滅びの大聖女は国を滅ぼす

ひよこ1号

滅びの大聖女は国を滅ぼす


「大聖女マヤリス。貴様との婚約を今日を以って破棄する。いいや、大聖女ではないな、大聖女を騙る悪魔め。私は真なる大聖女、マリン・ボーレス男爵令嬢を我が婚約者とする」

「セッツァー様……」


「あら、まあ……」


滅びの大聖女、とはこの国に伝わる予言である。

だが、「いつ」という事は語られていない、何とも曖昧で夢物語のような按配だ。

予言がいつ行われたのかといえば、遥か昔、信仰がこの地に根付いたばかりの事だと言う。

聖女候補の少女に突然、神託が下ったとされる記述が一節あるばかり。

その信憑性は低いものの、人々の恰好の噂になり、そのまま伝説のように言い継がれた。

だからこそ、「大聖女」に関してはこの国では慎重に扱われ、丁寧に遇される。

手の甲に七枚の花弁を持つ花の様な痣が、その印。

赤子の頃にそれが現れると、すぐに聖教会から使徒が使わされる。

痣の確認が終わると、その場に聖女と大聖女が其々呼ばれて、徴の儀と呼ばれる調査が行われるのだ。

使徒と大聖女は国に一人だけしか居ない。

大聖女は、基本的にその国で生まれた者で、資格を有するものが着任するが、大国だと同時期に複数存在する事もある。

逆に小国では生まれない事もあるので、宗主国であるセリア聖教国が大聖女の審判の儀を終えた後に、赴任地を決めて送るのだ。

大聖女が老齢な場合、宗主国で儀式を終えた後に代替わりをする。

使徒は、聖女や大聖女を判定する特殊な役職で、各国の中央教会にのみ所属するが、あくまで大元の所属は宗主国だ。

政治的な軋轢を避け、正当に判断する為である。


エルシーア王国に生まれた大聖女は、マヤリスという。

侯爵家に生まれて、徴の儀を終えた後に修道女と護衛が使わされて大事に隠され、守られて育てられた。

これも政治的な思惑を避ける為に、国によってはすぐに接収されてしまうのだが、エルシーア王国では金銭的に裕福な場合はなるべく親元で育てられるのだ。

何故なら、親兄弟との家族愛があれば、「滅びの大聖女にならないだろう」という、せめてもの抵抗である。

そして、審判の儀と代替わりを控えて、十歳になる頃に教会へと移り住む。

祈りの言葉や教会での作法は、侯爵家にいる間に派遣されていた修道女達から習っている。

マヤリスと妹のミュゲは仲の良い姉妹で、お互いに学ぶ必要の無いお互いの世界の勉強を二人で楽しく学んでいた。

だが、規則に従いマヤリスは十歳になると教会へと戸籍と身柄を移された。

侯爵家の家族に会えないのは寂しいが、修道女は交代で家に訪れた見知った人ばかりで、マヤリスにとっても安心できる家族と言える。

身分を問わず生まれてくるので、最初から生家の籍に入れないこともあるが、侯爵家では転籍する形で、教会にだけはその書類が残される事となった。


兄も妹も、父も母も、マヤリスに会いに時々教会へ訪れてくれる。

特に妹は、一緒に色々な教育を受けてきたので、まるで双子の様ねと言われるほど似ていたし、いつまでも姉妹仲は良い。


今日はそんな可愛い妹の晴れ姿を一目でも見たい、という要望が叶えられて、卒業パーティへと訪れたのだ。

勿論、大聖女に祝福されるという事で、学生達も楽しみにしていたのだが。

今はもうシン……と静まり返っている。


マヤリスの「あら、まあ……」という暢気な声だけが場違いにその場に響いた。


「第三王子殿下との婚約については、破棄を承りました」


静かに言うと、セッツァー王子は満足そうに笑い、側近たちも満足そうにほくそ笑む。

セッツァーの腕にしがみ付いているマリンも、得意げな笑みで元婚約者のマヤリスを見つめた。

マヤリスにとってはセッツァーに限らず、王子との婚姻などどうでも良かったので、婚約破棄の申し出自体は簡単に受け入れたけれど、もう一つは。

どうしようかとマヤリスが悩んでいると、つと一人の令嬢が進み出て、セッツァーと側近達に対峙する。

白金色の髪はさらりと背に流れ、その目は美しく可憐な紫色。

周辺国に「宝石姫」と呼ばれるほど美しく育った、マヤリス自慢の妹だった。

だが、妹は、怒りのあまり般若の顔をしている。


「殿下はご自分が何を仰っておられるのか、理解してらっしゃいますの?」


開口一番、迫力のある声が飛んだ。

続けて、近くに居た金髪の巻き髪で、緑の瞳を持つ少女が加勢するように並び立った。


「恐れながら殿下。大聖女様との婚姻については国の決め事であり、殿下一人のお心で決められるものではございません。それにその、平民上がりの男爵令嬢が何故、大聖女を名乗っているでしょうか」


