第42話 生きる
アーディッツ市には各地の諸侯が”新たな皇帝”への挨拶のためにやって来ていた。
もちろん彼らは正統な領主ではなく、半島での戦争で大貴族が不在の際に代官や領地を攻撃し
不当に領土を拡大した貴族たちだった。
彼らは伯爵にすり寄ることでその地位と領土の保有を既成事実化しようとしていたのだった。
とりわけ、大聖堂で過去の大帝になぞらえて行われる戴冠式に伯爵らは参加するようだ。
我々はその貴族の一団に化けて市内へ進入し大聖堂の伯爵を討つ。
という作戦を立てた。
城門さえ超えてしまえば、後は手練れの45名の腕でどうにかなる。
問題は、ことが露呈して伯爵が逃亡してしまう事だ。
結局我々はエレオノーラに変装させて
貴族として侵入させることとした。
しかし、女伯や女騎士というのはごく珍しい存在で(本来の世界ではありえないもの)あるから
俺は「悪目立ちするのではないか」と彼女を諫めたが
「口下手のアンタよりまし」とズバリと言われて何も言い返せなくなってしまった。
エレオノーラは結局私物のサーコートとコルセットを纏って相変わらず軍馬に跨って
俺に手綱を引かせて貴族のフリをした。
紋章は護衛騎士長の自前の物を掲げて
フォゴーレという名前を名乗った。
アーディッツ市の入り口には厳つい守備隊が立っていた。
彼らは我々が城門の前に来るとギロリと睨みつけ、
「お名前を告げなされよ」と尋ねた。
それにエレオノーラは「無礼者、この紋章を見て分からんのか」と叫んだ。
門衛たちは顔を見合わせて何か話し合うと
手に負えないと判断したようで「少々お待ちください」と
言って責任者を呼ぶことにしたようだ。
暫くしてカラフルなマントを纏った小男が
ぐしゃぐしゃの書類と一緒に現れた。
彼は自分を紋章官と名乗った。
エレオノーラは少し眉を潜めた。
「この紋章は…帝国のモノではありませんね」
と彼は不可解な様子で述べる。
「すみませんが、確認のお時間を…」と彼がさらに引き延ばそうとする。
しかしそうなれば、こんなデマカセすぐに発覚されてしまう。
俺は静かに腰の剣の柄に手を掛けた。
だがエレオノーラは急に眼の色を変えると
「小僧!何をしている!さっさと道を空けよ」
「私はフォゴーレ家の女男爵である」
「それとも何か、私の家紋がわからぬのか?」
「良いだろう。そうなら一筆伯爵にしたためてやろう」
と傲慢な貴族風に叫び散らした。
そしてあろうことか彼女は俺を指先で呼び寄せ
「書と筆を用意しろ」と命じた。
こいつ…と家来の様に扱う彼女に内心腹を立てつつ俺は彼女の家来になり切って
「ははぁー」などと臭い演技をした。
エレオノーラは馬上から小男を見下ろして
「どれ、伯爵に苦情をしたためてやる。お前の名を名乗れ」と高圧的に宣った。
それに紋章官はすっかり青ざめて
「わかりました。お通り下さい」と門を開けさせて我々を市内へ招き入れた。
「よくあんな啖呵を切ったな」
と俺はエレオノーラに言う。
それに彼女は髪飾りを降ろしながら
「あの紋章官、もともとは小間使いよ」
「以前、皇帝陛下に謁見した際に端に控えてたわ」
「クーデターに参加して地位を得たみたいだけど紋章官の知識なんかないわよ」
と言い捨てた。
しかし傲慢な振る舞いはなかなか堂に入っていた。
この調子では、もし結婚したとして
数年すれば尻に敷かれるかもしれない…
