第26話 試験当日

試験当日の日曜日、カーテンを開けた俺を迎えたのは太陽ではなく曇に包まれた暗い空だった。

毎朝の様にテレビで見るお姉さんが指さしている今日の天気は、午後から晴れることを示している。


朝食を食べながらそれを横目に眺め、いつものように朝の支度を済ます。

制服に身を包み、凪咲から預かっている狐の仮面をスクールバッグに入れる。


「じゃ、見に行くから頑張ってね」


玄関で靴を履いていると、洗面所から顔を出してきた母さんの声を背中に受ける。


「一応言っておくけど、気軽に話しかけに行くのやめてよ?父さんに」

「分かってるって。もし話すことがあったとしても、ただのファンとしてだから大丈夫」


そう軽く言葉を返され、心の中にある不安は大きくなる。

その気持ちを抑えるように軽くため息をつき、ドアに手をかける。


「行ってきます」


ドアを開けると、先ほど部屋の窓から見た曇り空が目に入る。

その光景が目に入ってくるのと同時に、隣の家から扉の開く音が聞こえた。


「あ、おはよ」

「おはよう」


お互い同タイミングで出てきたことに驚きながら朝の挨拶を交わす。


凪咲が家の鍵を閉めたことを確認すると、俺の隣に並んでくる。


「じゃ、行きましょうか?」










いつもの通学路を、いつものような雑談をしながら歩く。

いくつかのやり取りを交わすうちに、少しづつ緊張もほぐれていった。


「やっぱり人少ないわね~」


校門を抜けた先の道を、凪咲が少し前を歩きながらきょろきょろと辺りを見回している。

実際明らかに人の数は少なく、通学路の途中で見える来客者用の駐車場もまだ少ししか埋まっていなかった。


「あ~あ。でも暇ね~......あと4時間ぐらいあるでしょ?待ち時間」

「俺はありがたいけどな。心の準備出来るし」

「え~?要る?心の準備とか」


クルっとこちらを振り返った凪咲の目には純粋な疑問の色が浮かんでいる。


「こちとら一般人なんだ。場慣れしてないんだよ」

「もしかしたら今日で一般人卒業かもよ?審査員の人に声かけられたりしちゃってさ」

「流石に無いだろ......試験の目的は芸能科の生徒なんだから俺と相田さんなんてそもそも見られないんじゃないか?」

「そうかなぁ~?全然あり得ると思うけどね、私は」

「天下の凪咲様に認められているようで光栄です」

「うむ。くるしゅうない」


芝居がかった言葉を返すと、凪咲も満足そうに頷いた。


「というかさ~......」


その動作から一転、何かを思いついたようにいつもの様なニヤニヤした表情に切り替わる。


「意外だなぁ~?いつも自分はクールですって言ってるような顔してるのに緊張とかするんだ~?」

「いや、普通にするだろ......」


俺だって普通の人間なのだ。


「ん~どれどれ?私が確かめてあげよう」


そう言って校舎に向かわせていた足を止め、俺の方に向かってくる。

凪咲が足を止めたタイミングで俺も歩みを止め、また何かするのかと呆れ半分で凪咲を見つめていると、いきなり凪咲が胸に飛び込んできた。


「......何してるんだよ」


からかいの材料にならない様に動揺を隠しつつ、凪咲に尋ねる。

ちなみにしっかりと逃げられない様に腕を背中に回されている。


「見たら分かるでしょ?確かめてるのよ。緊張してるのか」


そう言う凪咲は目を瞑り、俺の胸に耳をあてている。

いくら日曜で少ないとはいえ生徒は居る。

周りからの視線と、凪咲から漂ってくる花の香りで少しづつ心拍数が上がっていく。


「現役女優がこんなところで男に抱き着くのはどうなんだ?」

「別に恋愛が禁止ってわけでもないし、これはからかってるだけだし。それに......」


俺の早くなっていく心臓の鼓動を聞いた後、凪咲は満足そうな笑顔を浮かべながら俺から離れてこう言った。


「わたし、今は普通の女子高生だもん!」








普段は座学で使われている学習棟の教室が、試験に出る生徒達の控室となっている。

午前の部と午後の部に出る生徒の内、午前の部に出る生徒は8時30分に点呼をとられる。


点呼の時間まで20分ほどあるものの、控室となっている教室どれもそこそこの人が入っていた。


「あら、おはよう」