「お前達、いくら爵位が高いといえど、セッツァー王子に不敬だぞ!」

「おい、取り押さえろ!」


王子の側近達が騒ぎ、マヤリスも仕方なく決断を下した。

妹や正当な意見を述べる令嬢が怪我をする所は見たくない。

幾ら王子でも不遜が過ぎる言葉と決定は酷すぎると、世事に疎いマヤリスにもそれは分かる。

でもその子供にも分かる事を主張する王子が理解出来ないまま、マヤリスは後ろを振り返って命じる。


「使徒様にご連絡を。それから鳩を飛ばしなさい」

「は。色はどうなさいますか」

「赤よ」


赤、という言葉に、聖騎士と修道女が怯むが、聖騎士の一人は素早く頭を下げてから走り出す。

それは異端審問を行うという合図で、セリア聖教国から異端審問官達と教国軍を呼び寄せる遣いを放つのだ。


「おい!何を勝手な事をしている!止めろ!」


側近の命令で令嬢達に近づこうとした護衛騎士が、セッツァーの命令で慌てて聖騎士を追おうとする。

だが、マヤリスが両手を広げて制止した。


「いいえ、殿下。大事な場でございます。婚約破棄は賜りますが、大聖女の身分については学生の身分で王でもない者が下していい範疇にございません。神の家に関わる大事なれば、神の家の者が必要でございます」


マヤリスが凛とした声でそういうと、騎士達は立ち止まって後ろを振り返って王子の命令を仰いだ。

セッツァーは傍らの側近らしき学生達と目を見交わすと、フンと頷いた。


「それもそうか。そのヴェールの下の醜い姿と共に、貴様の悪行を晒してくれる」

「あら、まあ……わたくし、醜かったのですね」


頬に手を当てて、おっとりとマヤリスが言うと、聖騎士達が大声で声を揃えて言う。


「「その様な事はありません」」


あまりの大きさと声の通りに、学生達はびっくりして飛び上がった。

セッツァーはびくりと腰が引けた姿勢を立て直して、ふう、と溜息を吐いてみせる。


「教会の騎士共も洗脳しているとは恐ろしい魔女め……」

「怖いですわ、セッツァー様」

「大丈夫だ、マリン。そなたの事は皆で守るぞ」


セッツァーの言葉に周囲を囲んでいた学生達が頷く。

皆見目麗しく、高貴な顔立ちをしていた。

マヤリスには誰が誰だか分からないが、妹を見れば、にこ、と綺麗な笑顔をマヤリスに見せた後に、王子達に辛辣な言葉を浴びせた。


「あら洗脳されているのはどなたですかしら?高位の令息達が揃いも揃って、男爵令嬢に侍るなんて」

「ええ、本当に嘆かわしいこと」

「見損ないましたわ」

「見る目のないこと」

「きもい」

「婚約者様達は可哀想ね」


口々に色々な令嬢に言われ、王子は激昂したが、代わりに隣の黒髪の青年が大声を上げた。


「不敬であるぞ!」


そんな事よりも、マヤリスは一言だけ罵倒の言葉が混じっていたのが気になっていたのだが。

他の言葉は正当な言い分に思えた。


「本当の事を言うと不敬。ではどうすればよろしいのです?」


金髪の巻き毛が扇を手の上に乗せる。

マヤリスは学生達の騒ぎを見守りつつも、何かが変だと考えていた。

何故第三王子が、国王夫妻が隣国にいる間に、平然と騒ぎを起こしているのか。

馬鹿なだけならまだいいけれど、秀才と言われている人物も王子の陣営にいる。

宰相の息子ゲリーだ。

彼が余裕のある顔をしているのが気にかかって、一番まずい可能性を導き出す。

それは。

馬鹿な王子を担ぎ出しての傀儡政権?