と俺は妄想した。
大聖堂には着飾った貴族、騎士、はたまた簒奪者が席を埋めていた。
それどころかこのどさくさに紛れて不正に土地の所有権を強奪しようとする商人まで参加し、
大聖堂は席どころか後ろの立見席でさえぎゅうぎゅうだった。
結局伯爵は力さえあればなんでも受け入れたのだ。
大聖堂付近は兵士が警らしていて当たり前だが完全武装の小隊を近づけることはできなかった。
もちろん、強行突破して聖堂内を荒らすことはできるだろうがそれでは伯爵を取り逃がす可能性がある。
警護隊長は「私に案がある」と言って隊を任せてくれと告げた。
俺は彼に外の事を任せて、エレオノーラの付き人として中に潜入することにした。
仕方がないので俺はエレオノーラと警護隊長と2名の手練れを連れて中に入ることにした。
既に大聖堂は立見席しか残っていなかった。
だが、中央の道は伯爵が通るためにあけられていた。
エレオノーラはサーコートの下に剣を隠して
道の脇に控えた。
あたりを見回してみれば、みんな必要以上に着飾って
まるで自分の価値を必要以上に誇示するようだ。
ご婦人はドレスを、騎士は鎧を。貴族はマントと宝石を身に付けていた。
「結局みんな、皇帝が死んだとわかれば自己保身の為に従うわけよ」
とエレオノーラは軽蔑する様子で言った。
そうしているうちにバタンと正門が開かれてそのゴシックなアーチの下から伯爵とその護衛たちが
恭しく、儀礼じみた格好で現れた。
貴族たちは立ち上がって伯爵の方を向いた。
彼はそのまま祭壇の前に立つとこちらへ振り返り、
ギロリとしたその目つきで彼らを見回した。
そしてそのまま手をゆっくりと上げると帝国帝冠を持った大司教を呼び寄せ、
帝国の皇位を継承する旨を告げた。
その瞬間俺はまた”導き”が彼の頭上へ伸びているのが見えた。
それはそのまま大きく光りながら彼の頭上に顕現し、
伯爵が帝冠を被るのにさながら後光の様に立ち現れた。
貴族たちはこれに畏れをなし、十字架を取り出し祈ったり手を結んでひれ伏した。
「こっ、これは…!?」
とエレオノーラも狼狽えたが
俺は彼女の腕を握って「こんなのまやかしだ」と彼女を叱咤した。
伯爵はその光と共に剣を引き抜き
「見よ、我に神威が降り立つのを」
「この光こそ、我が真に神に選ばれし皇帝である印である」
「ひれ伏せ、我は帝国の始祖たる大帝と同じくこの地上のすべてを統べる古代帝国の後継者である」
と大仰に宣言した。
皆、その神秘的現象を目の当たりにして彼に平伏した。
伯爵は皆が五体を地面に投げ出すのを横目に堂々と教会の真ん中を歩き始めた。
俺こそが王だ。俺こそがこの世界の統治者だ。
彼の自信ありげな表情はまさにそのような傲慢さを物語っていた。
しかしその中でただ一人だけが平伏せず、さらにあろうことか門の前に
立ちはだかっているではないか。
側近の徴税請負人は「退け、下郎!皇帝陛下の御前であるぞ」と激しく軽蔑したが
その女はすらりとマントの下から剣を抜いた。
「きっ、貴様は…」
と徴税請負人がたじろぐ。
伯爵はニヤリと笑ってその正体を看過する。
「エレオノーラか」
彼女はそれにバッとサーコートを取り払い名乗りを上げた。
「いかにも、私はホーエンライン男爵領の後継者である
エレオノーラ・ヴィッター・フォン・ホーエンラインだ!!」
「伯爵の封臣の貴様が何を無礼な!」
