第8話 セミダブル

 僕たちは朝イチから新居付近の家具屋に訪れ、同居する上で必要になるものを買い揃えようという計画をしていた。


 しかし、現在の時刻は二時。


 女の子の支度は僕が思っていた以上に時間が掛かるらしい。早くしてくれよと急かす気持ちがなかったと言えば嘘になるが、おかげで優雅な午前を過ごせたから葵には胸の内で感謝をしとくか。


「ベッドは大きい方が良いかな?」

「部屋はそこそこ広いんだし、大きくても良いと思うけど」

 

 昨日判明した新事実だが、葵は心底寝相が悪い。何度彼女の寝相に起こされたことか。寝相が悪いなら、ベッドは大きければ大きいほど良いと僕は思う。心身もその方がリラックスできるしな。大きいに越したことはない。


「だよねー、シングルだと窮屈だよね」


 言葉には出さないが、君に関してはそう思うよ。


「ベッドじゃないとダメなの?」


 シンプルな疑問だった。寝相が悪いなら、敷布団という選択肢もあるはずだ。

 

「どういうこと?」

「いや、ほらさ。ベッドだと落ちる可能性もあるし」


 落ちる可能性があるじゃない。葵は必ずベッドから落下すると断言できる。


「落ちるわけないじゃん!」


 もう変なこと言わないで、と笑う。


「いや、可能性の話だから」


 ベッドから落下して打ち所悪く、僕が介護しないとならない羽目には遭いたくない。そもそも打撲すらもしたくないだろうし。


「私、そんなに寝相悪くないから」


 にっこりとしたまま、僕の肩にボディタッチをする。自分の顔が引きつっているのが分かる。まさかの無自覚だった。


「どうしたの?大丈夫?」


 僕の引きつった顔に違和感を覚えた葵が、上目遣いに覗く。


「よし、葵。君のためを思って伝える。覚悟して聞いてくれ」

「押忍!」


 改まった口調の僕に、葵は威勢の良い返事をして背筋がピンッと張る。


「君の寝相は悪い。ひたすらに悪い」

「えっ……」

「酷なことかもしれない」


 そう、真実を知らない葵には酷なことだろう。

 

「でも私……」

「なんだ?伝えたいことがあるのなら、伝えたまえ」

「朝起きたら眠りについた位置にいます」

「うん。違うんだ。それはただの勘違いなんだ」

「長官……それはどういうことですか!」

「元の位置に戻っているだけなんだ」


 夜中に動き回り、朝方に元の位置に戻ってるんだ。夜中に力の入っていないボディーブローを何度食らったか。痛くはなかったが、じわじわと効いてきたぞ。


「でも私、ベッドが良い。かわいいから」

「はぁ……ならベッドにしようよ」


 ベッドがかわいいというのは全くもって意味が分からないが、僕が否定する権利はない。自分の好み通りにすれば良いと思う。


「柵とかつけてもいいんじゃないの?介護ベッドみたいに」

「失礼な。まだピンピンの女の子ですよーだ」


 僕に向かってべーっと舌先を出し、葵がもう一度口を開く。


「あ、それとも回りくどいプロポーズ的な?」

「どういうこと?」


 どう繋がったのか意味不明だ。

 

