ちゃんすの女神

一の八

ちゃんすの女神



春の午後、平日の静かな公園で、木々の葉がそよ風に揺れていた。

ベンチに寝転がって空を見上げると、青空には白い雲がゆっくりと流れていた。



平日の公園には、暇そうな人しかいない。

つまりは、自分だけだった。



なんで、あんな事をまたか…

いつもの悪いくせが出ていた。

何度も何度も同じことを考えてしまう。

ネガティヴな自分がいつものように顔を出していた。

そんな無力感に押し潰されそうになっていた。




風が吹いた。

ひゅー




「えっ?」

目の前に現れたのは、長い前髪で顔がほとんど隠れている女性だった。

身長は175センチはあり、すらりとした体格に不釣り合いなほどの存在感を放っていた。


女性にしては、ガタイがいいよな?




「わたし、女神やで」

「えっ?」



いやいや、いやいや、女神って普通は、自分で名乗らないよな?


もしかして、新手の宗教か何かか?


「わたし、女神やで」

なんで、2回言ったんだ。

『わたし、女神やで』と再び自己紹介する彼女に、俺はつい笑ってしまった。


「わたし、めが…」

女神に被せるように答えた。


「あ、分かりましたよ。女神になんですね。ご苦労さまです。」


めんどくさいので適当にあしらう事にした。


「女神を信じらへんって顔をしてはるな」


だれが、ここにいてもそうでしょ。

と、自分にツッコミを入れてしまった。


「そうなんですか、あなたはこういう知らなねんな。」

「なにをですか?」

「女神というのは、一瞬の内におらんくなるもんやで。」

出来るなら今すぐにでもいなくなってもらいたい。


「なにが言いたいかうと、ちゃんすは誰にでも平等に訪れる。たやし、それをつかめるどうかは、あんた次第やで。あんたの人生きっとこれから先も何も変わらへんやろう。なぜなら、こうしてちゃんすが目の前にあるのに」


ちゃんす?

なに言ってるんだ。

これから先の人生きっと…今よりも…きっと


また、悪いことばかりしか頭に浮かばない。


そうだ、いまだ、今しかない。

自分が今まで振り返っみても上手くいかない事ばかりだったじゃないか!

なにを躊躇してるんだ。


『過去の自分』が『今の自分』に必死に背中を押すように鼓舞していた。


だからってこれをしたからって何になるんだ。

どうせ何も変わらないじゃないか。

だったら…


「何言ってるだ!」

過去の自分は、怒っていた。


「変わらないじゃない、変えたくないだけだろう。変わりたいのに変われなかった自分を責めるのが嫌で見てみぬふりしてるだけだろう!」


くそっ

こうなったらヤケクソだ。




おれは、目の前にあるものを無我夢中で飛びつくように引っ張った。




「イタッ、なにするん!」

女神の叫びが響くが、手を緩める事はなかった。


「チャンスだと思ったから」

そう叫び返しながら、心臓がドキドキと早鐘を鳴らしていた。





「人の髪引っ張っておいて何がチャンスやねん!わたし、神様や。」


「神の髪。ぷっ」


おれは、思わず吹き出した。


「何笑っとんねん!イテッイテッ離してな」


「ぜったいにこのチャンスだけは離さない!」


「何してるん!見てみぃ。前髪しかないやねんから!」

女神が頭の後ろをこちらに向けてくる。


「前髪しかない?えっ?あっほんとだ。ぷっ。」

なんて髪型しとんねん。

心の中で思わず女神の関西弁に釣られて、ツッコミを入れてしまった。



「なに、笑とんねん!離さんかい!神様にこんな事してバチ当たりや!」


女神は、必死な形相でこちらを睨みつけながら、何度も振りほどこうとしていたがこのまま離すまいと。

おれは、手を緩めることはなかった。


そして、女神とおれとの前髪の引っ張り合いが始まった。



「離さない!」


「離して!」


「離さない!」


「離して!」


「離さない!」


「離さんかい!」


女神が振りほどこうと思い切っり首を振った。


その瞬間の事だった。



あっ……




ふとっ女神の引っ張るチカラが弱まった。



「あっ、とれてしもうたやん。」


女神は、諦めたような表情で訴える。


「あっごめん。また、生えてくるから。」

さすがにやりすぎだなと少し反省した。


「なに言うとんねん!ここまでくるのに幾ら掛かってると思ってねん!」


「ピンチは、チャンスって言うし」


「己は、チャンスをピンチに変えとるやんか。」

女神に叱られる。



「なるほど!」


「“なるほど”ちゃうわっ!」



でも、なんだか今まで自分が悩んでいた事が何でもない事だったんじゃないか。

そんな悩みなんて目の前の髪がない人に比べたら。



「ありがとう!なんだか元気出た!これお守りにもらってく!」

「ちょい待ち。それは、あかん。あっ待ったんかい!持っていかれたんやんか」



おれは、そのまま公園を後にした。

何をしたらいい。

何が一番なんだ。


そんな事一切忘れて無我夢中になって走った。



すると、物陰から1人の男性が現れた。


「三神さんお疲れ様でした。なかなか似合ってましたよ!女神姿」


「木下さん、ほんま頼んますよ。あんな感じの子なら先ゆうといて下さいよ。」



「あっすみません、これ謝礼です。」


三神は、封筒の中身を確認する。


「どうもきっちり頂きまてん。

社会人も色々と大変やね。あっ!そうだ。あの子が、持ってたウィッグ代も後で請求しますんで。よろしゅう」


「ウィッグ代か。まぁしょうがない。これも上司の勤めですから。

あと、さっきの『神の髪』よかったですよ。実際に間違えてはないですけどね。ぷっ。」


「何、笑ってねん!けっこう痛いやんで。ほんまに」



2人は、走り去っていく姿を見て笑っていた。



ひゅー


風が再び吹く。

さっきよりも強く吹いてた。


春一番の兆しを感じながら、公園を後にする俺の心は、まるで新しい風を受けたように軽やかだった。


『神の髪』がもたらした出会いは、確かに俺の心に変化をもたらした。

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