「女風情が道を空けよ」
と徴税請負人は腕を振り回して兵士たちを呼び出す。
「私は伯爵の封臣である以前に、皇帝陛下の封臣である!」
「その皇帝が変わったと言っているんだ!」
「謀反人の言葉を聞く必要がどこにある!!」
その言葉を合図に伯爵の護衛騎士4人が鞘を払ってエレオノーラを取り囲んだ。
俺はすぐさま彼女の前に飛び出て剣を構えた。
伯爵はにまにま笑いながらこちらを見た。
「エレオノーラに、従騎士の男。懐かしい面子よの」
「どれ、死線をくぐってどれだけ腕が立つようになったか見せてもらおうか」
それを合図に4人の護衛は飛び掛かって来た。
俺とエレオノーラはすぐさま白刃を剥いて応戦した。
しかし伯爵はその剣撃に妙に思った。
なにやら、焦げ臭いが一体に立ち込める。
そう感じた瞬間には聖堂の外から火の手が上がっていた。
「ほほぉう、焼き討ちか」
と彼はやはり落ち着いた様子でそれを確かめた。
俺は身に覚えのない火災に少し混乱したが
聖堂に火の不始末というのもおかしな話だ。
おおむね警護隊長が火を放ったのだろう。
貴族たちは斬りあいと火災に大混乱になって
一斉に扉へなだれ込んだ。
しかしその扉は外から木で閉ざされていて開けられない。
参列者は着飾ったのが却って仇となって長いドレスや
コートに引火したちまち大聖堂は阿鼻叫喚の
地獄と化した。
混乱のさ中伯爵は「まぁよい。こやつらの軍勢さえ手に入ればこんな奴らに価値はない」と
言い残して部下達とあらかじめ用意していた隠し扉でサッと逃げ出してしまった。
「逃げるな!」と俺とエレオノーラは人波を押しのけて、
はたまたその上を飛び越えて彼を追う。
4人の伯爵の護衛がその行く手を阻もうとするが、彼らの重装備のおかげで
人ごみから抜け出す事が出来なかった。
聖堂の隠し道は上階に続いていた。
俺とエレオノーラはその螺旋階段を駆け上がって伯爵を追った。
そして勢いよく上階に飛び出そうとしたところを
エレオノーラが「馬鹿!!迂闊よ!」と叫んで
腕を引っ張った。
彼女の言った通り、階段の終わりには敵が待ち伏せしていて
危うく串刺しにされるところだった。
「ふん、運のいい奴め」
と伯爵はしくじったのを残念がった。
「外で暴れているのも貴様の手の者か」
「よくもまぁ、連れて来たものよ」
「だがしかしそれもここで終わりだ」
伯爵が指を鳴らすと奥から一人の男がマントを翻して現れた。
この男には見覚えがある。
確か騎士競技会で皇帝の横に侍っていた男だ。
「あなたは…皇帝の近衛騎士長、ローレンスね‥!」
エレオノーラは眉に皺をよせて彼の名を告げる。
名を言い当てられたローレンスは少しはにかみながら
「ご名答」と首を回した。
「皇帝の刃とも呼ばれ、天下に響く武名の貴方がなぜこのような叛乱に!?」
「決まっているだろう。そっちの方が強いやつと戦えるからさ」
「皇帝の目指す世の中は、平凡な世の中だったのさ」
「俺は俺自身の為にひたすら強いやつと戦う」
「だから、乱世と力の秩序であればあるほど俺には望ましい」
ローレンスはニヤリと笑うとゆっくりとその腰に帯びた
エストックを引き抜いて下段に構えた。
俺は内心”しまった”と感じた。
前には帝国最強の騎士、後ろからは4人の手練れ。
この狭い階段で挟み撃ちにされればひとたまりもない。
一か八か前に出るか?
