前世が漆だとか言う工芸部の後輩がグイグイ来るが、職人たるもの顔色ひとつ変えない。
ぬりや是々
プロローグ
雪の朝と赤い花
台所の食卓の上に用意されたお弁当箱を手に取りながら、わたしはママの姿を探しました。
昨夜から降り始めた雪に冷やされた台所の空気はキンっと冷たくて、さむいさむい言いながらわたしは手にしたお弁当箱を軽く胸に抱きます。
ほんのりとした温かさをありがたく感じました。
中学生の時から度々使っていたこのお弁当箱は曲げた木に漆塗りで、わたしのような10代の女子の持ち物としてはちょっとシブ目です。
学校で友達や先生にイジられるのが嫌で、一度別の物に変えましたが何となくご飯の味が口に合わず、それ以来このお弁当箱を使っています。
高校生となった今では毎日の愛用品です。
美味しいごはんは大事なのです。
除雪車の作業の音は聞こえないので積雪はそれ程でもないとしても、この季節は最寄りの駅までママに車で送迎してもらわなければ通学もままなりません。
「ママ、準備できました〜」
廊下の先、和室の襖を開けながら声をかけます。
ママは手にした桐の小箱から丸い木の工芸品を取り出し、床の間の飾り台に置いているところでした。
「ちょっとだけ待ってね」
少し顔を上げ言って、ママはまた手元の工芸品に視線を戻します。
高さは10センチないくらいの丸みを帯びた円柱状で、わたしのお弁当箱と同じような漆塗りの茶色だけど、フタのところに赤い花の絵が描いてあります。
年に一度、この季節になるとママはそれを箪笥から出して来て床の間に丁寧に飾るのでした。
わたしの記憶にある限り毎年。
わたしの記憶にないそれまでの毎年にもきっと飾っていたんだ、と思えるちょっとした儀式のようでした。
飾り台の上でそのお茶道具を回し位置を整えるとママは小さくうん、と言ってうつむいた顔にかかっていた黒髪を耳にかけます。
わたしはママの横顔を見てあ〜あ〜と思いました。
もうね、ダメですね。
それ恋する乙女の顔ですよ?
何となく見てるこっちが気恥ずかしくなり視線を逸らしてしまいました。
お昼休み、机を並べお弁当と一緒に広げられるいわゆるコイバナ。
ここのところお昼を一緒にしている友達がよくする表情とママの横顔。
花よりお弁当なわたしでもわかります。
わかっているような気がします。
アンタはどうなのよ? と友達に聞かれますが、わたしはうーん? としか答えられません。
友達は部活の先輩に夢中です。
わたしはお弁当に夢中です。
「さて、行きましょうか。お弁当持った?」
立ちながら言ったママの表情はいつもの感じでした。
わたしは左手で親指を、右手でお弁当箱を軽く掲げ頷きます。
幸い積雪はそれ程酷くなく、わたし達家族の暮らす自宅件工房のある山の上から、毎朝通学に利用する麓の駅まで降りれば道路のアスファルトも覗いていることでしょう。
ママはわたしを乗せ4WDの軽自動車を慎重にスタートさせます。
道路に積もった雪で時々タイヤが軽く滑ると、おととっとママはハンドルを回して車体の向きを修正します。
ちょっとはしゃいだ様なママの声はレースゲームでも楽しんでいるようでした。
わたしを降ろす為、駅前の小さなロータリーに入りながらママが独り言なのか、わたしに言ったのか曖昧な感じで言葉をこぼしました。
「咲きそう、もう少しで」
見ればロータリー横に隣接する住宅の庭木に赤い花の蕾が見えます。
う〜ん。さてさて。今のママは果たしてどんな表情をしているのでしょう?
赤い花の蕾に向けたママの顔は黒髪に隠れて確認する事はできませんでした。
「また帰りに連絡します」
発車したママの車を見送り、わたしはホームでスマホを手にもう少しで咲くという赤い花を検索しました。
ふむふむ。果たしてそれはよく知る名前の花でした。
花言葉まで調べるほど乙女でないわたしは、今日のお弁当のおかずに想いを馳せるのでした。
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