だとすれば邪魔なのは、第一王子と第二王子、そして国王夫妻。

国王夫妻はすぐに害される事はないだろうけれど、第一王子と第二王子は今日、狩りへ出ている。


『革命かもしれないわ。すぐに第一王子と第二王子の確認を。毒にも気を配って』


マヤリスは教会で使われる言葉、聖教語を使って命じた。

聖騎士の一人がまた走り出す。

聖職者以外では言葉の分かる妹のミュゲだけが、びっくりしたようにマヤリスを見て、それから扇を落とした。


「申し訳ございません。手が滑りました」

「おい!勝手に動くな!」


ミュゲがわざと扇を落としたことに、セッツァーは気がつかなかったようだ。

再度騎士が走り去ったので、セッツァーが慌てて怒鳴るが、マヤリスが困ったように通路に立ち塞がりながら言う。


「申し訳ございません。あの、どうしても我慢出来なかったようでして。……晴れの日の会場を汚す訳にも参りませんから」


暗に便所に走って言ったのだと言われて、王子はぐっと言葉に詰まる。

残された聖騎士は、汚名を被った聖騎士に心の中で敬礼した。


セッツァーも側近も、マヤリスとマヤリスに仕える者達に注目している。

その間ミュゲ達は無言だが、視線と扇で周囲の令嬢と何やらやり取りをしているようだった。

気づかないまま、セッツァーがマヤリスに暴言を浴びせる。


「それに、変な呪文を唱えるな、この魔女が!」

「……え?教会で使われる聖教語をご存じありませんか?おかしいですわね……未来の国王陛下となる御方でしたら、学ばれる筈なのですが……」


困ったように頬に手を当てるマヤリスの指摘に、セッツァーは顔を赤く染める。

第三王子は王太子ではないので、その教育は受けていない。

時間を見計らっていたマヤリスは、本題に入る事にした。


「それと、そろそろ使徒様も到着するでしょうし、大聖女の件で確認なのですけれども、いつそちらの女性は宗主国へ参られましたの?」

「は?……何故お前に関係がある」

「大聖女とお定めになる事が出来るのは、教皇猊下ただお一人です。その御方が御座しますのは宗主国のセリア聖教国なのは周知の事実でしょう。まさか、許可も頂かずに名乗っておられるなんて事、ございませんわよね?」


ざわり、と会場がどよめく。

学園でもある程度の知識はあるはずなので、授業で一通り習っている筈なのだが、ゲリーはマヤリスを睨みつけ、ミュゲは今も周囲のご友人と何やら扇を使ってやり取りを忙しなくしている。


「もし、許可を得ずに名乗った場合、それだけで大罪となりますし、虚偽だと明かされた場合は火刑に処せられますが」

「な……だが、この痣を見よ!」


セッツァーに掴み上げられた手首にマリンが痛そうに顔を歪めて抗議する。


「いっ、痛いですっ」

「す、すまぬ」


手の甲には確かに痣のような物があるが、いやにクッキリしている。

マヤリスは自分の手の甲に在る物しか見たことはないが、使徒が見ればはっきりと真偽は分かるだろう。

不思議そうに、マヤリスは首を傾げつつ問いかける。


「もしや刺青をなさったのですか?」

「無礼な事を言うな!これは昨年、急に手の甲に浮かんだのだ!」


おっとりしたマヤリスの疑問に、セッツァーが反論するが、それこそが。


「前例がありません」

「……は?」


間抜けな声を発する王子に、マヤリスが困った様に告げる。


「痣は生まれた時から在るものでございます。途中で痣が浮かんだと言う虚偽の報告は数多にあれど、それが本当だった事は今まで一度もございません」


生徒達はざわざわとしているが、先程よりも人数が減っているような?とマヤリスは目を瞠った。

だが、セッツァーと側近達は、マヤリスの方に集中して生徒達の異変には気づいていないようだ。

ふう、と困ったように溜息を吐いて、マヤリスは説明を続ける。


「ですから最初に痣の確認が出来る使徒様に使いを出させて頂いたので、ご安心ください」

「嘘じゃないです!本当なんです!」

「ええ、ですから、使徒様がきちんと貴女の痣を見てくださいますよ」


にっこりとマヤリスが言うが、マリンや王子は確認されたくないのかもしれない。

優しく語りかけるマヤリスを親の仇の様に睨んでいる。


「私、癒しの魔法が使えます!それは皆さんも知っていらっしゃるでしょう?」


「そうだ!」

「マリンは光の魔法を使える!」

「聖女だ」


周囲の男達が嬉しそうにそう褒め称える。

マヤリスもこっくりとそれについては頷いた。

何故か囃し立てていた男達は、マヤリスに勝ち誇ったような笑みを向けたが、マヤリスは更に驚愕の事実を口にする。


「ええ。聖女であるという可能性は否定しておりません。であれば尚更の事、貴女は大聖女たり得ないのです」

「どういう事だ……聖女のまとめ役が大聖女だろう!」


誰かが暴論を言うが、それにもマヤリスはこっくりと頷いて肯定した。


「ええ。でも使える魔法が違うのです。大聖女は聖女より位階が上では有りますが、癒しや結界といった魔法を使えるのは大聖女ではなく、聖女達です。大聖女の魔法は秘儀なので、説明する訳にも参りませんが……聖女では使えない魔法としか申し上げられません」