俺は踏ん切りがつかずエレオノーラの顔を見た。
そしたら彼女はとっくに覚悟した顔をしていて
「行こう」と小声で俺に合図した。
俺は呆気にとられる間もなくそれに
「…あぁ!!」と答えると階段を飛び出て、ローレンスと伯爵の部下に飛び掛かった。
がしかしローレンスはそれを見抜いて素早く俺の懐に飛び込むと剣の石突で俺の顔を小突いた。
そしてエレオノーラを躱して彼女の事を足から抱えて投げ飛ばした。
「つまらんぞ。貴様らも歴戦の騎士なのだろう?」
「もう少し楽しませてみろ」
ローレンスはつまらなそうに剣をビュンと振る。
俺はキッと再び彼のことを睨んで剣を構え、エレオノーラに目配せして合図する。
それに合わせて再び我々は敵に飛び込む。
ローレンスはそれを見切って我々の間にすっと寸分の違いもなく入り込むと
剣を返して峰で俺達を弾き飛ばした。
「まだだ、まだ殺さない」
彼は金属の板金靴を鳴らし我々の首元へ進んだ。
それにしびれを切らした徴税請負人は「おい早く殺せ!」と叫び散らすが
ローレンスは聞く耳を持たない。
「聞いたぞ、お前らの仲間に手練れが居ると」
「そいつはどこだ?俺はお前らなぞ簡単に屠れるが」
「教皇の近衛騎士なら話は別だ」
「…どこでそれを聞いた!?」
「そんなのどうだっていいだろう」
「それとも、お前が首だけになったら出てくるか?」
ローレンスはそう告げると剣を低く下げこちらへ向かってきた。
くそっ!やつは今度は殺す気だ。
剣幕からそれがすぐ分かった。
だが、こいつに手こずっていては伯爵に逃げられる。
正に万事休す。しかしまさにその瞬間に天窓が叩き割られて我々の救世主が現れた。
バリンと窓を叩き割って屋根から飛び込んできたのは近衛騎士長だった。
彼は奇襲で剣先を下に向けながらローレンスに飛び掛かった。
それをローレンスはすんでのところで躱して剣を交えた。
「皇帝の警護騎士長の…ローレンスだな!」
「いかにも。そちらは教皇の近衛騎士長と見える」
「しかし、反乱分子の小僧といるのは妙だな」
「こちらもワケアリでね‥!」
近衛騎士長が剣を横にしてツキを放つ。
それをローレンスがパリィングして反撃を放つ。
我々も加勢しようと剣を持ち直し近づく。
しかし騎士長が「行け!お前らの目的はあいつを倒す事だろ!」
と叫ぶ。
エレオノーラと俺は一瞬戸惑ったが彼の呼びかけに我を取り戻しすぐさま
伯爵の後を追った。
「くそっ、ウォーモンガーめ!!」
「伯爵!奴らが来ます!」
徴税請負人は焦った様子で伯爵に申し上げる。
だがそれに伯爵はニタニタと笑って
「おもしろい!実におもしろい!!」と面白がった。
護衛たちはその様子に面食らった。
そして皆同じように”悪魔憑き”という言葉が頭をよぎった。
しかしもはやここまで来た以上もう後には退けない。
それにこの人について行けば、新しい何かが見れる。
そういう不気味な高揚感は常にあった。
俺とエレオノーラは隠し通路を抜けて中庭に出た。
伯爵とその一行は丁度奥の扉の施錠を外すのに難儀していた。
「伯爵!!」
エレオノーラは凄まじい剣幕で叫んだ。
「エレオノーラ!」
伯爵は振り返りそれに応答した。
「我が一族を翻弄し、私を愚弄した伯爵」
「帝国諸侯エレオノーラ・フォン・ホーエンラインが貴様を葬る!」
エレオノーラが剣を敵に向けて宣言する。
「エレオノーラ。お前は相も変わらず間抜けだな」
「だがそれも今日で終わりだ」「お前のその間抜け面とも今日でおしまいだ」
「殺した後にその綺麗な顔を愛でてやろう。ズタズタに引き裂いて卑兵の慰み者にな」
「ヘルムート!!」
両者の罵倒を合図に護衛騎士たちは全員鞘を払い、剣と槍を剥いた。
そして両者が突撃をして斬りあいになる。
