第29話 魔王ヴェルギア

「さっきはごめん。取り乱しちゃって」

「いいよ。仕方ない」


 マズフレイの背の上で、エトナがぽつりとつぶやいた。

 頬にはまだ涙のあとがある。


 風を切って空を飛ぶ竜が向かう先は、ルピナスよりもさらに北にある魔王の要塞だ。

 平原や川、小さな村々。

 それらの景色がすさまじい勢いで俺の後ろに消えていく。

 少しずつ雲が厚くなり、太陽が覆い隠されていった。


「見えてきたな」

 

 やがて灰色の空の下にたたずむ、漆黒の要塞が見えてきた。

 その周囲には巨大な黒い影が見える。

 翼をはためかせ、こちらに向かっているようだ。


 空を飛べば魔王の要塞にも容易に近づける。

 しかし、これまでに誰もそうしなかったのには理由があったのだ。

 近づいてくる黒い影はどんどん大きくなり、その姿が明らかになった。


 屍竜、つまり竜のゾンビだ。

 眼球は腐り落ち、眼窩にはぽっかりと黒い穴が開いている。

 紫色の鱗はところどころ剥がれ落ち、肉がむき出しになっていた。

 それでも腐敗した体にはまだ魔力は残っているらしい。

 空を飛び、口元からは炎が漏れていた。


 禍々しい魔力を放つ巨体が、20メートルほどの距離に迫っている。

 屍竜は大きくのけぞると、炎のブレスを吐いた。

 レーザー砲のような光の筋が走る。

 俺はマズフレイを大きく旋回させ、屍竜の側面にまわった。

 悪いがこんなところで足止めを食らっているヒマはない。


 俺は手をかざすと【爆炎】と【暴風】を同時発動させた。

 炎の嵐が勢いよく屍竜に襲いかかる。

 全身に巻き付いていく豪炎の中で、轟くような絶叫がわいた。

 屍竜は空中で力を失い、紫色の霧となって消えてく。


「すご……。一撃だなんて」


 エトナがドン引きするのも無理はない。

 屍竜のレベルは70~80ぐらいはありそうだ。

 大陸のどの国の軍隊も寄せ付けないほどの強さがあるだろう。

 しかし、全身が戻って格段に強くなった俺の敵ではなかった。


 俺はマズフレイを加速させた。

 屍竜がまた近づいている。

 今度は2体同時だ。

 しかし数が増えても問題にはならなかった。

 射程範囲に入った瞬間、【鋼雷弾】で撃ち、【爆炎】と【暴風】の合わせ技で蹴散らしていく。

 眼下には怪しい気を放つ魔王の要塞が見えた。


「さて、どうやって入るか、ね。まさか正面から行くわけにもいかないでしょうし」

「それなら考えがあるんだ。真上から行こうと思う」


「真上? どういうことよ。屋上から侵入するの?」

「いや、文字通り真上だ。エトナはここで待っていてくれ。ただ、他にも屍竜や空の魔物が近づいてきたら離れてもらってかまわない」


「レン……」

「大丈夫だって。信じてくれよ」


 転生したこの世界で、頭だけになって転がっていた自分。

 さぞかし頼りない存在だったと思う。

 実際、転がってることしかできなかったからな。

 鎧の体を得て、少しずつ体を取り戻して――。

 今はエトナの力を借りなくても戦えるようになった。


「じゃあ、行ってくる! マズフレイ、エトナのこと頼むぜ」


 俺はそう言ってマズフレイの背中から飛び降りた。

 みるみる要塞が近づいてくる。

 すごい風切り音だ。

 今の俺でもこのまま地面に落下するのはマズいかも。

 俺は要塞の屋上に向かって手を伸ばした。


【爆閃】


 爆音が大気を震わせる。

 10メートルを超える、巨大な光の球が要塞の天井部分を包みこんだ。

 石材が光の中で蒸発していく。

 屋根に空いた大穴の中を突き進んだ。

 いや、落下していったと言った方が正しいな。


 黒い大理石で作られた床が見えてきた。

 俺は真下に【暴風】を使い、落下スピードを緩める。

 両足で着地し、空を見上げる。

 上空にマズフレイと、心配そうに見下ろしているエトナが見えた。


 さすがは魔王の拠点。

 あたりにはいくつもの魔物の気配があった。

 魔王が作り出した不死者の下僕たちが、要塞の内部を守っているのだろう。

 俺が【聖極爆】を使うと、強い光が要塞の中を照らした。

 不気味な悲鳴とうめき声が聞こえてくる。

 不死者たちはキレイさっぱり浄化されたはずだ。


「さて、魔王はどこにいるかな」


 この広い要塞を探し回るのも億劫だ。

 向こうから来てもらおう。

 俺はあたりに【鋼雷弾】を撃ちまくった。

 要塞の壁や天井に無数の大穴が空いていく。

 さらにかざした手から【暴風】と【爆炎】を放ち、ぐるっと一周させた。

 近くに潜んでいた魔物たちも全滅したに違いない。

 これだけハデに魔法を使っても、俺の魔力にはまだまだ余裕があった。


 不意に、目の前に黒い閃光がほとばしった。

 俺は無意識に発動させていた【魔法盾】で弾く。

 この魔法には見覚えがある。


「ぶっ飛ばしに来たぜ、魔王ヴェルギア。今度は本体だよな」


 閃光が放たれた方向に、ひときわ大きな影が立っている。

 角の生えた兜、赤く光る目。

 そして体を包み隠す黒いローブ。


「レン、か。貴様がここまで来るとはな」


 地の底から響くような、不気味な声だった。

 魔王の幻体と同じ姿をしているが、放っている魔力は段違いだ。

 間違いなく、こいつが魔王ヴェルギアの本体だろう。


