07. 強者
◆ 10 ◆
筆頭剣士は斬り捨てた敵の死骸を木陰に引き込み、その衣服を探った。
残念ながら、なんの手懸かりも得られない。ただ、それは予想の範囲内。なんの手懸かりも得られない、そのこと自体が一つの情報となる。
次いで敵の顔を覆う布を外し、その人相を確認した。やはり、山中の住居を襲ってきた者たちと同じく異国の顔付きをしている。
ここまでを確かめ、筆頭剣士は議長館となる建物へと走る。
馬鹿正直に閉鎖されている入口をこじ開ける気はない。壁を蹴り、跳ぶ。屋根の縁に手を掛けた。身を引き上げ、屋根へと登る。
祭殿は五重塔。造り替えられたとは言え、この議長館も基本となる造りは同じ。筆頭剣士は屋根を伝い、壁を登り、上層からの侵入を試みる。
しかし。闇から忍び寄る男たちに取り囲まれた。敵は備えていた。上層からの侵入を試みる相手にも。
筆頭剣士は素早く瞳を巡らせ、把握する。迫る敵は三人。筆頭剣士は屋根の上を駆け、応戦する。
敵の一人が筆頭剣士へと斬りかかる。その動きに足場の不安定さは感じられない。急勾配、滑りやすい屋根の上でありながら、揺るぎない大地の上と同じく剣を振るう。
だが、しかし。筆頭剣士は最小の動きで身を
敵に甘さも動揺も存在しない。斬りかかった敵の右腕の腱が断ち切られると同時に、左手側から両手に短剣を持つ敵が襲撃、背後からも頭を狙った分銅鎖が迫る。
筆頭剣士は身を
瞬間、筆頭剣士は向かう先を変更。屋根を蹴り、後ろに跳んだ。
短剣によりわずかに服を斬られ、頭上を分銅鎖が唸る。服を掴んだ敵を体当たりで屋根の上から弾き飛ばした。低い姿勢のまま軸足を右に左に換え、素早く回転しながら剣を振るう。
短剣の敵は三合までを躱し、あるいは受けたが、四合目。ついに受けながらも受けきれず、臑を断たれ屋根に伏した。
筆頭剣士は即座に身を
この敵は最初に分銅鎖を放った後は次々と飛刀を放つ。黒く焼かれた刃は闇に
それでも筆頭剣士には届かない。
筆頭剣士は飛刀を躱し、あるいは剣で弾いた。さらには弾いた飛刀は、短剣を筆頭剣士の背に向け投げようとしていた短剣の敵の眉間に突き刺さる。
そのまま飛刀を放つ敵へと距離を詰め、袈裟懸けに斬り裂いた。
致命傷を負いながらも、敵は眼前の筆頭剣士に向け、口内に隠した多数の針を飛ばした。
その敵の切り札も筆頭剣士には届かない。わずかに、避ける筆頭剣士の髪を縛る布の
侵入を阻まんと待ち構えていた敵は筆頭剣士に傷一つ負わせることはできなかった。
筆頭剣士は倒した敵の懐を探り、飛刀を二本確保した。
筆頭剣士は頭上の屋根を登り、一つ上、三層目の窓を塞ぐ板を蹴破り建物内に侵入した。
四層目、五層目にはそもそも窓はなく、敵が待ち構えていた以上、静かな気取られぬ侵入を試みる必要もないからだ。
三層目の通路は狭く、そこかしこで不必要に曲がり角が設けられている。ここは最初から侵入者を防ぐための階層だ。敵は狭い通路に詰め、あるいは角に
並の剣士では、いや一流の剣士であってもこの敵の波を掻き分け進むなど不可能。
だが、筆頭剣士は一流を越えた千年一材の天才。通路に詰めかけ押し寄せる剣林を薙ぎ払い、角に
敵の万全の備えも意味がない。筆頭剣士を斬ることも、歩みを止めることもできなければ、消耗させることすらできない。備えていた敵は無為に斬られていく。
通路に仕掛けられた罠も筆頭剣士を止めることはできない。筆頭剣士は四層目へと続く階段を駆け上がる。
四層目、そこはなにもない空間。壁に幾つかの明かりが灯されているだけ。
その広くがらんと開けた場所で、二人の人物が待ち構えていた。今までの敵と同じく闇色の衣をまといながら、顔は布で覆うことなく素顔を晒した者たちが。一人は槍を持ち、一人は剣を
筆頭剣士は思う。強い、と。二人の立ち姿を見ただけで、その実力を感じ取っていた。
二人には焦りも
二人は広く離れ、進んでくる。距離を取った敵二人の間に筆頭剣士を挟み込もうとする。もし間に挟み込まれれば、筆頭剣士は二方向の敵に対処しなければならなくなる。
先ほどまでの不意を打たれたところで怖れるほどではない相手とは違う。この二人に別々の方向から同時に攻められれば、
それでも、筆頭剣士は敢えて二人の敵の間へと自ら進む。
見合っていては、有利な位置の取り合いをしていては、時が過ぎゆく。
筆頭剣士の目的はハイレの救出。筆頭剣士の到来はすでに把握されている。こうしている間にハイレが害されてしまえば手遅れとなる。たとえ不利になろうとも、速戦をこそ求める。
筆頭剣士は部屋の中央へ。二人の敵は筆頭剣士を中心に置いた一直線上に。
