第4話 異世界召喚
潮騒に似た音が鼓膜を震わせ、強烈な光が収束すると、神域とは異なる緑の青臭い香りが鼻腔を刺激した。その瞬間、美澪の身体は浮遊感を失い、空中から草地にゆっくりと着地した。
「うぅ……っ」
乗り物酔いに似ためまいに襲われ、膝から崩折れた美澪は、側頭部を押さえながら瞳を開けて驚愕する。
美澪の視界に映り込んできたのは、青々とした木々と、一様に
(なに、これ)
自分の置かれている状況が理解できず、美澪は
(この光景、中国の宮廷ドラマで見たことがある……)
しかし、
(……中国じゃない。ここはどこ……?)
美澪は、めまいでふらつく頭を押さえて、ゆるりと首を動かした。
すると、皆の前で一人だけ
「
「えふぃーりあ……しんかんちょう……」
聞き慣れない文字の羅列が耳を素通りしていく。
神官長は顔を上げると、
「はい、そうでございます。あなた様はエフィーリア……女神ヴァートゥルナ様の魂を継ぐお方にございます。この度は我々の召喚に応じてくださり、謹んで感謝申し上げます」
そう言って、再び拝礼をした。
美澪はその様子を、他人事のようにぼーっと目にする。そうしてささやくように、「ヴァートゥルナ……召喚……」と復唱した。
美澪の声に顔を上げた神官長は、先程まで
「エフィーリア様? いかがなさいましたか? もしやお加減でも――」
と言って、手を伸ばしてきた。
しかし美澪は、その手をバシッと払い除ける。
「っ、嫌!」
美澪に拒まれると思っていなかったようで、神官長は驚いた表情を浮かべて目を丸くしている。
「エフィーリア様……?」
美澪の顔には、隠しようのない警戒心がありありと浮かんでいた。
「……お願い。あたしに近づかないで……!」
美澪は恐怖に顔を引きつらせ、ぶるぶると震える
『キミを召喚したのは、人間たちだよ』
(あたし、このひとたちに召喚されちゃったんだ……!)
そう理解した途端、美澪の頭の中は真っ白になり、戦慄く唇からカチカチと歯の鳴る音がした。
そのうち、呼吸が浅く早くなり、両手の指先の体温が失われしびれていった。美澪は、はっはっと息を吸いながら、感覚を失いつつある両腕を持ち上げ、自分の頭を抱え込んだ。
(苦しい、息ができない。あたし、死んじゃうの……?)
美澪がパニック発作を起こしている間、誰かが必死に呼びかけてきたような気がしたが、その言葉を理解する余裕はなく、ついには地面に倒れ伏してしまった。
(……こわい。恐いよ……お父さん、お母さん……)
白くまろい頬を、一筋の涙が流れていく。その瞬間――
美澪の身体が強く発光し、金の粒子のようなものが肢体を包み込んだかと思うと、倒れ伏していた身体はひとりでに起き上がり、まるで聖母マリア像のように、神官たちに向けて両腕を前に差し出した。
意識をもうろうとさせ、むせび泣いていた美澪の変わりように、神官長たちは動揺し身構えた。
「エフィーリア様。どうか、お気をたしかに……!」
その呼びかけに応えるように、美澪は閉じていた目蓋を
今まで叩頭していた神官たち、
皆が混乱し、神官長に指示を仰ごうと集まる中。それまで動きのなかった美澪の口が開いた。
『聞け、信徒たちよ』
言われ、皆が一斉に振り向いた。
『
その場にざわめきが起きたものの、神官長の
『この者――
おお、やはり、と控えめな声が上がる。
『その名は、ミレイ・ディ・エフィーリア。――私の心に
言って、声が途切れると、美澪の身体はひときわまばゆい光を放ったのち、その場に崩れ落ちた。
光が消え去り、その場に静寂が満ちる。神官長はエフィーリアに駆け寄り、力なく横たわる身体を抱き上げると、「メアリー」と声を上げた。
神官長に呼ばれ、彼の足元に参じて跪座した少女――メアリーは、美しい作法で拝礼し、「お呼びでしょうか、神官長様」と顔を上げた。
「うむ」と振り返った神官長は、「ついてきなさい」と言って神殿の奥へと歩き出した。彼が向う先には、高貴な要人のために用意された居室がある。
神官長の3歩後ろを影のように追いかけていたメアリーに彼は言った。
「今この時より、おまえを還俗させ、エフィーリア様の侍女の任を与える。メアリー・ド・ラウィーニア。手抜かりなきよう、一心にお仕えしなさい」
メアリーは間を置かず、
「ありがたき栄光に感謝いたします。ブロネロー神殿の元見習い
と言って、額を床に擦り付けて叩頭した。そのとき――
「その娘がエフィーリアか?」
寝殿の石柱の影から、ひとりの男が現れた。エフィーリアを抱えていた神官長は、軽く膝を曲げ、頭を下げようとした。
「これは、おう――」
「礼は良い。今はエクリオ王太子殿下の侍従、ハーバートだ」
そう言って、ハーバートは白い歯を見せた。それから、じーっとエフィーリアを見ていたハーバートは、「ふむ」とひとり頷いた。
「そうだ、神官長。エフィーリアは私が抱えていこう」
ハーバートの提案に、神官長は
「そのような無礼を働くことは出来ませぬ」
「良い。数日後には私の妃となる者だ」
ハーバートは一瞬だけ眉をひそめると、何事もなかったかのように両腕を広げた。
これ以上なにを言っても無駄だと判断した神官長は、横抱きにしていたエフィーリアを、赤ん坊を手渡すときのようにハーバートに近づけた。
「……では。お言葉に甘えまして。慎重にお願いいたします」
「承知している。案ずるな」
言って、神官長からエフィーリアを受け取ったハーバートは、神官長とメアリーを連れて居室へと向かったのだった。
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