困ったように言うと、追及できる隙を見つけたとばかりにセッツァーが指を差しながら大声で怒鳴る。


「何故言えない!やましい事があるからか!」

「いいえ、そのやましい事に使う輩が現れるからですわ、殿下。教会籍に身を置く事を許された者のみが知り得る真実なのでございます。ああ、でも、殿下達は命を失うので、教えてあげてもかまわないのかしら……」


ゆったりとした、マヤリスの言葉に、今度こそ会場に静けさが広がった。


「どういう事でございますの?大聖女様」


金髪の巻き髪令嬢が、丁寧に問いかけるので、マヤリスは微笑み返した。


「だって、殿下達は、大聖女を名乗る不届き者を担ぎ上げて、大聖女と宗主国に認められたわたくしを魔女として……ええと追放か処刑?でしょうか?その辺りは口にされませんでしたけれど、何か酷い沙汰を下そうとなさってましたでしょう。彼女の嘘が白日の下に晒されたら、連帯責任で火刑でございましょうね」


ゆっくりと説明された事情に、生徒達の顔色は悪くなる。

だが、それよりもセッツァーと周囲の側近達は、蒼白になっていた。


「な……な……教会如きが王族に対して……」

「殿下。……いえ、殿下よりも、ゲリー様、貴方ならご存知の筈なのに、何故こんな事を?」

「違う……違います、大聖女様」


火刑の言葉で顔色を失ったゲリーが、床に膝を着く。

彼は跪いたまま、縋るようにマヤリスを見上げた。


「私は貴女を手に入れたかっただけだ!この馬鹿王子には貴女は勿体無い!だから……」

「……ああ、廃嫡になるよう画策なさったのですか?」


「……えっ?」


意味が分からないと言うように、セッツァーと側近達が顔を見合わせる。

ゲリーは涙を流しながら、マヤリスを跪いたまま見上げた。


「幼い頃に、一目見た時から……貴女だけを愛してきました……だから……」

「お前、何を言っている?あの女が醜いと言ったのはお前だぞ!」

「それは婚約破棄して頂く為ですよ、殿下……」


力なく項垂れて言うゲリーの言葉に、王子は信じられないと言うように首を振る。

マヤリスは優しく、項垂れるゲリーに言葉をかけた。


「こんな事をなさらなくても、相談して頂ければ、わたくしの方から解消を申し出ましたのに……」

「……な?何を言っている、王族との婚約を、解消?お前が望んだ事だろう……?」


だが、マヤリスの言葉に答えたのはゲリーではなくセッツァーだった。

呆然としたようにセッツァーはマヤリスを見るが、マヤリスはふるふると首を横に振った。


「いえ、結婚自体望んでおりません。他国では大聖女が結婚する仕来りはそもそもございませんの。このご縁は王室からの要請であって、強制でもございませんのでお断りも出来たのですが、日々忙しく……忘れておりました」


「……え?……忘れ……?」


皆が憧れ求めるものだと信じて疑わなかったセッツァーは、更に心を折られたのである。

まるで取るに足らない些事だ、と言われたようで……いや、そうだとマヤリスは言ったのだ。

セッツァーとの話は終わったとばかりに、マヤリスはゲリーに向き直って続ける。


「ゲリー様、もしかしてどなたかに唆されたのでして?」


「そう、かもしれません……でも、欲に走った自らの身から出た錆です。……悪い事ばかりではありませんよ。貴女に仇なす者達と共に死ねるのですから」


仲間に死ぬと断言されて、セッツァーは大いに慌てた。


「私は騙されたんだ!……そうだ、もう一度婚約を結び直そう。そなたは醜くないのだろう?ならば、その顔を見せてみよ」


この期に及んで、婚約を結び直すとか顔を見せろとか、混乱したような様を見せるセッツァーにマヤリスはミュゲを手の先を揃えて指し示す。


「いいえ。わたくしは家族の前以外でヴェールを取る事は禁じられています。ですが、あちらにいるミュゲはわたくしと幼い頃双子だと思われるくらい似ておりましたし、今も似ているかと存じます」