敵は口を開く。
「儂はシアゼン流、ベナード。貴様がこのテレス・ダク国の筆頭剣士だな」
槍を持つ敵が名乗った。
「私はガルゼン流、ウィフリ。昔、一人で我が国の軍を斬り破ったという剣の冴え、一手御教授願います」
剣を抜きながら、もう一人の敵が名乗る。筆頭剣士は告げる。
「子供を
槍持つ敵ベナードと剣を構える敵ウィフリは同時に踏み込んだ。槍は左手側から、剣は右手側から筆頭剣士へと迫る。
筆頭剣士は床を滑るように下がった。敵は逃さない、追いかける。
筆頭剣士は左手側から迫るベナードへと距離を詰めた。穂先を躱し、剣の間合いへと。
ベナードは槍を回し、柄で打たんとする。筆頭剣士は身を
筆頭剣士は躱す。が、踏み込みの勢いが緩み、背後からのウィフリに追いつかれた。振り下ろされた剣は無防備な背へと。
筆頭剣士はその場で反転。ぶつかり合う刃と刃。迫る剣を払った。
その隙をベナードが
初めての手傷。
これが一対一であるならば、こうはならない。手間取り、幾らか時間が掛かりはしても筆頭剣士の勝利は揺るがない。
だが、二対一であるならば。わずかに、わずかに二人の実力は筆頭剣士を上回る。
手強い。二人の連携を崩せない。少しずつ筆頭剣士は傷を受け、少しずつ追い込まれていく。
どうするか。相打ち覚悟で遮二無二斬り込むならば、おそらくこの二人を斬れる。
ただし、筆頭剣士の目的はハイレの救出。この二人を倒したところで、ハイレを救えず倒れては意味がない。
このまま斬り合っていては分が悪い。ならば、場を変える。
筆頭剣士は壁に向かって走った。ベナードとウィフリは筆頭剣士に釣られることなく、構えを崩さず動かない。不動の敵は崩せない。
しかし、筆頭剣士の狙いは。
筆頭剣士は壁に灯された明かりを斬った。そのまま壁際を走り、明かりを斬っていく。壁に灯された明かりは八つ。筆頭剣士はそのうち三つを斬った。一角に闇が広がる。
筆頭剣士は影の者。闇に
敵も筆頭剣士の意図に気付いた。その行動を妨害せんとするが遅かった。あるいは進み、あるいは退き、すでに生まれた暗闇を利用し、筆頭剣士は敵を幻惑する。
筆頭剣士は深手を負いながらも、七つの明かりを消した。残る明かりは一つ。
一つを残したのはわざと。わずかな明かりがあるせいで、光の届かぬ場所の闇は一層深くなっている。
ベナードとウィフリも一流を超えた腕の持ち主。当然、気配だけで戦うこともできる。ただ、その連携は今までと同じとはいかない。
ベナードとウィフリはそれまでの無声の戦い方から、常時声を掛け合う戦い方へと切り替えた。声を上げることで筆頭剣士に位置を掴まれる不利よりも、互いの位置や状態を把握する有利が大きいからだ。
だが、しかし。敵のその工夫は意味を持たなかった。なぜなら筆頭剣士の狙いは。
槍持つベナードの背後に忍び寄る血の臭い。
筆頭剣士は深手を負っている。
ベナードは振り返ることなく、背後へと槍を繰り出した。
しかし。手応えはない。槍は宙を掻く。
ベナードは迷わない。雄叫びと共に振り返り、高速で大きく槍を回転させた。筆頭剣士が素早く槍を躱したと考えたために。だが、まるで当たらない。槍は虚しく宙を舞うのみ。
その時、ベナードの爪先が触れた。冷たく濡れた布切れに。ベナードは悟った。自分が欺かれたことを。
同時に剣と剣が打ち合わさせる音が響く。そう、筆頭剣士は服を切り取り、自らの流れる血液を染み込ませ、ベナードを
聞こえてくる声と音からウィフリは筆頭剣士に圧倒されているとわかる。ベナードは急ぎ助けに向かおうと足を踏み出した。
その足を筆頭剣士が放った飛刀が貫いた。苦痛の声を漏らすことはできなかった。続けて放たれた飛刀がその喉を突き刺したからだ。
ベナードを倒され、ウィフリは覚悟を決める。決死の覚悟により踏み込みの深さが、振られた剣の鋭さが、斬撃に載せられた威力が増す。
ウィフリと筆頭剣士は正面から斬り結ぶ。
筆頭剣士は深手を負っている。両者は同等。互いが互いに向け繰り出す攻撃は互いに届かない。受け、払い、躱す。掠め、傷付けるが、それまで。浅手を与えるのみ。
呼吸が乱れ始めた両者は距離を取る。構えを崩すことなく、ゆっくりと深く呼吸を繰り返し、息を整える。
両者は息を止めた。踏み出す。小手先の技術は不要。繰り出す。この一撃に全てを籠めて。
残心。両者は微動だにしない。
微かに漏れる吐息。ウィフリは声を上げることなくその場に倒れた。
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