伯爵は逃げずにもはや扉の前で佇んでいる。
敵は手練れが4人、だがしかし俺とエレオノーラの相手ではない。
素早い身のこなしで敵のハルバードが首を狙って横薙ぎを放ってきたが
それを躱して懐に入ると俺は前蹴りをして敵を転ばせた。
そしてそのまますぐさまエレオノーラが飛び上がって、自重で剣を敵に突き刺した。
「あと3人!」
その刹那にもう3人がそれぞ前と横と後ろから我々を取り囲むように剣を突き立てて突撃してきた。
1人目と2人目は剣で捌いた。しかし3人目はその隙に肉薄されてしまった。
そうなればもう躱せないと判断して俺は攻撃を左手で受け止めた。
手甲があっても流石に直撃を喰らえば、腕に深くまで剣が突き刺さる。
しかしそれのお陰で体に突き刺さるのは回避できた。
さらにこれで敵は剣が突き刺さって一瞬身動きが取れない。
「でやぁああ!!」
その隙にエレオノーラが敵を斬りつけた。
首に一閃。一撃で即死だ。
「ハヤト!!」
エレオノーラが俺を援護するために敵の前に躍り出る。
俺は貫かれた左手から剣を引き抜き、激痛の中右手だけで剣を握る。
どのみちもうこの状態では今まで通りの戦い方はできない。
俺は左手をだらりと投げ出して片手だけの決闘式剣術の型を取った。
俺たち二人は再び敵と相対する。
2対2。もはやこれより後は、技の技量と体力。そして意地。
しばしの沈黙。僅か数秒のその時間が無限の様に感じた。
先に動いたのは敵のエレオノーラと相対している方だった。
俺たちは飛び掛かってくる敵に対して後の先を取る事だけに集中し、
そして絶好のタイミングで相手の胴に刃を当てた。
敵は絶命した。
ーーーー
伯爵は護衛たちが殺されるのをぼんやりと見ているだけだった。
「はぁ…はぁ…伯爵、もう終わりよ」
エレオノーラは絶え絶えな息を切らしながら彼に告げる。
教会はもう火が回って焼け崩れて、あたりはもう赤と黒の焔にすっかり包まれていた。
伯爵は剣を鞘のまま腰から持ち上げて天を仰いだ。
「俺はな、神様の声が聞こえるんだ」
「最初はやかましかったさ。ただな、よく聞きゃあなんてことない俗っぽいやつだ」
「でも目をつけるところは良かった。何せ、皇帝の義弟の俺を呼びつけたんだからな」
「伯爵、それは天の導きでもなんでもない」
「お前は利用されているだけだ!」
「天の声だろうがなんだろうがどうだっていい!」
「俺はただ偉くなりたいんだ。わかるだろう?俺は世界を変えたいんだ」
「古今東西の英雄は皆お利口さんだったか?ちがうだろ」
「皆が皆、簒奪者だったのさ。英雄とはすなわち姦雄だ」
「伯爵、貴方は・・!」
「俺は、教義や神や悪魔が人の畏敬を利用して自らを資する連中の道具に過ぎない事を知っている」
「俺には悲しい過去も、誓いもない。俺はただ単に世界の王になりたい」
「お前はこの世界に最初からいなかったな!お前の本当の名前を言え!伯爵!」
「俺は”伯爵”さ。それ以外の名前は持たない。本物のヘルムートは奴の親が死んだときに一緒に死んだのさ」
その瞬間雷と見紛うような光が伯爵の頭上に降り注いだ。
そして彼は剣を引き抜いた。
「こいつは…」
エレオノーラは目を疑った。教会流に言えばさながらそれは”奇跡”の様であったからだ。
しかし彼女は信仰心ゆえに首振ってそれを紛い物と判断した。
伯爵は得意げな様子で「貴様らにこの力を見せてやる」と剣を軽く振った。
その瞬間、彼の後ろの硬い施錠扉は吹き飛び当たりの火花がはがしく舞った。
「くそっ…馬鹿げてるぜ、アニメかよ」
俺は左腕の激痛を抑えながら毒づいた。
「ハヤト!来るわよ!」
エレオノーラが叫んだ瞬間ハヤトに再び攻撃が飛んだ。
まさか、二撃目もすぐに放てるなんて!あまりの予想外に彼は対応できなかった。
「ハヤト!」
