かつて憎んでいた貴女へ

粟沿曼珠

第1話 リカとの出会い

 中学校に入学してから少し経った頃、所謂モテ期が到来した。

 ——とは言うものの、薄いピンクさえも無い、ただの黄色いモテ期なのであったけれども。


 しかし、これまで碌に女子と交流してこなかった人間としては嬉しい話であった。

 俺と女子の関係は、都会の街を歩く貧困層と富裕層のようなものに近しい。お互いすぐ側にいるのに、遥か遠くの存在なのだ。

 そしてあちらがこちらに関心を持たない一方で、こちらがあちらへ関心を持つという点も近しい。


 貧困層が富裕層から金を与えられれば喜ぶように、関心のある人間が——どういう理由かは分からないものの——こちらに関心を向けてきたらそりゃ喜ぶ。

 ……尤も、恋愛には然程興味が無く、喜んでいる理由は「女子と交流したい」という性欲に近しい何かを発散したい、或いは「女子にモテる」という男性社会の勲章を得てイキりたい、という最悪な理由ではあるのだけれど。


「あ、斎藤さんだ!」

「斎藤さ~ん!」


 廊下を歩くだけで、まるで街の人気者に偶然会ったかのような黄色い声を掛けられる日々、大スターにあれやこれやと話しかけるファンやミーハーのような彼女達の言葉。


 薄々察していたと言うべきか、案の定と言うべきか、満足感と優越感に浸れた時間はそう長くは続かなかった。

 俺は顔が良い方では無いし、オタク——しかも周囲にオタクが碌にいないこともあって際立っている——だ。あと何かとキモい。

 それもあってか、交流自体は多少あるものの以前のような人気は無く、俺に熱狂していた頃の熱は冷めてしまった。


 ——まあ、そういうもんなんだろうな。


 俺のモテ期は理由も分からないまま始まって終わった。それはまるで夢のようにふわふわとした期間で、理解し難いもので、故にこそ未練や執着を抱かなかったのだと思う。

 或いは彼女達が何らかの夢を見ていて、交流していくうちに夢が夢であると気付き、夢から醒めたのかもしれない。


 ——仮にそうだとしたら、まだ夢から醒めていない人が一人だけいる。






「レイちゃ~ん!」


 その夢から醒めていない人との出会いは、トイレから戻ってきた時であった。


 中学校に入学してから初めて会ったはず。名前も知らなければ顔も知らないし、趣味や性格も当然分からない。

 なのに彼女——リカは、まるで昔から友人でしたと言わんばかりに、初対面にもかかわらず昔ながらの愛称で俺のことを呼んだ。


 挨拶の言葉も、「あ」という声も出ず、ただただ彼女を呆然と見つめることしかできなかった。


「あー……どうも……?」


 何とか言葉を捻りだし、頭を僅かに下げた。


「ねね、レイちゃんってボカロ好きなんでしょ!?」

「え?」


 どこでそのことを知ったのか、こちらの挨拶を意に介さず彼女は興奮気味にそう問い掛けてきた。


「あ、ああ、そうだけど……誰から聞いた?」

「サトシから!」

「あーあいつか……」


 彼女のその答えについ重々しい嘆息を零してしまった。

 彼との仲は一応良好だ。だが、小学生の頃に彼の所為でいじめ紛いの弄りを受ける羽目になって——などと考えて苛立ちに胸が苦しくなり、大きく息を吸う。


 ——また面倒なことになるのか……?


「……それで、それがどうかした?」


 意を決して彼女に問い掛けた。すると彼女は快活な笑みを崩さずに、


「いやぁ私も好きだからさ、仲良くなれたらなーって思って! よろしくね!」


 そう答えた。


 ——あ、そう来たか。


 どうやら俺は過去の出来事に囚われてしまっているようだ。よくよく考えれば、オタクであることを知って態々弄りに来る奴の方が珍しいであろうに。

 同志を見つけたら、普通は仲良くなろうとするものだ。俺だってそうだ。


「お、おう……よろしく」


 そう言って再び僅かに頭を下げ、彼女の言葉に応えた。


「うん! それじゃ!」


 満足したのか、彼女はにこやかにそう返事をし、教室へと戻っていった。


 ——何だったんだ……?


 嵐のように現れ、嵐のように去る。リカとの出会いは衝撃的で、思わず困惑してしまうようなものであった。


 だが、同時に嬉しくもあった。

 小学生の頃は自分の周囲にオタクが少なく、またその数少ないオタクも自分とは趣味が違っていた。ボカロをよく聴く友人なんて、一人もいなかった。


 それがたった今、ボカロをよく聴く友人ができた。同志が現れた。

 オタクであることを理由に迫害され、オタクであることを隠して生きようと決めた。

 だけれども、或いは迫害されたからこそ、その一方でオタクの友人を求めていた。

 オタクであることを隠す必要が無く、同じ趣味で盛り上がれるような友人が。本当の自分をさらけ出せるような相手が。

 彼女はきっと、それができる存在だ。オタクとしての自分を晒け出せる唯一の友人だろう。


 彼女の後姿を見届けて、期待と興奮を覚えながら俺も教室に戻った。

 多分俺は今、彼女と同じことを思っているのだろう——もう一度話したいと、曲は何が好きなのだろうかと、次はどんな話をしようかと。






 当然、この時の自分には分からなかった——彼女を憎むことになるなんて。

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