2話

 


 放課後、誰もいなくなった教室で私はまだ立ち上がれずにいた。


 その日一日トイレに行く以外殆ど教室から出なかった。いつもは移動教室がない日でも無駄に廊下を歩いたりして三組の教室を覗いていたりしたのに。

 

 グラウンドから聞こえる運動部の掛け声、色々な場所からバラバラに聞こえてくる吹奏楽部の楽器の音、聞こえてくるもの全てが私を置いてきぼりにしているような気がする。

 私の気持ちを、恋心をどこかに置いてきてしまったようだった。


 机に突っ伏し目を閉じる。不思議と涙は出てこない。


 どれくらいそうしていたかはわからない。

 気が付くと頭を撫でられていた。


 っ!!


「あ、起きた」

「佐々木くん……」

 

 頭を撫でていたのは私の前の席に座った佐々木くんだった。

 突っ伏したまま眠ってしまっていた私は今一番文句を言いたい人物を前にしても頭が回らず言葉が出てこない。


「早川さん、俺ちゃんとみんなには付き合ってないって言ったから。でも、もう一度ちゃんと言わせて」

「え?」

「好きです。俺と付き合って下さい」


 『好き』昨日は言われなかった言葉に、初めて言われるその言葉に心が揺らいだが、私の返事は決まっている。私も昨日は言えなかった言葉。


「ごめんなさい。好きな人がいます」

「うん、そうだよね。わかった」


 佐々木くんは立ち上がると「ごめん」そう呟いて教室を出ていった。

 たぶん、佐々木くんは私が佐々本くんのことが好きなことを気付いているのだろう。靴箱の手紙が佐々木くん宛でないのなら佐々本くんに宛たものだとわかったはずだ。

 本当に間違えて手紙を送ったのなら私は佐々木くんにすごく申し訳ないことをしてしまった。佐々木くんはあんなに真剣に気持ちを伝えてくれたのだから。



 それからしばらくして私は美化委員の仕事で花壇の手入れをしていた。

 夏休み前の暑い時期だ。去年の二の舞にならないように少し作業をした後水分補給をしようと立ち上がり振り返ると佐々本くんがいる。


「早川さん、これあげる」


 差し出してきたのはスポーツドリンクだった。


「いいの?」

「うん、こまめに休憩しなよ。また倒れたら困るしね」

「ありがとう。前もこれくれたよね」

「スポドリ? 俺はあげてないよ」

「え? でも保健室で……」

「保健室で寝てた早川さんにこれを飲ませたのは佐々木だよ」

「え……」


 うそ。うそうそうそうそ。だって佐々本くんが保健室に連れて行ってくれて水分とったほうがいいねって言って……戻ってきたのは佐々くん?

 頭が追い付かない。屋上に佐々本くんではなく佐々木くんが来た時より内心パニックだ。

 私は一年近く勘違いしていたのか。あんなに介抱してくれた佐々木くんにお礼の一言も言わず、ずっと佐々本くんだと思っていたのか。

 もちろん保健室に連れて行ってくれたのは佐々本くんだけど。


「ちなみにこれも佐々木からだよ」

「そうなの?」

「そう。自分が行くと迷惑になるかもしれないからって。言うなって言われてたけど」

「そんな、別に迷惑だなんて」


 佐々木くんとはあれから一度も顔を合わせていない。

 委員会の時、いつも話しかけてくる佐々木くんが全く私を見ないことに少し寂しく感じていた。それは自分のせいだしそんな都合のいいこと考えてはいけないと思っていた。

 でも、それでも佐々木くんはそんな私のことを気にかけてくれていたんだ。


「後さ、言おうかどうしようか迷ってたんだけど」


 そう言いながら佐々本くんは少しシワになった紙をポケットから取り出す。それは私が佐々本くんに出したと思っていた手紙だった。佐々木くんに間違えて出したのではなかったのだろうか。


「それって……」

「ごめん、これが靴箱に入ってるのを見つけたんだけど隣にいた佐々木に行くつもりはないって言ったんだ。そしたらあいつ、俺が行くって。早川さんならきっと来るまでずっと待つだろうからって」


 私は手紙を出し間違えていたわけじゃなかった。佐々木くんは私が佐々本くんに告白することをわかって、わかった上であの日屋上に来てたんだ。


「あいつ、一年の時からずっと早川さんのことが好きだったよ。俺もそれを知ってたから屋上には行くつもりなかったし、次の日二人が付き合い始めたって聞いて良かったなって思ったんだけど、今の佐々木を見てたら早川さんにちゃんと本当のこと言っておかないとなって。手紙のことは俺が悪いよ。ごめんね」

「ううん。佐々本くんは悪くないよ。誰も、悪くない」


 私は受け取ったペットボトルを握り締める。


「佐々本くん、佐々木くんは今どこにいるの?」

「あいつは中庭の掃除があるって言ってたけど」

「私、ちょっと行ってくる」


 私はペットボトルを抱え中庭に走った。

 本当の話を聞いたからといって佐々木くんを好きになったとかではない。私はずっと佐々本くんが好きだったし、あのことがあったから好きだったわけではない。佐々本くんの優しいところ、よく気が付くところ、友達思いなところが好きだった。

 でも、今は佐々木くんとちゃんと話をしたいと思う。

 あの時の感謝も伝えないといけない。


「佐々木くんっ」


 中庭で草抜きをしていた佐々木くんは私を見て驚いた顔をした。


「早川さん?!」

「これ、ありがとう! それから一年前の保健室でも」

「佐々本から、聞いたの?」

「うん。私、ずっと気が付かなくてごめんなさい」


 一年越しのお礼と謝罪になってしまった。あの時のことは感謝してもしきれないのに。


「別にいいんだ。たぶん、あの時のことが俺だとわかってても早川さんは佐々本を好きになってたと思うよ」

「確かに、そうなのかもしれない。でも、私は勘違いしたままはいやだよ。もっとちゃんと佐々木くんのことも知りたいし仲良くなりたいと思った。ダメかな?」

「ダメなんかじゃないよ。嬉しい」


 佐々木くんは本当に嬉しそうに顔を綻ばせた。


 私が佐々本くんを好きだったのは勘違いではない。

 それはきっと一つの過去の恋として私の中に残るだろう。


 そして新しい気持ちが芽生える予感がするのもきっと勘違いではないはずだ。




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優しい恋に気付いたら 藤 ゆみ子 @ban77

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