「人の子よ。なぜ我に従わないのだ。我が下僕となれば、永遠の命を得られるのだぞ」

「何言ってんだよお前。そういう話じゃないから」


「人間を皆殺しにして、不死者の世界に変える。そうすれば、貴様ら人間どもが望む平和そのものが訪れるだろう。病気や戦争に怯える必要もない」

「……そういう動機で魔王軍を侵攻させてたんだな。よくわかったよ」


 俺は鋭く踏み込むと、強化魔法を発動させた。


「お前とは決して分かりあえないってことがな!」


 ゼハインから借りた魔槍を魔王の胸元目がけて突き入れる。

 魔王は腰から黄金の大剣を抜き放ち、穂先を払った。

 振り下ろされた刃をかわし、魔槍で突き、払い、力づくで叩きつける。

 後ずさる魔王に向かって【鋼雷弾】を撃ち、足元を【凍結】で凍らせ、再び間合いを詰めて【爆閃】。

 腰から抜いたスティレットを、魔王の脇腹に深々と突き刺した。

 さすがに効いただろう。

 しかし魔王は身じろぎせずに腕を振り払った。

 俺は後ろに飛んでかわす。


「くくく。なるほど。単身で乗り込んでくるだけのことはある」


 黒い刀身を持つ剣で魔槍を弾きながら、魔王が笑った。

 どうも虚勢を張っているわけではないようだ。

 巨体が紫色の光を帯びていく。

 俺はさらに後ずさり、距離を取った。

 閃光とともに、魔王の体が爆発する。

 自爆?

 いや、そんなわけないか。


 爆風が穴だらけの要塞の中を通り抜けていく。

 粉塵の中から現れたのは、さらにひとまわりデカくなった巨人だ。

 目は赤く煌めき、こめかみの部分から山羊のようにねじれた角が生えている。

 黒い鎧とローブからはみ出した肌は紫色で、手には鋭く尖った爪が並んでいた。

 ひと目で人間があつかうものではないとわかるほど巨大な黄金の剣を握っている。

 今のヤツがどのぐらいのレベルなのか、見当もつかない。


「それが本来の姿ってわけか。面白くなってきたな」


 決して強がりで言ってるわけじゃない。

 俺は持っている力を存分に振るえることに興奮していた。


「貴様は調子に乗りすぎた。死ね」


【冥雷衝】


 魔王が前に差し出した剣から強烈な電撃が放たれた。

 俺は【魔法盾】を使いながら突っ込んでいく。

 退魔のローブと【魔法盾】を使っていても、軽減しきれないほどの電撃。

 体が痺れ、走るだけでも精一杯だった。


 魔槍で突き、あらゆる攻撃魔法を駆使して波状攻撃を仕掛ける。

 魔王は俺の攻撃に耐えながら、剣を振るい、手のひらから閃光を放った。

 この野郎、一体どれだけタフなんだ。

 戦闘が長引くにつれ、少しずつ均衡が崩れていく。

 強力な魔法と斬撃の前に、俺は押されていった。


 魔王が黄金の剣を振り上げる。

 剣に再び魔力が集まっていく。

 しかし次の瞬間、魔王の全身は炎に包まれていた。


「レン!」


 見上げた先にはマズフレイとその背から魔王に向かって【電撃】を放つエトナの姿があった。

 エトナは竜の背から飛び降り、地面に着地する。


「おい、危ねえって! 待っててくれって言ったのに」

「バカ! まったく、見てらんないわよ」


 エトナは俺のもとに走り寄って叫んだ。

 心配してくれているのが伝わってくる。

 それはシンプルに嬉しい。

 ただ、彼女を守りながら戦うのは無理だ。

 どうする!?


「持久戦は無理でしょ。一気に決めてきなさいよ」


 そういってエトナは俺の背中に手を当てた。

 体が薄い光の膜に包まれていく。

【俊敏強化】を使ってくれたのか。

 再びマズフレイが炎を吐きつける。

 魔王が忌々しげに吠えた。


「わかった。エトナ、短剣を貸してくれ」

「短剣? ……いいわ、ちゃんと返してよ」


 柄の部分に青い宝石がはめこまれた短剣を受け取ると、俺は走り出した。

【鋼雷弾】によって10発の光の弾丸を作り出し、魔王に叩き込む。

 複数の小さな爆発が起こった。

 吹きすさぶ爆風の中で魔王が怒りに満ちた咆哮をあげる。


 間合いを詰めた俺は【攻撃強化】をかけなおし、魔槍を投げつけた。

 刃鳴りをおこして凄まじい勢いで飛んでく。

 光を帯びた穂先が魔王の胸を鎧ごと貫き、壁に突き刺さった。

 魔王の胴体には拳大の穴がぽっかりと開き、どす黒い血液があふれ出す。


「ぐ……がっ……! 貴様ぁあああ!」


 魔王は片方の手で胸を押さえながら、剣を振りまわす。

 しかしヤツは【俊敏強化】によってスピードが上がった俺の姿を、一瞬とらえそこなった。

 その一瞬で十分だ。

 俺は石床を蹴って跳躍し、両手で持った短剣を魔王の顔面に深々と刺した。

 刃先は赤い眼球を破裂させ、後頭部から突き出る。


「こ……の……!」


 つかみかかろうとする手を振り払い、俺は手のひらを魔王の胸元にかざした。

 体中の魔力を右手に収束させる。

 魔王が憤怒の形相で何かを叫ぼうとした。


【爆閃】


 超高温の火球が魔王の体を焼き尽くす。

 轟音が要塞をかけめぐり、天井の大穴から漏れた閃光は空をも照らした。

 すさまじいエネルギーが周囲の空気を巻き込み、燃え盛る。

 魔王は絶叫をあげながら、光の中で塵へと変わっていった。

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