#05 - 開放

 ついにその日を迎えた。昨晩はあまりよく眠れなかった。

土曜日だから学校は休みで、朝からDOOMSMOONドゥームズムーンの曲を聴き緊張と興奮でライブの時間になる前にチカラ尽きそうだったので、落ち着くために昼頃にお風呂に入ることにした。髪にトリートメントをいつもより大量に塗って、ぬるめのお湯を張った浴槽に浸かり、DOOMSMOONドゥームズムーンの曲を口ずさむ。結局たいして落ち着くことはできず30分くらいで上がり自室で身支度を始める。

 エンジアブーツはこの日の為にブラッシングしクリーナーで汚れを落としておいた。

バッグはちょうどいいものを持っていた。大きながま口の黒いフェイクレザーでできたハンドバッグ。それに財布やハンカチなど必要なモノを詰め込んで準備は万全だ。

先日買った洋服を予定通り身に着た。

髪をアイロンでいつもより丁寧に伸ばしてストレートにセットする。

前日にはネイルも整え黒いマニキュアを塗った。

晴れぼったく少し吊り上がった二重の目に暗めのアイシャドウを薄く塗ってしっかりアイライン引く。上下の睫毛にマスカラを塗ると嫌いな三白眼さんぱくがんが際立ったようで少しやりすぎな感じがした。最後に初めて赤いリップグロスを塗った。

いつもの朝の倍以上の時間をかけて身支度をした。

鏡の中のアタシは写真の母に少し似ていて、それに罪悪感ざいあくかんを感じた。

しかし今日はそんな人のことを思い出して悲観的ひかんてきになっている場合ではない。


 夕方アタシは待ち合わせの為、莉愛マリアの喫茶店に行った。

少し早めについたアタシに向かって

「かわいいじゃん!別人だね!」

と、莉愛マリアは褒めてくれたが、褒められ慣れていないアタシはどう返したらいいかわからずただ照れただけだった。

莉愛マリアも初めて会った時のエプロン姿とは別人で、黒いレザー風で丈の短いワンピースを着ていた。しっかりとメイクをしていて喫茶店で見せた親しみやすさはなく少し怖いくらいだった。

お互いの変化ぶりを褒め合っていると2人の女の子が店にやってきた。彼女たちもライブハウスに行くのだろうと思わせる格好で莉愛マリアの友人だった。

年齢も出身も違う2人はDOOMSMOONドゥームズムーンが好きということだけでつながって、地元はもちろん関東圏で行われるライブにはかかさず行っているという。莉愛マリアの店にも常連となって親しくなり3人そろって行くことが多いらしい。

莉愛マリアによれば、今日は参加できなかったがこんな風にDOOMSMOONドゥームズムーンが繋いだ友人が他にも数人いるという。

2人は今日ライブ初体験というアタシに興味深々でいろいろ質問され、

「初々しいなぁ」

「そんな頃が懐かしいなぁ」

などと、口々に言っていた。

友達のいないアタシはこんな風に軽快に複数人と会話したのは久しぶりで新鮮だった。アタシは興味のある事柄には、こんなに積極的に会話できるのだと自分で自分に驚いた。

 そして4人でライブハウスに向かった。

喫茶店から歩いて10分くらいで、履きなれない重いエンジニアブーツだがその重さは感じず足取りは軽かった。


 大通りから少し入った雑居ビルの地下にそのライブハウスがある。

1階は街によくある中華屋でお腹が減るようないい匂いが漂っていた。その中華屋のわきにあるビルの入り口には、これからライブハウスに入るだろう人が数人タバコを吸いながらたむろしている。その中の1人が莉愛マリアに気づき、軽く挨拶を交わしていた。

 入り口を入ると途中で止まってしまいそうなくらい古びたエレベーターの扉があり、その横の階段を下るとついに目的地にたどり着く。

黒い壁の階段にはポスターやフライヤーが貼られていて、下るにつれて中華屋の油っぽい空気が薄れてそれらしい雰囲気が増す。階段を1段ずつ降りるたび、心音が大きくなるような気がした。

階段を降りきると、赤いネオン管のライブハウスの名前が煌々こうこうとしていた。

アタシはついにやってきた。


 受付にはスタッフTシャツを着た男性がいて、なにやら莉愛マリアと会話していた。アタシと一緒に来た2人はチケットとドリンク1杯分の料金を支払った。前もって莉愛マリアがとっておいてくれたので、当日券より少し安くなった料金を払って引き換えに半券とドリンクチケットをもらった。

 そのまま4人でバーに進みそれぞれカウンター内のスタッフにチケットを渡して注文した。

「お酒はダメだよ」

と、莉愛マリアがアタシに言ったので

「はい、飲めないと思うので……」

と、返すと

「アタシは嘉音かのんちゃんくらいの頃飲んでたよ」

と、笑いながら言った。莉愛マリアが高校生の頃は警察もライブハウスもそれほどうるさくなく見て見ぬふりしていたそうだが、昨今は警察が厳しいのでライブハウス側も厳しくチェックしているという。

莉愛マリアは高校生の頃からDOOMSMOONドゥームズムーンと共に出入りしているだけあって、スタッフとも観客とも顔見知りといった感じで次々と会話をしていた。

アタシはドリンクチケットと引き換えたノンルコールだというカクテル風の甘い飲み物の入った細長いグラスを持ってそれにくっついていた。

莉愛マリアは度々それらの人にアタシを紹介してくれて、アタシは精一杯愛想よくふるまった。

学校では誰とも話さないアタシはここでは別人だった。


 そして開演時間が迫り人がステージ前に集まりだした。

「よし、行こ。嘉音かのんちゃん」

と、莉愛マリアに呼びかけられ、ドリンクを一気に飲み干し適当にグラスを置いて彼女の方へ駆け寄り、前方のステージに向かって右側の位置に落ち着いた。

「ねぇ、ミウちゃんだっけ?お願いしていい?」

と、アタシの右側にいた莉愛マリアがアタシの左側にいる女の子に話しかけた。

「あ、はい。ミウです。何ですか?」

ロリータと言うにはちょっと控えめで暗い色合いだがフリルのあるシャツにひざ丈のふんわりとしたスカートで、ミルクティ色の肩より少し下の髪をカールして女の子らしい格好をしたその子はびっくりしたような顔で答えた。莉愛マリアはアタシの肩に手を置きミウに向かって言った。

「この子、嘉音かのんちゃんっていうんだけど、初めてなの。私は壁際で観たいからここで一緒にいてくれない?」

「もちろんですよ。私、独りなので……一緒に楽しも」

小さくて可愛らしい彼女は人懐っこい笑顔をアタシに向けて、莉愛マリアは「よろしく」と言い残し壁際へ歩いて行った。

 独りで来たという勇気のある彼女は"天音 美雨あまね みう”という名刺をくれた。

「かわいい名前……」と、思わずつぶやくと彼女はもちろん偽名だと言って笑った。

名刺を見ていると視界が暗くなって、いよいよ始まる。アタシはあわてて名刺を胸ポケットにしまった。

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