第0006話


 二人が歩道橋から離れようとした時、近くの男性から疑問めいた声がした。二人は本能的にその男性が視線を向けているところへ見上げる。


 そこにあるのは、黒雲の形状が変化し、時計回りに内側へ窪でいくという光景だった。


 通常、夜にでもなったかのように空が黒雲に覆われたら、人々は急いで走ってでも建物の中へ駆け込むであろう。しかし空にこのような未曾有で不思議な現象が起こっているため、人々は好奇心に駆られ足を止めて空へ見上げたり、スマホで撮影したりしていた。


 黒雲はそんな人々の注目の中、次々に大きな螺旋状の窪みを形成していく。


 それらはどんどん深く、大きくなり、まるで逆さになった巨大な竜巻のよう。地上のものをすべて吸い込むかのような感じさせられた。


 恐怖で声を上げた人もいる。だが幸いなことにそのような事にはならなかった。


 黒雲の窪みの下にたくさんの光りの玉が現れ、そしてそれらは膨らみ、輝きを増し、やがて不規則なモノへと変わる。


 モノの形も大きさも異なっていた。斜めの、縦状の、横状の、楕円形の、Xの字の……様々。また、どのモノでも縁が整っていない。縁から虹色の光が滲み出ており、縁の周りの空間も歪ませられている。


 最後、モノはまるでなにかが引き裂かれた<裂け目>のようなものになった。


 <裂け目>から照らし出した光が建物に、商店の看板に、道路に、街路樹に、そして人々に当たり、周囲はすこし明るくなった。


 <裂け目>の中に動く景色が広がっている。その1つを通し、遠方に巨樹があるのがぼんやりと見えた。


 その巨樹は周りの景色と比べるととてつもなく大きい。幹が太く真っ直ぐ、雲を突き破り頂点が見えなかった。幹に点在する枝や樹皮の皺が見えていなければ、それを天地を支える巨大な石柱に間違えるであろう。巨樹の周りに不可思議な光が纏っており、その遠景は緑と白、そして夢幻の色調に包まれていた。


 <これはプロジェクションマッピングとかじゃないよな>。


 と、この光景を目の当たりにしている人々が皆同じ事を考えていた。


 数多くの<裂け目>の中からは、日常生活ではもちろん、世界中でさえも見ることのないものばかりを映し出されている。


 広々として果てしない草原、延々と続く氷結の川、もの激しく噴火する火山、薄らと光る水晶の洞窟、空に浮く島々、未知なる生き物……


 人々から次々と驚嘆や驚異の声が上がった。


 「……まさか……これは……」


 目の前の光景を見て、悠樹の脳内にいろんな推測や考えが充満しする。


 そこでどこの誰かが「やっほ~~~~~いっ!! キタキタキタぁっ! 非日常キター――!! 異世界来たああぁー――っ!!」などのことを言って、さらに悠樹をギョッとさせた。


 萌花は悠樹に体を寄せる。太陽光が黒雲によって直射の熱量を遮断されてたせいか、或いはこの常軌を逸した現象に畏怖を感じたのか、猛暑の日に二人は熱いと思わなところか、冷や汗までかいていた。


