揺れるまなざし

瑞葉

第1話 蒼

 夏休みの花火大会で、あの子が彼氏と一緒にいるのを見た。


 花火大会は「柳生公園」という名前のどでかい河川敷の公園で、毎年開催されていた。俺は隅っこの方の屋台で綿あめの売り子をしていた。あの子が綿あめを買いに来た時、表情が夜の湖みたいに暗いのが気になった。


 手渡した時、一瞬触れた指先。妙に冷たかった。


 なんだか心に残った。


 金髪の、いかつい風貌の「彼氏」と去っていくあの子をじっと見ていたら、


「蒼(あおい)、次の綿あめの客、来とるぞ」


 一緒に綿あめ売りをしていたおじさんにきつく怒鳴られた。 


 めまぐるしく花火大会の夜は過ぎた。


 俺は肝心の花火を見そびれた。その間中、ずっと綿あめ売りをしていたから。


 花火大会が終わるころ、幼馴染の黒谷(くろたに)千穂(ちほ)が来た。綿あめを一個おまけしてやった。


「ザラメが残ると困るからさ」


 俺が言うと、まんざらでもなさそうに、黒谷は頬にえくぼをつくる。目元が優しい、同じ年くらいの彼氏と二人連れだった。


「あいつもなー」


 思ってた言葉が口に出てしまった。


「なによ、あいつって。全く、ちょっと外国人みたいでかっこいいからっていい気になってるね、蒼」


 自分のことを「あいつ」と言われたと思ったのか。黒谷が険しい目でこっちを見てる。せっかく綿あめを渡したのに、食べるそぶりもない。


「いや。さっきさ。浴衣姿なんだけど、妙に暗い雰囲気の女子がいてさ。つきあってる相手が金髪のヤンキーみたいでさ」


 気心知れた黒谷が話の相手だ。それに、同じ綿あめ売りのおじさんも、今ならパイプイスに座り込んで暇そうにしている。


「森嶋(もりしま)歌帆(うたほ)さんかな。その子。わたしの後ろの席の子なんだ」


 黒谷は眉をしかめてつらそうだった。痛々しいものを思い返すように。


「金髪のヤンキーとつきあってて、暗そうなら、多分そう。あの子ね。救ってあげてほしいな。はい。綿あめ。蒼に返すから。これを手間賃と思って『仕事』を請け負ってくださいな」


 黒谷はどこかはかなげに笑い、「あとでラインするねー」と俺に声をかけて、足早に、少し先を歩いていた彼氏のところに行った。


 俺は仕方ないので、綿あめを食べる。ふにゃりとした感触が夜の闇に染み込んでいく。


⭐︎ ⭐︎ ⭐︎


 黒谷からの依頼内容。


 それは、ラインにしては長文だった。十何行くらいある。


 それでも頑張って読み進めた。

 了解、をしめす、「り」と一言送る。


 そして、俺の二学期が始まった。


⭐︎ ⭐︎ ⭐︎


 あの子は毎朝、小学生の妹とバスを降りる。「さくら川」と言われている川の橋の欄干にもたれながら、黒谷から借りたオペラグラスを使って、その様子を見てた。


 二学期が始まって三日目だ。あの子の様子は三日間、静観した。


 妹が行く小学校は、バス停から左側。あの子は右側なので、そこで姉妹は別れる。友達と元気いっぱいでかけていく妹。多分、小学校中学年。あの子は笑顔でその子に手を振っていて、「お姉ちゃん」なんだなあ。


「さくら川」に続く信号を待っている間に、あの子の表情は変わる。笑顔から無表情、そして、泣き顔へ。

 さくら川に通りかかるころには、うわんうわんと人目をはばからず泣いている。


 黒谷にラインする。


「今日も泣いてた」

 と、一言だけ。


「り(了解)。放課後、作戦会議でオールウェイズに行こう」


 オールウェイズというのは、何年か前に海外から進出してきたどでかいハンバーガーチェーン店だった。ハワイを意識した明るい内装の店で、メニューもちとお高い。でも、その雰囲気はこんな田舎にはもったいないほどで、ちょっと背伸びしたい俺ら高校生の放課後のたまり場だった。


 約束の放課後、黒谷はアボカドトマトバーガーをぱくつく。


 俺はこう見えてダイエットしてるので、ピンクの花がのったハイビスカスティ―しか頼まない。


「森嶋さん、彼氏と別れたって、クラスでは噂になってるんだよ。毎朝、橋では泣いてるんだね」


 ハンバーガーをほおばりながら、黒谷はもごもごと言う。


「教室では?」


「泣いてないよ。表情なんてない。まあ、暗さは増してるかなー」


「オッケー。作戦の第二段階には、九月の中ごろから入ろうか」


「え? そんな早く」


 黒谷はハンバーガーをほおばるのをやめて、俺を上から下までじろじろ見ている。


「蒼、自己肯定感高すぎる。あの子は元カレのこと、簡単には忘れないよ。初めての相手だったんだよ。きっとさ」


「あのまま泣かせておいたらかわいそうじゃんか」


 言ってから、自分の発言が「俺らしくないな」と思った。かわいそう? やな言葉だった。


 俺の親父がフェリーの事故で亡くなった時、特に、葬式の時、たくさんの大人たちに代わる代わる言われた言葉だ。


⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

(あの子も「同じ事故」にあったんだよ)


