第一の呪い・「あなたは何も見ていない」

①新入生歓迎コンパにて

 ――まひるが死んでから、数か月が過ぎた。

 季節は冬から春になり、高校を卒業した僕は大学生として新生活を送っている。


 生まれ育った町を離れ、一人暮らしを始めることは前々から決めていたことだった。

 家族と離れて生活することを寂しく思うこともあったが……それと同じくらい、まひるとの思い出がたくさんあるこの町を離れることにもの悲しさを感じていたことを覚えている。


 ……まひるが夕陽くんを殺したことを知る者は、ほとんどいない。

 被害者である夕陽くんのご両親も事実を明るみにしないことに同意し、協力してくれた。


 どうしてそうしてくれたのか理由はわからないが……もしかしたら、夕陽くんにも後ろ暗い何かを抱えていたのかもしれない。

 まひるから送られてきた最後のメッセージの中に、彼が僕を殺そうとしていたという文面があったことを覚えていた僕は、少し嫌な想像をして……すぐにそれを頭の中から振り払った。


 もう、あの事件を振り返るのは止めよう。今更何を悔やんでも、まひるも夕陽くんも戻ってこない。

 全てを忘れてくれと、それが最期の願いだと、まひるも言っていた。

 ただ、そんなことは絶対に無理だということもわかっている。


 まだまだ初恋の女の子を忘れることはできなさそうだなと考えていた僕は、体を強く揺すられて顔を上げた。


「お~い! 楽しんでる~? 好きに飲んで、食べていいからね! 新入生くん!!」


「あはは、ありがとうございます……」


 そう僕に声をかけてきた女性は、随分と酔っているように見えた。

 真っ赤な顔をして、大声で叫ぶように声をかけてきた彼女に苦笑を浮かべながら返事をした僕は、ふぅと息を吐いて周囲を見回す。


 広い居酒屋の宴会場で騒ぐ、人、人、人……彼らは全員、僕と同じ大学の同級生と先輩たちだ。

 俗にいう、新歓コンパ。幾つかのサークルが合同で開催している、新入生なら誰でも参加できる宴会の中に僕はいた。


 正直な話、こういった騒がしい集まりに出るような気分ではなかったし、サークルに参加するつもりもなかったから、出席は遠慮しようかと思ったのだが……少し理由があって、こうなっている。

 新入生たちは飲み食い無料という謳い文句のおかげか、コンパには想像していたよりも多くの学生たちが集まっており、活発に交流している様子が窺えた。


(まあ、交流って言ったって、内容はあれだもんなぁ……)