エレオノーラはあまりの攻撃の威力に彼の方を振り向いた。
しかし煙が晴れた後のそこにはハヤトの姿がなかった。
彼女は唖然とした。
「他人を心配している暇があるのか?エレオノーラ」
「さぁ精々踊って見せろ!そしたらお前の親父と同じように四肢を斬り刻んで殺してやる」
「…」
「どうした知らんのか?お前の親父の最期を」
「あの武辺者はな、間抜けに死んだんだぜ。味方を助けるためなんて英雄気取りでな」
「父を馬鹿にするな」
「お前の叔父も、弱っちい奴だったな」
「私の…家族を!馬鹿にするな!!」
「伯爵!」
エレオノーラはその挑発に激高し無策にも伯爵の前に突っ込んだ。
しかし伯爵の狙いはまさにそれだった。
彼は低く構えると突っ込んできたエレオノーラの剣撃に合わせてカウンターを仕掛けた。
エレオノーラの剣と伯爵の剣がぶつかった瞬間に彼女の剣は粉々に砕け散り、
そしてその一瞬で彼女は胴に重い蹴りを受けて跪いた。
伯爵は彼女のまとめた髪を引っ張って頭をあげる。
「いいか?雌豚。こんな鎧なんか着てお前がいくら頑張ったってな」
「お前は男爵家を継げない。何故なら私は最初からお前に継承権を認めるつもりなんかないからだ」
「お前を生かしておいたのはお前が馬鹿みたいにのたうち回っているのが面白かったからだ」
「…だまれ」
「泣いて縋れ。そしたら下男の誰かと縁談ぐらい付けてやる」
「もっとも、家も告げず知りもしない男に組み敷かれて生きるのがお前に対する一番の苦痛になることは知ってる」
「俺はお前みたいなバカ女が勘違いして努力するのが好きなんだ」
「だからあがけよ、ほら」
伯爵はそう言うとエレオノーラの髪を話して彼女を地面に叩きつけた。
「おいおい、取り柄の綺麗な顔が血と傷で汚れてるぞ」
「今のお前は豚でも抱かんな」
伯爵はそう言うと腰の短剣に手を掛けた。
「泣いて縋れ。さもなくば一生慰み者として過ごすか?」
「”身の程知らずでした”その一言を言えば、お前を…」
エレオノーラは足蹴にされながら涙を流した。
そして心が折れかかってついには「わ、わたしは…身の程知らずな…」とその懺悔を口にしようとした。
だがその瞬間中庭に「それを言う必要はないぜエレオノーラ」と声が響き渡る。
伯爵はあたりを見回す。「生きていたとはな」
それに俺は「木材ってのは案外緩衝材になるぜ」と返した。
しかし伯爵は俺を見つけることができない。
何故ならあたりには煙と瓦礫にまみれているからだ。
しかもそれは伯爵自身の攻撃でさらに悪化している。
「どこだ、出て来い」「出て来いと言っている!」
と伯爵は再び攻撃をあたりにまき散らして煙を払おうとする。
しかしそれは却って状況を悪化させた。
「無駄だ。お前がいくら力を振り回そうと」
「俺達には勝てっこない」「誰かを信じることをせず、自分の欲求の為だけに世を乱し」
「神を騙って人間を嗤うお前が」
「人間の可能性を信じる俺達を倒せるはずが無い」
「どこにいる!」伯爵は取り乱した様子で首を振った。
「目の前だよ」
俺はそう告げると同時に焔の中から飛び出し短剣で伯爵の首元に突撃した。
「うっ!あぁあああ!!」
伯爵は丁度鎧と鎧の間を貫かれた。短剣の刃先は彼の喉に刺さり、致命傷を与えた。
俺はそのまま伯爵に馬乗りになって残りの前進全霊で短剣を押し込んだ。
「貴様、!俺は神聖帝国の皇帝…この世界の新たな神だぞ!」
「このっぉ!!痴れ者め!大義を…」
「があぁああああっ!!」
伯爵はその断末魔を最後にだらりと力を失って地面に倒れ伏した。
「た、たおした…」
「やった。やったんだ…」
俺は短剣を引き抜き、力なくそう言った。
そして肩で息をした。
伯爵は鎧から血を吹き出し、もはや出血は止まらない。
そうでなくともその溢れかえる体液で溺れるだろう。