 黒谷からのラインにあった言葉だった。


 奇跡の生還者だよ。

 一緒にフェリーに乗ってた他の二人、お父さん、お母さんがその時に亡くなって。今は妹さんとおばあさんと、あの子の三人暮らし。


 俺は市立の図書館に八月中に行って、慣れないことをしていた。レファレンスに聞いたりパソコンを検索して、「当時の新聞記事」を片っ端から見ていった。


「十歳。奇跡の生還」


「わずか十名の生存者。子どもも奇跡的に」


 事故の記事を見るのはつらかった。胸の奥がむかむかしてる。

 親父もそのフェリーの中にいたんだ。


⭐︎ ⭐︎ ⭐︎


 親父は横浜に出張する前の夜に、おかんと夫婦喧嘩をした。


「蒼のあの髪の色、なんだ」


 酒に酔っていたんだと思う。俺は台所にたまたまいたので、両親の会話は全部聞こえてた。


「なによ! その言い方。わたしのおばあちゃんはアメリカ人の血を引いてるって、あんたには話したでしょ。先祖返りよ。ただの」


 おかんがヒステリックな口調で親父をののしる。それで親父の怒りに火がついた。


「どこかの誰かと浮気でもしてんじゃねえのかよ!」


 親父が声を荒らげたことなんて、俺が当時、十年生きてきた中で、初めてのことだった。おしっこを漏らしそうな気持ちでいたたまれず、でも、台所から出られない。

 親父もおかんも、俺がそこにいると知らなかったんだろう。ジュースを飲みに来たなんて知らなかった。おそらく。もう寝てるとでも思っていたんだろう。


「あいつは俺の子じゃない。全然、全然似ていないじゃないか」


 親父は十年間のうっぷんを、その時、おかんに全部ぶつけた。おかんは十秒くらいの沈黙の後、泣き崩れた。


 我慢しきれず、おかんに駆け寄る。俺自身もおしっこを少し漏らしてはいたのだが。

 おかんの肩をとんとんと抱く。おかんが子供のように俺にしがみついていた。おかんの肩がひくひくと上下しているのが痛々しかった。


「いたのか。どこから聞いてた」


 親父の表情がかたかった。


「全部だよ。くそ親父め」


 俺は親父をにらむ。ありったけの憎しみの刃を人に向けたのは人生初だった。親父がひるんでるのを小気味よいとさえ感じた。


 俺の髪の毛は亜麻色と言われる。外国人の女の人みたいな色だった。目の色も、見方によっては少し青みがかっていた。そんなことを気にしたことなんて、それまでなかったのに。


 翌朝、五時くらいに目が覚めると、親父からの手紙が枕元にあった。サンタのプレゼントみたいに。


「蒼。父さんを許してほしい。父さんは横浜に出張に行くから、そこで、蒼の好きな赤レンガ倉庫の写真を撮ってきてやろう。土産もあるぞ」


 かなわなかった「その言葉」。俺は今も、時々、夢の中では「親父の言葉」の続きの景色を見てる。

 夢の中の親父は、横浜がどんなに楽しかったかいきいき語る。それから、たくさんの土産品を俺にくれた。本当のサンタさんみたいに。


 古いレコード機、サンタのぬいぐるみ、中華街のお菓子、山下公園や赤レンガ倉庫の写真、大きな赤色のテディベアまであった。


 幸せな気持ちで、中華街のお菓子を夢の中で食べる。でも、そのお菓子は何の味もしない。それでいつも、夢なんだなあ、とわかる。


 いいんだ。俺は親父みたいにはならないよ。


 夢を見せる側でいたい。女の子の夢をみんな叶えてあげたい。


 中学校時代は、あちこちの女子にいい顔をしすぎて、結果的に、「何股もかけてるサイテー男」とみんなに名前を憶えられたけれど。


 本当言うと、いたってピュアだ。


⭐︎ ⭐︎ ⭐︎


 九月中旬、予定通り、あの子に声をかけた。


「なんで、朝から泣いてんの」


 優しく聞いたつもりが、声が裏返って、すごく機嫌悪そうに聞こえてしまったと思う。あの子はハッとした目で、自分の頬の涙を確認する。


 はかなげに揺れるまなざし。綺麗な目だった。朝陽を反射してまぶしくきらきらと光る。


「ナンパするみたいに声かけるなんて、サイテー」


 あの子は小さな声で言うと、俺をきっとにらみつける。

 おとなしそうに見えて、案外、強情なのかもしれない。


 いいさ。初日はそれでいい。


 でも、それだけじゃあ終わらなかった。

 あの子の綺麗な形の唇から、漆黒の言葉がこぼれだす。元カレへの罵倒か、自分への罵倒か。それとも、俺への?


 呪いの言葉は五分間くらい続いた。周りの生徒たちが、遠巻きにあの子と俺とをながめていた。


 一生、憎悪の言葉が終わらないなんてことはない。そう思ったから辛抱強く、あの子のそばを離れなかった。


 急に、あの子の目が正気に戻る。


「あの、ごめんなさい。わたし」


 微かな声でこぼした。目の色が明るく見えた。これが本当のあの子の言葉。太陽みたいにまばゆい。


「いいよ。明日もその話、聴かせてくれよな。俺、待ってるからさ」


 あえてクールに言い放ち、急いでその場を立ち去った。こういうのは、印象がすごく大事なんだ。


 次の日、漫画を読むふりをしながら、あの子を待ってた。あの子は俺の姿を見て、歩みをゆるめる。


 そう、それでいい。


 九月の日の光がきらきらと世界じゅうを照らしている。川面も、制服姿のみんなも。九月のセンチメンタルな木々も。

 俺は、「親父のいないこの世界」を、初めて少し美しく感じた。


⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 黒谷とは八月のラインで、約束をかわしてあった。


「あの子を蒼に惚れさせてほしい」

「あの子を、悪いカレから自由にしてあげてほしい」


 でも、俺はお人よしじゃない。

 この選択は「俺自身の選択」だった。



 九月の日差しの中で、俺は自分の中に生まれた「形のない綿あめみたいな思い」が一体なんなのか、知りたいと感じていた。


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