色のシルクオーガンジーで作られており、動くたびにふんわりと揺れる風合いは、花弁のように軽やかで美しい。


「ミレイ様、こちらを」


 言われて、素肌を隠すように、絹糸と銀糸で刺繍ししゅうされた長袖のボレロに袖を通す。それから琥珀のピアスとネックレスを身に着けて、緻密な刺繍を施し、さらに宝石をあしらったフラットシューズを履いた。


 そして最後に、レースで縁取ったベールを頭に被せ、その上からネックレス状のティアラを乗せることで、ようやく身支度が完成した。


「最終チェックをお願いいたします」


 言って、神女たちが全身鏡を運んできた。


 美澪は鏡に映る自分の姿を見て、感嘆の声を漏らす。


「……凄い。別人みたいです……」


 いろんな角度から自分の姿を眺めたのち、神女たちにねぎらいの言葉をかけて退出してもらった。


「ふぅ~……つかれた」


 ドレスがシワにならないように注意してソファに座る。背もたれによりかかった美澪は、長い束縛から解放されて、ようやく呼吸が楽になった気がした。


「ふふっ。お疲れ様でした」


 メアリーは上品に笑いながら、ソファの横に立った。

 

「……でもまだ前哨戦なのよね。コレ……」


 ははっ、と乾いた声で笑った美澪は、扉をノックする音に姿勢を正した。


「どうぞ、入ってください」


「入るね、美澪」


 美澪が入室を許可した相手はヴァルだった。


(なぁんだ、ヴァルか)


 気を張っていた美澪は、相手がヴァルだと認識するなり、再びソファにもたれかかった。


 大事な儀式をする前に、すでに満身創痍まんしんそういの美澪を見て、ヴァルは思わず苦笑した。


「とっても可愛かわいくしてもらったのに、そんな景気の悪い顔をしてたら、エクリオの王太子が驚いちゃうよ」


 美澪はフン、とそっぽを向き、


「あたしは連日連夜のマナー講習や教養の授業ですっごく疲れてるんです。できることなら今すぐにベッドに入って爆睡したいくらいなのに、慣れないお化粧やドレスまで着せられて、元気でいられる方がおかしいと思います」


「それは確かに」


 クックッ、と忍び笑ったヴァルは、


「それにしても、お世辞抜きに綺麗だよ。今すぐボクの神域に連れ去りたいくらいだ」


 言って、うっとりと目を細めた。


「それでそのまま日本に帰してくれたり……?」


 と尋ねた美澪は、困ったようにほほ笑んだヴァルを見て、「……今のは忘れて」と右手を振った。


 美澪はハァ、とため息をいて、ズキズキと痛む頭を押さえた。


「ミレイ様、お加減が悪うございますか? お顔の色が悪くなってまいりましたわ」


 言って、メアリーは美澪の額に手を当てた。


「……お熱はなさそうです。わたくしの神力で治療いたしましょうか?」


 そう言って、手をかざそうとしたメアリーの手を押し止める。


「しんどいけど、大丈夫。それにいま神力を使っちゃったら、メアリーの具合が悪くなっちゃうでしょ?」


「……申し訳ございません。わたくしが未熟なばかりに」


「謝らなくていいから。ね、大丈夫だから」

 

 メアリーの手前大丈夫だと言ったが、冗談ではなく、3日間の疲れが心身に支障をきたしていた。


「よくあるファンタジーものみたいに、治癒魔法とか、疲労回復ポーションとかがあればいいのに」


 誰に言うでもなくつぶやいた言葉に、


「魔法はないけど、神力で体力を回復させることはできるよ」


 こともなげに、サラリと言ってのけたヴァルは、唖然あぜんとする美澪のそばに寄ると、テーブル上に置いてあるフルーツ皿からペティナイフを手に取った。


 そしてそのまま、自らの手のひらを切りつけた。


「きゃっ!」

「ひっ!」


 メアリーと美澪の悲鳴が重なる。


 美澪は顔を両手で覆って、指の隙間から様子を伺った。対してメアリーは、美澪を守るように一步前に出た。


「パ、パラディン伯様……! 血が……!」


 パックリと切れた傷口から、鮮やかな真紅の血液があふれ出す。ヴァルは、メアリーの存在を無視して、傷口を無感情で眺めている。そうして、血溜まりが出来た手の平を、美澪の口元に差し出した。


「飲んで」


「……は?」


 理解不能なことが立て続けに起こり、とっさに反応出来なかった美澪に、ヴァルはもう一度「ボクの血を飲んで」と言った。


「い、いやいやいや。突然そんなことを言われて『はい、わかりました』って、他人の血を飲む人なんています!?」


 美澪は首を横に振りながらヴァルから距離をとると、拒否を示すように手で口元を隠した。


「……飲まないの?」


 しょんぼりと眉尻を下げるヴァルに、


「飲みません!」


 と言った美澪は、メアリーに目配せをした。メアリーは膝を軽く曲げたあと、手近にあったナプキンを持ち、ヴァルの手に巻きつけた。止血のためにギュッと強めに結び目を作る。


 応急処置を終えたメアリーは、美澪の側に戻ってきた。


 美澪は眉根を寄せて口を開く。


「あたし、言いましたよね。痛いのが怖いって。あたしに貧血で倒れてほしくなかったら、もうこんなこと、しないでください」


 青白い顔をした美澪に怒られたヴァルは、素直に「ごめんなさい」と謝った。そうして――


「んぐっ!?」


 反対の指先に付着させた血液を、美澪の口内に差し入れた。

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