伯爵は死んだのだ。
俺は一気に脱力し彼の死体にもたれかかった。
しかしその瞬間、伯爵の体が動き俺の頭を両手で抱えると
骸になった伯爵が白目を剝いたまま俺に叫んだ。
「油断したな!!馬鹿め!」
そう言うと伯爵の死体は俺の顔に血液を吹きかけた。
俺はそれをすぐに吐き出し、拭ったが間に合わなかった。
”導き”は昔の様に俺の頭の中で喋り始める。
「伯爵は所詮俺の数あるストックに過ぎない」
「こうやって悪魔憑きになった後でも私は転生者に接触して乗り移れば何度でもこの世界に顕現できる」
「そして今、転生者であるお前に乗り移った」
「お前は愚かよ、所詮は人。私の考えをわかった気になるなど」
俺は頭を抱えて「黙れ!」と叫んで声をかき消した。
しかし、これでは俺の中に奴が居座っている状態になる。
つまり、奴は俺が死なない限りこの世界に影響を及ぼし続ける。
「ハヤト?大丈夫なの!」
エレオノーラが駆け寄る。
「…クソっやられた!」
「伯爵に指示を出してた親玉が俺に憑りつきやがった」
「…!と、とにかくここから脱出しないと」
「いいやだめだエレオノーラ。こいつはほっとけばきっと俺を乗っ取っちまう」
「でもそんな…!そんな呪術みたいな事どうするのよ!」
エレオノーラは混乱してそう言う。
俺は考えた。この状況を打開する方法を。
奴を体から追い出す方法。もとい、奴を殺す方法。
俺はその瞬間一つの結論に達した。
否、恐らくそれは唯一の解決策だ。
しかしそれはとてつもない覚悟がいる。
「ハヤト!」
「…エレオノーラ聞いてくれ」
「一つだけ、一つだけ解決法がある」
「悪魔憑きを祓う方法が…?」
エレオノーラはその途中で俺の表情を見て何かに感づいた。
そして顔をしかめるとすぐに「ダメよ」「絶対ダメ!」
と俺の腕を掴んだ。
「まだ何も言ってないだろう」
「…あんた、死ぬ気でしょ。自殺すれば憑き者だろうが呪術だろうが」
「消えてなくなるって」「そう考えてるんでしょ!?」
「…そうだ。俺が死ねば、この頭の中の奴も一緒に消える」
「じゃなきゃ伯爵から乗り移った意味がない」
「ダメ!駄目よ!あんたは馬鹿だから早まってるだけだって!」
「大司祭様とかに聞いてみなさいよ。絶対何か解決策があるはずよ」
「…そんな悠長な暇ねぇよ!もしその途上で知らない誰かに乗り変わられたら?」
「そしたらこいつはまた同じように悪さする!」
「それに、こいつに乗っ取られたら俺はお前だって殺すぞ!」
エレオノーラはその言葉に思わず顔をぐちゃぐちゃにして縋る。
「自分勝手な事言わないで!いいわよ、私はあんたが死ぬなら私も死ぬわよ」
「だから…お願いだから、私からもう家族を奪わないでよ」
「私を置いて行かないで…」「一人にしないで」
俺は彼女のその様子に思わず感化されて唇を震わせた。
だがしかし、駄目だ。エレオノーラには死んでもらっては困る。
俺は彼女を抱きしめる
「エレオノーラ。すまん、最初から最後までずっとわがままばっかり言って」
「でもな、エレオノーラ。お前には生きてほしいんだ」
「昔教官に言われたろ?”生きる事が戦いなんだ”って」
「あの時はさ、タダの楽観主義的な言葉だと思ってたんだよ」
「でも今思えばあれはきっと、残酷な世界に対して立ち向かって、そんな世の中を変えていけって意味なんだと思う」
「だからエレオノーラ。早まらないで。お前は、器量があって腕も経つし、人を率いる魅力にあふれている」
「今度は俺からお前に”生きろ”って命題を託す」
「その後でも、俺にはいつでも会えるから」
「‥‥約束よ。絶対ね、あんた嘘ついたら…許さないから」
エレオノーラは顔を真っ赤にしてそう言った。
俺は笑って「綺麗だよ、エレオノーラ。好きだ」とはっきりと言った。