 ここは真面目に勉強する教室でもなければ、静かにしなければならない図書館でもない。

 飲み、食い、騒ぐ……宴会の場だ。

 だけどまあ、こういう酒が絡む場では往々にして友好を深めるというより、男女の関係を狙う輩が多く出るというのも間違いない。


 よく見れば……いや、よく観察せずとも、男性の先輩がかわいい新入生とお近づきになるべく、その隣をキープしている光景があちらこちらで見受けられた。

 そんなふうに周囲を見回し続けていた僕は、ある一点を見つめてその動きを止めると共に、ゆっくりと立ち上がる。


「へぇ~! 八坂さん、下の名前は小夜ちゃんっていうんだね~! じゃあ、これからそう呼んでもいいかな?」


「ご自由にどうぞ。私は気にしませんから」


「うっひょ~! じゃあ、遠慮なく……小夜ちゃ~ん! 何か飲み物頼もうよ~! 二人で乾杯しよ! ねっ!?」


 爽やかな雰囲気の、だけどどこか抱えている欲望が透けて見えている先輩と二人で話しているその女子の名前は……八坂小夜。

 真っ黒で長い髪と真っ赤な瞳が特徴的な彼女は、僕と同じ大学に進学していた。


 何を隠そう、僕が気乗りしない新歓コンパに参加したのは八坂さんが来ると聞いたからだ。

 別に彼女とどうこうしたいというわけではなく、純粋に心配で、気になってしまった。

 実際にああやってお持ち帰りを狙う先輩に声をかけられている場面を見るに、僕の心配は杞憂ではなかったというわけだ。


 そのことを喜ぶべきか、嘆くべきかと考えながら八坂さんの下へと近付いた僕は、できる限り自然に彼女に挨拶をする。


「やあ、八坂さん。隣、いいかな?」


「……どうぞ、ご自由に」


「ありがとう。じゃあ、失礼するよ」


 ちらりと僕を一瞥した八坂さんは、わずかに微笑みを浮かべて男の先輩と逆の席を手で叩いてくれた。

 彼女に感謝しつつ、そこに腰を下ろした僕へと、少しだけつまらなそうな顔をした先輩が声をかけてくる。


「あれれ~? ごめんだけど、君は誰かな? 新入生の子たちの顔、全然覚えらんなくってさ~!」


「私と同じ高校出身の朝倉新一くんです。彼とは高校時代から仲良くさせてもらっています」


「へぇ、そっか。そうなんだね」


 明らかにトーンダウンした先輩が、呟きながら僕を見やる。

 柔和に、敵意なく、笑顔でその視線に返しながら、僕は自分が先輩からお邪魔虫だと思われているんだろうなと確信していた。


「そっかそっか~、二人は同じ高校の出身か~! ああ、ごめんごめん。俺は片山拓也かたやま たくや、四年生の先輩だよ」


「片山先輩ですね。どうぞ、よろしくお願いします」


「ああ、いいよいいよ。まあ、とりあえず何か飲もうか。小夜ちゃん、カシオレでいい?」


「すいません、片山先輩。僕たちはまだ二十歳未満なので、お酒はちょっと……」


「はははっ! 固いって、朝倉くん! こういう場では少し羽目を外すのがマナーだよ!」


 そう笑いながら言う片山先輩だが、目は笑っていない。

 やや強引に酒を勧めてくる彼が、八坂さんを酔わせようとしていることはすぐにわかった。


 だから、その目論見を阻止すべく、何としてもお酒を頼ませないように反論していたのだが……先輩と僕に挟まれる八坂さんが、おもむろに口を開いてこう言ってきた。


「すいません、先輩。私、実は今朝から調子が優れなくて、少し前に風邪薬を飲んだんです。だから、お酒はご遠慮させていただきます」


「……ああ、そう。そっか。じゃあ、仕方ないね。じゃあ、オレンジジュースにしておこうか? 朝倉くんはお茶とかの方がいい?」


 やんわりとした、だけど明確な拒絶の意思を感じさせる八坂さんの断り文句に、片山先輩が一気にテンションを落とす。

 この女はガードが堅いと思ったのか、はたまた僕という邪魔者の存在を煩わしく思ったのか、はたまた他の女子を狙った方が時間の無駄にならなくていいと考えたのかはわからないが、先輩は飲み物が届いてから程なくして僕たちの傍から離れていった。


「私のこと、助けにきてくれたの?」


「ああ、まあね。でも、必要なかったみたいだ」


「いいえ、助かったわ。ありがとう、朝倉くん」


 片山先輩が去った後、僕と八坂さんはそれぞれの飲み物を口にしながら話をし始めた。

 周囲の喧騒から隔絶されたような、小さな声で行われる会話を繰り広げながら、僕は彼女へと言う。


「こういうことを言うのは失礼かもしれないけど、珍しいね。八坂さん、こういう騒がしいのは苦手だと思ってた」


「強引に誘われて、断り切れなかったの。そういう朝倉くんこそ、どうして参加したの?」


「あ~……僕も八坂さんと似たような感じだよ」


「……嘘。顔に『私が心配だから様子を見にきた』って書いてあるわよ」


 そう言いながら八坂さんが僅かに微笑む。

 目を細め、口元を少しだけ歪ませた彼女は、僕の考えなんてお見通しなのだろう。


 どうにも……八坂さんは妙に鋭いというか、見えていないものを見抜く不思議な力があるように思えてならない。

 その笑顔と共に彼女からの感謝の念を感じた僕は、グラスの中のウーロン茶を半分ほど飲み干してからこう言葉を返した。


「……迷惑かもしれないけど、なんだか気になっちゃって。八坂さんには色々世話になったからさ」

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