俺達のグループが控室として指定された教室に入ると、既に教室内にいた人のいくつかの視線と相田さんの挨拶で出迎えられる。


「おはよう!相田さん!」


その挨拶に明るく返しながらいつもの席、窓際最前列に座っていた相田さんの隣に凪咲が座る。

俺も定位置である相田さんの後ろに座って一息つく。


机についているフックにスクールバッグを掛けながら前2人の様子を窺うと、凪咲がおおきなため息をつきながら机に突っ伏していた。


「あ~あ。でもこっから4時間ぐらい待機か~......」

「まぁ、私たちは午前の部の最後だものね」

「......ひま」


台本を流し読みしながら受け答えする相田さんに不満げな表情を浮かべながら凪咲が訴える。


「台本でも読んで時間を潰すしかないんじゃないか?」


机にかけたスクールバッグから台本を取り出し、今日が試験当日と微塵も感じさせない凪咲に向けて差し出す。

......が、凪咲は宙に放り出した左手をひらひらと振って受け取らない意志を示す。


「私本番の1時間前までは本番の事を考えずリラックスするタイプなの~」

「へぇ......面白いな、それ」


自分のパフォーマンスを高めるために詰め込み過ぎない方が凪咲には適しているという事だろう。

子役の頃から続いている演技の経験で、自分のパフォーマンスを引き出す方法を知っているのだ。

俺も何となく真似しようと台本を閉じてスクールバッグの中に戻す。


「まぁ、裕也さんの真似だけどね」

「......」


その言葉を聞いた相田さんは、そっと手に持っていた台本を閉じて机の上に置いた。


「......なんだか北城さんに私の声が聞かれるって考えると途端に緊張してきたわ......」


相田さんは緊張なんて知らなさそうな涼しい表情で胸に手を置き、深呼吸をしている。


「おい凪咲、変に緊張させるなよ」

「え~?私のせい?」


そんな会話を交わしていると教室のドアがノックされ、開いたドアからスーツ姿の女性が入ってくる。

先程までは聞こえていた教室内の会話も止み、静かな空間になる。


「今から点呼を取る。この点呼が終了したのち、自分達の出番30分前にはイベントホールの控室に移動するように」


そう簡潔に伝え、この教室に割り振られているグループの代表者の名前を呼び、出欠を確認していく。

事務的に点呼が行われた後、すぐに女性は退出したが、変わらず教室内には緊張感が漂っていた。


それもそのはず。俺や凪咲、相田さんが特殊なだけで、多くの芸能科生徒にとってこれは人生を大きく変えるかもしれない試験なのだ。


数十秒ほど静寂が続き、口を開くタイミングを見失い始めた頃、教室後方のドアが勢いよく開いた。


「ん~っと......あ!居た~!」


緊張感をもった静寂を破った.....いや、破壊したのはいつも通りマイペースで馬鹿な幼馴染だった。


「もう!ゆうとぉ~!控室の場所教えてくれてたら良かったのに!」


少し息を荒げながらこちらに歩いて来たあかりは、「めっちゃ探したよ~」と言いながら隣の席に腰かける。


「日向ちゃんはしっかりと教えてくれてたのに、この幼馴染と来たら......」


ワザとらしく息を吐きながら呆れた眼を向けてくる。


「村井さんはどの教室にいるんだ?」


言葉を続けようとしていた幼馴染の言葉を遮って他の話題を出す。

そうするとコロッと不満げな表情を切り替え、「え~っと......」と顎に指を当て、考える仕草を取った。


「隣のとなりのとなりの......あれ?もういっこ隣だっけ?」


すぐに答えは出てこず、数秒考えた様子を見せるも、「まあいっか!」と切り捨てた。


「夢ちゃん、凪咲。優人の事をどうかお願いします」


手を机の下でぶらぶらさせたまま頭だけを机につけるという進化前の土下座をかます幼馴染は相変わらずいつも通りだ。

凪咲はそれに少し笑いながら承諾していたが、相田さんは真剣に姿勢を整えて了承の返事をしていた。


俺はその光景に苦笑しつつ、当然の様に学科も違う相田さんと友達になっている幼馴染に少しだけ尊敬の念を覚えていた......。








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