 「萌花行こう」


 二人がまた離れようとする。


 すると次の瞬間、二人が渡ろうとしていた向こう側の街道でなにかが白く光った。周りが暗いため、その閃光はとても明るかった。


 「ギャァ――ッ!!」


 閃光が消えた後、女性が叫ぶ声が響いた。


 会社勤めの服装をした女性が地面に倒れ込んでいる。彼女は真っ青で怯えた顔をして、仕事の資料も散らばっていた。


 その女性の近くにいる男性が彼女を助け起こし、そして話しかける。


 「どうしたんですか?」


 「い…いま……わたしの前にいた男の人が消えました……」


 女性は体が震えながら返事をした。


 「なに? 消えた?」


 「はい……さっきの閃光です……あの男の人が一瞬だけ閃いたら消えたんです!」


 男性は「な…なにを……変な事言わないでくださいよ」と信じがたく訝った口ぶりで言った。


 「本当ですっ! あの人が目の前から消えたんです!」


 閃光に注意力を奪われた人々は静かになていて、車両が道路を通る音以外街は非常に静かなため、この二人の会話は周辺からよく聞こえていた。


 「そんなこと言われても……」


 白光。


 「ぎゃあっ!!」「キャッ!」


 男性の話を遮るように、悠樹と萌花が来た側の街道からも白い光が閃いた。


 人々は視線をそちらへ向ける。そこに高校生に見える二人の少女がいる。彼女たちは目をつぶり、体が強張っていて腕で身を守る姿勢を取っていた。


 数秒後、彼女たちが目を開く。


 「大丈夫? 亜美? 佳奈?」


 「うん……わたしは大丈夫。そっちは?」


 「わたしも大丈夫。亜美は?」


 「亜美?」


 二人は辺りを見回す。”亜美”という連れの人を探しているようだけれど、”亜美”は現れなかった。


 「え? 亜美どこ?」


 「う…うそ……亜美……? 亜美!?」


 二人はスマホで”亜美”に連絡しようとしたが、すぐ圏外だと気付いた。向こう側の街道での事もあって、彼女たちはますます怖がり出す。


 「さっき……亜美がピカってしなかった……?」


 佳奈と呼ばれた少女が恐る恐る小さい声で言ったが、それでも周りの人たちは皆聞こえた。


 人々の表情が硬くなり、顔を見合わせて不安で焦り出す。商店や建物の中の人たちも騒ぎを確かめるために外へ出てきた。


 そして、3度目の閃光が不意に訪れる。


 「あっ!」「きゃっ!」


 今回の閃光は悠樹と萌花のすぐ近くだった。あまりの眩しさで二人は本能的に目をつぶり防御の姿勢を取った。先ほどの少女たちと同じように。


 二人が目を開けるとすぐに気付いた。消えたのは閃光だけではなく、さっきまでそこにいて、自分たちを黒雲が変化する部分へ見上げさせた人もだということに。


 消えた。跡形もなく。


 この辺りは異様に静かで、風までもが止んだかのよう。周辺の電器が程度の違う点滅をし出し、雰囲気がさらに気味悪くなった。


 「……き…消えた…………人が消えていなくなったぞっ!!」


 そしてこの息の詰まる空気の中で、誰かが、そう叫んだ。


 この一言は完全に<閃光>を肯定した。


 <スマホが圏外になる>、<空に超常現象>、及び3度の<人が閃光になって消えた>という出来事の連続で、人々の神経は極度に張り詰めていた。


 この言葉はドミノを倒す切っ掛けにもなった。


 危険のシグナルが連鎖的に増幅され、ネガティブな感情が瞬く間に街中に広がっていく。


 夜よりも暗い街の中、4度目、5度目、6度目……続々と閃光が発生する。人々は大声で叫ぶ。


 道路では人が車両を捨てて逃げたり、信号を無視しアクセルを踏み倒しにしてぶつかったりで、大量の車両が次々に衝突する事故になり道が塞がれた。


 街道では必死に走り回って逃げる者がいて、家族や友人の名を呼びながら泣き叫ぶ者がいて、精神的ショックで呆然し動けない者もいる。


 「あああああ――!!」


 「ギャ――ッ!!」


 「どけっ! どけぇ!!」


 「ぐああ痛えっ! イテーって!」


 「うわあ゛ああ――! ぐはっ!!」


 「人が倒れてる! もう押すな! 踏むなあぁ!!」


 「な…なにが起きてるんだ!?」


 「たっ…助けてくれ――っ!!」


 「――はどこにいるの!?」


 「うああああああ――!!」


 「ママぁ――!!」


 ……


 一帯の地域でクラクションの音、衝突音、破壊音、喚く声、泣きじゃくる声、怒鳴る声、助けを呼ぶ声、様々な音や声が響き轟く。


 人々が凶悪な顔で押し合い、引っ張り合い、倒れている人を踏み超える。不秩序で、大混乱で、完全にパニックに陥り、阿鼻叫喚の図となっている。


 ものの数分で、穏やかだった日常から恐怖の深淵へと落とされることを、誰が予想できたのであろう。


 ”此処から離れる”。誰もがこう思っていた。<此処>は何処までなのか、何処に行けば安全なのか分からないとしても、それを目指し行動するしかない。


 今いる街道の向こう側へ走る者、街道に沿ってとにかく遠くへ狂奔する者、建物の中から飛び出す者、大勢で建物へ押し込で出入り口を塞ぐ者。人々は方向や行先など分からず、ただ本能で逃げる。


 だがもう遅かった。



 瞬間、夜空に輝く満天の星の如く、街の屋内外光が煌々と閃き出す。


 閃光は一瞬、だけど閃光体――人はその閃光と共に消えた。何も残さず、元よりそこには何もなかったかのよう。



 「ぐあっ!」


 悠樹と萌花も混乱の中で逃げるが、激しい走りのせいで悠樹の右足の古傷が発作し、バランスが崩れて倒れた。


 「くそっ! こんな時にっ!」


 「悠樹!!」


 萌花が戻って悠樹を助け起こす。


 「ぐっ……ごめん!」


 悠樹はゆっくり立ち上がり、何回か右足を強く振って確かめた。


 「もう大丈夫、行こう!」


 「まだ走れる?」


 「ちょっと痺れてるけど、気を付けば多ぶっ……ああっ!!」


 二人がまた走り出そうとした時、彼らの体は微かな白い光に包まれた。


 これは何を意味するか、二人はすぐ理解した。


 この時、二人は時間の流れをとても遅く感じる。彼らの目に映るものはすべて明瞭で鮮やか。元から愛らしく見えた相手の顔が、さらに可愛く覚える。


 二人は期せずして抱きつき合い、そして唇を重ねた。


 一緒になれて、本当によかった。愛してる。


 二人が間に合わなかったその言葉も、きっとその口づけで伝わったであろう。


 やがて、彼らも光となった。



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