第9話 礼拝堂

 神女に案内されて辿たどり着いた礼拝堂には、すでに神官長とメアリーの姿があった。


 美澪は満面の笑顔でメアリーに駆け寄る。


 美澪たちより先に礼拝堂に足を踏み入れた神女は、神官長に何事かを耳打ちしたのち、美澪に拝礼して下がっていった。


 神女の背中を見送ったあと、美澪はメアリーの腕に自分の腕を絡めた。それからメアリーの耳元に顔を近づけて、内緒話をする格好をした。


「神官長から話があるって聞いてドキドキしてたんですけど、メアリーがいてくれて安心しました」


 そう言ってふふっと笑えば、メアリーも美澪の耳元に口を寄せて、


「気がついた時にミレイ様のお姿が見えず、心配いたしました。……目元の腫れが引いてようございましたね」


 と言って微笑んだ。そして、


「神官長様からお話があるそうです。ミレイさまはどうぞこちらに」


 メアリーに促されるまま、ミレイは女神像の前に立った。


 神官長は美澪の前まで来ると、床に膝をついて叩頭こうとうした。とても居心地が悪かったが、拝礼する理由わけを知ったので、口を引き結んで気まずさに耐える。


 神官長はゆったりと立ち上がり、軽く頭を下げた。


「エフィーリア様におかれましては、突然の召喚にご心労のことと存じます。故国から離され、そのご心痛いかばかりかとお察し申し上げます。わたくし共の身勝手をお赦しくださいとは申しません。しかし、わたくし共を哀れと思うてくださるのならば、どうか、謝罪をさせていただきたく」


 言って、神官長は再び膝をつこうとした。


「やめてください、神官長さん! 神官長さんの気持ちは十分伝わりましたから……!」


 美澪は神官長のそばに片膝をつき、彼の身体からだを支えた。それに対して神官長は感極まった様子で、


「おお……なんと慈悲深い……。エフィーリア様のご温情に感謝申し上げます」


 両手を組み、祈りを捧ささげるように拝礼した。


 神官長の対応に困っていた美澪は、神官長の側に控えていたヴァルと瞳が合うなり、サッと視線を外した。するとヴァルは、


「神官長殿。エフィーリア様がお困りです。エフィーリア様は慈愛に満ちたお方。あまりに畏まった態度は逆にお心を煩わせるだけです」


 と言った。そしてヴァルは、「エフィーリア様、お手を」と言って美澪の手をすくい、立ち上がらせた。その所作は清廉で品があり、まさにパラディン伯と名乗るに相応ふさわしい姿だった。


 思わずヴァルに見惚みとれてしまっていた美澪は、メアリーの「ミレイさま」と呼ぶ声で我に返る。そしてすぐにハッとして神官長を見た。突如として割り込んできたヴァルの存在に違和感を持ったのではないかと心配したからだった。


(どうせ正式なパラディンじゃないくせに! パラディンじゃないってバレたらどうするのよ!)


 しかし、想像したような最悪な状況にはならなかった。むしろ、委細承知したといった様子のリヴァースらの反応に、美澪の方が狼狽うろたえたくらいだった。


「では、神官長殿。エフィーリア様にご説明を。……時は有限ですので」


 遠回しに「さっさとしろ」と言われたにもかかわらず、リヴァースは特に気にした様子もなく、どちらかというと恐縮した様子だった。その光景に美澪はポカンとする。


「パラディン伯殿の仰っしゃる通りですな」


 と言った神官長に、美澪は目を丸くした。


(根回しバッチリじゃない!)


 キッと睨んだ先には、愉快で仕方がないといった様子のヴァルがいて、心配した自分に腹が立った。


 しかし神官長に、「エフィーリア様」と呼ばれて、とっさに平静を保つ。


「まもなくエフィーリア様には、エクリオにお輿入こしれいただくことになっております」


 美澪はいますぐに元の世界に帰れない事実と、自分にしか成しえないという、責任感が混じり合った複雑な感情を抑え込んだ。


「はい。エクリオ王太子殿下の魂を浄化するために、エフィーリアのあたしが嫁ぐ必要があるんですよね」


「その通りにございます」


「正直、まだ完全には覚悟できてません。でも、あたしが責務を果たすことで、大勢の人たちを危険から守ることができるなら……」

 

 美澪は強く握りしめていた両手の拳を開き、胸の前で指を組んだ。


「精一杯、頑張りたいと思います」


 美澪の言葉に神官長は目尻を赤くした。


「……それではエフィーリア様。お輿入れについてですが、神殿の祭儀を務める副神官長に一任しております。ですのでエフィーリア様には、ご出立なされるまでの間、貴族女性としての最低限のマナーと教養を学んでいただきたく存じます。――メアリー」


 神官長に呼ばれたメアリーは、いつもとは違うバレリーナのようなお辞儀をした。


「神官長様の命により、神女から還俗いたしました、ラウィーニア伯爵家のメアリー・ド・ラウィーニアと申します。ご出立までの3日間、精一杯ご指導して参りますので、よろしくお願いいたします」


 にっこり笑ったメアリーに、初めて恐怖心を抱いた美澪は、蚊の鳴くような声で「よろしくお願いします……」と言った。


 こうして、エクリオに輿入れするまでの3日間。


 美澪は想像を絶する日々を、死に物狂いで生き抜いたのだった。

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