「ならば、醜いというのはやはりゲリーの嘘か!……なあ、私は騙されていた。知っていれば破棄などしなかったし、ゲリーにもマリンにも騙されたんだ……もう一度…」


全てを言い終わる前に、マヤリスはセッツァーの言葉を遮った。


「だとしても、でございます、殿下。その件につきましては、宗主国から異端審問官を既に召喚しております。教国軍も共に向かっているでしょう。ミュゲとあちらのご令嬢を取り押さえようとなさらなければ、わたくしも此処まで大事にする気はございませんでした……ですが、もう引き返すことは出来ません」


セッツァーも耐え切れずに、ぺたりと床に崩れ落ちる。

取り押さえろと騒いだ側近も、がくりと膝を落とした挙句、嘔吐した。

セリア聖教国を国土が小さいからと侮る輩もいるが、この大陸全ての国が宗主国の同盟であり、信徒達は全て兵士なのだ。

特に教国軍は規範も厳しく、その強さも抜きん出ている精鋭達である。

各国との国境に配備された教国軍は、教会や大聖女の報せがあれば即刻動き出す。

そんな中、背後からセッツァーを煽るような声が聞こえた。


「あの女を殺しましょう。大聖女でも魔物や剣に死んだ話はあります!そうすれば…」

「……ああ……そうですのね。他国の思惑も絡んでいたのですか……貴方がどなたか、どの国に仕える方かも存じ上げませんけれど、貴方の国を陥れる行為で、貴方の家族は一族郎党赤子に至るまで貴方のせいで命を失うのですよ」


初めて、マヤリスは明確に責めるような口調で男に言葉を放った。

ヒュッと喉を鳴らして男が黙り込む。

そして、苦しげに言った。


「俺だって、命令されて…」

「ええ。だから何だというのでしょう?一体何人の人が死ぬとお思いなのですか?一つの国を滅ぼすような陰謀に加担しておられますのよ。大聖女を魔女として断罪して王族に殺させて、それを宗主国に片付けさせるだなんて、冒涜が過ぎるというものです」


言葉を切って、マヤリスは優しく男に微笑みかける。


「でも、大丈夫でございますよ?神は全てを見ておられます。貴方に命じた者も同じ運命を辿りましょう。更にその上も、その上も、初めて罪を犯した者まで辿って、罪を皆で贖って頂きましょう。お気を落とされないでくださいませ。火刑になるのは貴方と近しいご家族だけ。他の皆様は斬首か縛り首になるでしょう……貴方よりは楽に旅立てるはずでございますわ」


何にも救いにならない言葉を優しく言い聞かせるマヤリスに言葉をかけたのは、やっと辿り着いた使徒だった。


「はぁはぁマヤさま……どれ、どれが大聖女の印を持つ女性でしょう……」

「あちらの女性です」


息を切らしている使徒に、マヤリスは静かにマリンを指し示し、使徒は静かにその痣を検分した。


「ああ、これは特殊なインクで書いただけですね」

「あら、刺青ではございませんでしたの」

「ええほら、ね?」


言いながら胸元から取り出した布でごしごし手の甲を拭うと、拭った所が綺麗に消えてしまった。

特殊なインクを除去する特別な薬が塗布されているのだろう。


「ええ!嘘……何故……」

「いや、そういう演技いらないから……はぁはぁ……あれでしょ?自分じゃない誰かがやったとか?親とか?周りのせいにする奴いるけど、大丈夫、連座だから……ね」


こちらもこちらで何の慰めにもならない事を情け容赦なく言う。

手から半分痣の消えたマリンという女性は、涙を流し首をいやいやと振ったが、守ってくれる男達は全て呆然と床にへたり込んでいる。

卒業会場に聖騎士達が雪崩れ込み、首謀者達は逃れようとしたり、脱力したりしながらも教会へと身柄を移された。

身を翻そうとするマヤリスの近くにミュゲが小走りで駆け寄る。


「お姉様……お役に立てなくて申し訳ありません」

「ミュゲ、いいえ、じゅうぶん頑張っておりましたよ。それに俗世の事はわたくしには分かりませんもの。後はお任せいたしますわ。頼りになるご友人達もいらっしゃるようですし」