そして最後に口づけをすると膝をついて短刀を取り出した。
その瞬間、頭の中で割れそうなほどの声が響く。
「人間!!お前、何故小娘と行かん?」
「目の前に極楽が保証されているのに、導きがあるというのに!」
「何故取らん!!」
”それ”は激しい口調で俺を叱責する。
だが俺はそんなものに耳を貸さない。
胴鎧を外して短剣を心臓のあたりに突き立てる。
正直痛いだろうな。想像はしたくない。
「人間風情が、私を侮辱するとは!」
「侮辱してるのはお前だ。神の名を騙り、人々を操れると勘違いした」
「そして自らの利権を保護するために別世界から人間を呼び出したりもした」
「だけどな」
「人間ってのは自分で考えて生きるんだ。誰かに言われて、運命づけられて生きるわけじゃない」
「これからはそう変わっていく」
「そんな時代が…訪れるものか!人は常に愚かだ。誰かの影に隠れなければ何もできやしない!」
「そんなお前らに力を与えてやって、導いてやるんだ」
「そんなもん」
「こっちから願い下げだね」
そう吐き捨てると俺は短刀を勢いよく鋤骨の下から突き刺し、心臓を貫いた。
瞬間、エレオノーラが苦しませないために俺の首を一太刀で落とした。
最期に見た景色は、晴れの空。そしてエレオノーラの顔だった。
前の死とは違って、一切の悔いはなかった。
俺はもう自分を恥じることはないだろう。
ーーーー
《5年後 ホーエンライン男爵領》
豊な緑と畑に囲まれた屋敷には今日もひっきりなしに荷物が届く。
この屋敷の主は帝国の混乱を治めた女男爵様で、そのせいで縁故を作ろうと様々な貴族から手紙や品々が届く。
仲には、彼女が未亡人であることを知って結婚の誘いなどもある。
「奥様、ドレーク伯様から再び婚姻についてのお誘い文が」
と家令が申し上げる。
それに家の主は「何度も断ってるでしょう?それに、20歳のドレーク伯様には私みたいな30近い人じゃ合わないわよ」
と告げる。
それに家令は「…やはり、旦那様のことが気がかりですか?エレオノーラ様」と恐る恐る尋ねる。
それにエレオノーラは「旦那様なんて大げさな。彼はただの従騎士よ」
「正式な婚姻関係じゃないわ」
と言う。
しかし彼女は表情を少し濁らせて「だけど」と続ける。
「もう他の人と結婚する気は湧かないの」
「そりゃぁもちろんドレーク伯はイケメンよ?」
「それにあいつは馬面だったしね」「でも、いいの。私は」
それに家令は「出過ぎた真似を」と謝ったがエレオノーラは
「いいのよいいのよ」となだめる。
「それに、今はあの子もいるしね」彼女はそう言って窓の外に目をやる。
その視線の先には従者と共にペトと戯れる子供が居た。
その子はエレオノーラの子供だ。
「たった数回でデキちゃったんだから、あいつの精力ってのはそれこそ馬並だったわけだけど…」
「いや、やめておきましょう」
「ともかく、今の私はあの子がおっきくなるまで手が離せないの」
「でも‥」
エレオノーラは窓の外を見ながら少し微笑んだ。
「でも‥‥それが一番今は楽しいの」
家令はその様子を見て諦めをつけつつ、その様子を温かい目で見守った。
やがてホーエンライン女男爵は貨幣経済の流れを誰よりも読み、近隣の自由市に投資をして財を成したという。
その子、マルクス・フォン・ホーエンラインは弱きを助け強きを挫く法官として高名な貴族になった。
最終的には男爵領は地方伯爵に格上げされ、南部地域の豊かな穀類を管理する一族となった。
彼女は最終的に、37歳で流行り病で命を落とした。
彼女の寝室の枕元には、終生彼女の従者だったという従騎士の肖像画があったという。
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