「僕は君がおばあちゃんになっても介護するから、死ぬまでこのベッドでいいんじゃないか……って。もう!回りくどすぎだよー」

「僕は君の脳内がどうやって言葉を変換しているのか心の底から気になるよ」


 本当に脳内が幸せそうだな。


 『助けて……』


 突如として、僕の脳内に昨夜の葵が零した切なげな言葉がよぎる。明るく振舞う人間にも、抱えた悩みの一つ二つはある。葵の家族のこともそうだ。僕には知らないことが多い。


「セミダブルってサイズもあるらしいよ」

「お、認めたくないけど寝相の悪い私にも丁度良いかも」

「組み立て手伝うから、好きなのにしなよ」


 葵は優しく笑う。


「今日はいつにも増して優しいね、ありがとう」


 葵の笑顔と感謝を僕は少しだけ嬉しく思う。僕は葵にとっての世界で唯一の同居人。世界でひとつの家だ。


 だからあの空間に居る時だけでも、彼女の抱える悩みや苦しみを忘れて幸せに暮らして欲しいと思う。その方が僕も居心地が良くなるから。その方が僕にとっても得だからな。


「これに決めたよ!」


 葵が選んだベッドはセミダブルサイズの淡い青色。あの花と同じ色をしたベッド。


「じゃあ行こうか」

「うん!今度はこの布団で寝ようね!」


 ベッドの引換券を手に握り、ニシシといたずらっ子のように笑う。


「今度ね」


 僕自身のために、葵の願いはなるべく叶えてあげようと思う。できることを無理のない範囲で、少しづつ。


「その言葉忘れないでね!」

「証拠がないから」


 葵はスっと、録音画面を開いたスマホを取り出す。どれだけ準備が良いんだよ。


「言質は取ったから!」


 なんの悩みも抱えていないように感じる、雲ひとつない笑みだった。そして、今度は葵の布団にお邪魔することが確定した。


 ――――――――――――――――――――――


「もう疲れた。無理。動けない」


 だらんと葵がベッドに溶けるように倒れ込む。自宅にエレベーターがあったから良かった。エントランスから自宅まで運んだだけで、明日の筋肉痛は間違いないな。


「ほら、組み立てるよ」

「明日にしよー」

「はい立って」


 僕の目の前に葵の両手が伸びる。引っ張って、ということだろう。僕は葵の望み通り両手を掴み、ベッドから引っ張り上げる。


「はい、やるよ」

「うん、頑張るー」

 

 そのまま、だらんとした葵の腕を引いて彼女の部屋まで連れていく。葵は頑固だけど、わがままでは無い。


 日が暮れ始める頃に僕たちは組み立て作業へ取り掛かった。作業が終わると同時に今日は僕の腹の虫が鳴り響いた。その音に葵も気づいたようでニヤッとしている。


「お腹鳴ってるよ」

「お腹空いてるからね」

「なんだか思ってた反応と違ってた……」


 どんな反応がベストだったのか。葵のようにわざわざ言うな、と可愛く言えば良かったのか。それよりもお腹が空いた。


「ご飯どうする?」

「作っちゃおうか!」

「作れるの?」


 葵は細い腕を曲げ、小さな力こぶを作り、任せなさいと自信満々に言う。僕は感謝を伝え、自室に戻ろうと立ち上がる。そして後ろに無理向くと同時に腕を掴まれる。


「どこ行くの?」

「部屋に戻ろうかなと」

「どうして?」

「もうここに居る必要がないから」

「手伝うというお考えは?」

「手伝いたいという気持ちはあるけど、邪魔になるかなって」


 僕は料理に関して、能力が皆無だ。そんな僕がキッチンに居たら、逆に邪魔になる。それなら部屋で料理ができるまで待っていた方がいいと思った。


「何もしないで食べるだけってどう思う?」

「ダメだと思います……」

「良くないことだよね。なら、どうしたら私は喜ぶと思う」


 今まで母さんに頼りきって生活していた。高校時代は自宅に帰れば、晩ご飯が出てきた。感謝していないわけではない。しかし、その光景が当たり前になっていて、料理は誰かが作ってくれると思っていた。有り得ない考えだ。


「一緒に手伝えば、喜んでくれると思います」

「はい、正解」


 葵に頭を撫でられる。彼女に諭され、自分の浅はかな考えを正す。


「とはいえ、今日は陽向くんには色々と手伝って貰ったから今日は見逃します」

「でも……」


 葵に叱られた手前、やったーありがとう、と部屋に戻るのは気が引ける


「陽向くんのポリシーはギブアンドテイクでしょ」

「そうだけど」

「なら私は与えてもらったけど、与えられてはいないからね」


 僕は損得感情で動く。他人に対して自分の得になるために、何かをした暁には見返りを求める。でも、それは僕の考えであり生き方だ。


「それは僕の考えだから葵には関係ない。僕の考えに従う必要は無いよ」

「でも、なんだか申し訳なくなっちゃう」

「そういうものなの?」

「そう言うものなの。あ!なら、今日は私が陽向くんに作ってあげたいから作るね」

「そうなんだ。じゃあ今日は頼むよ」


 初めて食べる葵の料理に心を踊らせて、彼女と共にリビングへ向かった。一応、自室ではなくリビングには居ておこうかな、と。


 


 





 

 

 

 

 

 








 

 

 

 

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