マヤリス視線をミュゲの背後に注ぐと、令嬢達が優雅にお辞儀をする。

彼女達がミュゲを中心に何らかの手を打っていたのは、マヤリスにも分っていた。


「暫く国外には出れないとは思いますけれど、間違った行いをなさっていなければ問題ありませんし、国家転覆を謀った者達と大聖女を騙った方以外はご本人のみの処罰で済ませるよう努めますから。それに国王陛下が戻られたら、卒業祝いのやり直しに何かして頂く様申し上げておきますわ」

「ありがとう存じます、お姉様」



その後、マヤリスとセッツァーの会話で出来た隙を突いて会場を抜け出した戦いの得意な生徒達と、高位令嬢達が密かに派遣した私兵達が狩場に急行した。

暗殺と言うよりは襲撃からの大乱闘となっていたところに加勢して、勝負は瞬く間に決着したのだ。

多くの襲撃者は死んだが、残った者は全て教会へと身柄を引き渡された。

第一王子と第二王子は伝統に従って、弟の第三王子の卒業を祝う為の獲物を狩っていたのだ。

平和な国での実の弟の裏切りは、相当な衝撃だったに違いない。

国王夫妻は、自分達に対する陰謀は掴んでいたが、思ったよりも大規模な戦闘が起き、危ない所で迎えに出た王国軍と教国軍の連合軍に助けられ、無事帰国した。


そして王子を含めた騒動の発端を作った学生達は、広場での火刑と公布された。

残虐な行為ではあるが、見せしめの為には必要だったのだ。


沙汰が下った後に、マヤリスはゲリーが囚われている地下牢へと一度だけ足を運んだ。

「ゲリー様、御機嫌よう」

「ああ……マヤリス様。最期に会いに来て下さったのですか……」

「ええ。貴方の行いは許される事ではありませんが、わたくしを愛してくださった事、嬉しゅうございました。これはわたくしがてづから貴方の為に作ったスープでございます」


衛兵が、食事を与える小さな扉から、そのスープを差し入れる。

マヤリスはヴェールをたくし上げて、ゲリーに微笑を見せた。

ミュゲに似た清楚で可憐な顔立ちに、複雑な色彩の瞳はいつまでも見続けていたい美しさだ。


「これで思い残す事はございません」


すっと頭を下げたゲリーを見て、マヤリスはヴェールを元に戻すと、振り返らずにその場を後にする。

その日、ゲリーは地下牢で眠るように亡くなった。


ゲリーの死んだ次の日、首謀者達への火刑が執行された。

国中から訪れた人々が見守る中、十数名の若者達が、炎で焼かれる。

自害出来ないように鉄の口枷を食まされていた。

男爵家の一族や謀略に関わった男の一族は、直系の家族は広場ではなく別の場所でひっそり火刑となり、協力した者も知っていて逆らわなかった者達も刑場での縛り首となった。

当人達だけでなく、見聞きした使用人も全て、罪に問われたのでその数は膨れ上がり、大聖女マヤリスの嘆願で処刑が回避されたのである。

その代わり奴隷として、彼らは教会の管理する土地で労働が課せられることになった。

平民の多くは命を助けられ、処刑されたのは貴族が多かった事で、大きな混乱も無く事態は収束したのだ。


領地や爵位の返上、婚約の解消など王国も再編に追われたが、それよりも大変だったのは今回のエルシーア王国を滅ぼす陰謀を企てた隣国の、シナイ公国とセズ王国だ。

シナイ公国は大聖女を害する事を含めた計画に王族も加担していたので、国自体が滅びてしまった。

セリア聖教国を主導に、周囲の国全てが敵となったのである。

蹂躙される前にシナイ公国の貴族達が、元凶である王族達を処刑して、教国軍と異端審問を自ら受け入れたのである。

全ての貴族が審問を受け、更に見つかった加担者たちが処刑される事で終わった。

公国のあった場所はエルシーア王国に吸収され、残った貴族はそのまま存続となり、直轄領と返上された領地を教会の土地として管理される事になる。

セズ王国は、シナイ公国に協力する形で、襲撃を黙認した事で他国からも批判を受けるが、戦争を回避する為に領地をセリア聖教国とエルシーア王国に自ら割譲を申し出た。


全てが終わったのは、騒動があってから数ヵ月後の事だ。


「滅びの大聖女、と言われるからこの国を滅ぼすのかと思っていたけれど、どうやら今回は違ったようですね」


祈りと奉仕の合間の時間、紅茶を飲みながらのんびりと言うマヤリスに、そうですね、と使徒が眠そうに相槌を打った。

神の家は今日も穏やかに時間が過ぎていく。

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