猫屋敷華恋の出納帳 「堕ちる」

北見崇史

堕ちる

「ネコヤーちゃん、ほらほら、こっちだよ、こっち」

 猫屋敷華恋が一輪車を押していた。

 通称でネコとかネコ車とか呼ばれているその土石運搬車には、ほどよく肥えた土が山のように盛られていた。

「もっと腰入れなきゃ、ひっくりかえっちゃうっしょ。いまどきの高校生は、オッパイはおっきなくせして馬力がないねえ」 

 工事現場の作業員よろしく、セーラー服姿の女子高生が体力的にきつめな仕事を一生懸命にやっていた。ただし足元はだいぶフラついており、土を満載したネコ車があっちへこっちへ傾いて、まっすぐ進まない。しまいには窪みにハマって動けなくなってしまった。

「あの、あのう、少しお休みをしていいでしょうか。ネコヤーは基本的に非力な女の子ですので、力仕事は専門外というか、あんがいと苦手であったりするのです」

 ネコヤーというのは華恋の愛称である。

 どういう経緯でそう呼ばれ始めたのか定かではないが、本人はえらく気に入っており、会う人会う人にネコヤーと呼ぶことを強要し、さらに自称もしていた。

「まあ、しょうがないねえ。ボランティアで手伝ってもらっている高校生をコキ使うのもなんだし。一分休憩してもいいよ」

「一分ですか~。ええっーと、(´・ω・`)」

 しょんぼりとした華恋は、セーラー服についてしまった土汚れを哀しそうな感じで見ていた。

「冗談よ。ネコヤーちゃんがあんまりにも可愛いからイジワルしただけ。お昼まで休憩しましょう」

「はいです」

 急に元気ハツラツとなった華恋が、調子にのって図々しくおねだりする。

「おいしいお茶があれば、ネコヤーは元気もりもり森田〇作になりますよ、ニャオ~ン」

「天使みたいな可愛い顔してジジイのダジャレを言うんじゃないよ。ったく、女子高生らしくもないねえ」

 そう言いながらも女はウケていた。口元に手をかざしてケラケラと笑っている。

「てへへへ」

 渾身のオヤジギャグを笑ってもらえた華恋は、まんざらでもない様子だ。

「お茶はないよ。予算が年々減らされてさ、うちの施設はカツカツなのさ。コーヒーやお茶っ葉を買うぐらいなら、チビたちにアイスやお菓子を買ってあげられるからね。悪いけど、水でも飲んでよ」

「はい。ネコヤーはお水も大好きなのです」

 華恋が子犬の駆け足で建物のほうへ行き、やや間をおいてから、ゆっくりとドラネコのすり足で帰ってきた。使用済みである紙コップになみなみと水が入っている。女の目の前まで来ると、腰に片手をあててゴクゴクと飲みだした。

「プファ~、仕事中の一杯は、五臓六腑に染み渡るのでありますよ」

「ほんと、この娘はオッサンだわ」

 女は芝の上に、正座をやや崩し気味にして座っている。華恋は立ったままだ。

「いまネコヤーが運んでいる土は、なにをするためですか」 

「たい肥さ。毎日毎日、私が生ゴミを集めて作っておいたんだよ。養護施設は大所帯だから、けっこう出るんだ」

「たい肥を売るのですか」

「売らないよ。畑を作って野菜を育てるんだ。施設の予算が少ないから新鮮な野菜をたくさん買えないんだよ。自分で作れば無農薬で安心安全、お安くできるってもんさ。チビたちのために、やれることはやらなきゃね」

「子供が大好きなんですね」

「当り前さ。チビたちは宝なんだよ。地球上でいちばん尊いのさ」

「そのとおりなのです」と華恋は頷く。

「ここに来る子供たちはね、ただでさえ親がいなくて不憫なおもいをしているんだ。せめて、美味しくて安全なものをお腹いっぱい食べさせてあげたいじゃないの」

「ネコヤーも大賛成ですよ」

「じゃあ、もうちょっとがんばろうかね」

 休憩が終わって女が立ち上がる。お昼まではまだ間があるので、作業は続行となる。華恋に不満な気配はなかった。

「ネコヤーちゃん、そこの石をどかしてくれないかい」

「これは、一人で持ち上げるにはすんごく重そうなのですけど」

「ネコヤーちゃんだったら大丈夫。美人で力持ちなんだから楽勝でしょ」

「はい、がんばります」

 褒められてその気になった華恋は、腰を下ろして両手で石をつかんだ。ガニ股スタイルで持ち上げようとするが、地面に根が生えたように固着していてちっとも動かない。

「この石は、ここに置いていても問題ないような気がするのは、ネコヤーの気のせいでしょうか」

「気のせいよ。ネコヤーちゃんのオッパイよりも軽いんだから、がんばって」

「あのあの、でもめっちゃ重くて、だからこのまま放っておこうと思って小一時間、ネコヤーは考えたいのであります」

「つべこべ言ってないで気合を入れなさい。子供たちのためなんだからね」

「はいー」

 元気よく返事をして、フンッと唸って踏ん張った。プ~、と間の抜けた音がお尻のあたりから漏れ出てしまう。

「うう~、気合が入りすぎてオナラが出ちゃいました」

 両手でお尻を押さえて、バツが悪そうにウロウロする華恋であった。

「アハハハ。そんなに可愛い顔してても、出るものは出るんだねえ。これはおっかしいや」

 ゲラゲラと笑う女から少し距離をとって一人佇み、何度か自問自答してから華恋が戻ってきた。

「もう大丈夫です。お腹とお尻の調子を整えてきましたから」

 両手でグーを作って胸の前にあて、真剣な面持ちで訴えた。女は含み笑いである。

「はいはい、ネコヤーちゃんの粗相はナイショにしておくから」

「ぜ、ぜったいですよ」

 約束は果たされるはずだと信じて、少しばかりの涙目が哀願している。女が華恋をナデナデして、やっと安心する。

「ところで、ほかの職員さんは畑作りをしないのですか」

「興味がないのさ。給料分だけ働けばいいからね。子供たちのことなんて本気で考えてないって。テキトーなんさ」

「おばさんは、給料分以上にがんばり屋さんなのですね」

「おばさんは失礼だねえ。これでもギリギリアラサーなんだから」

「うう~ん、それではギリギリのおばさん、ではどうでしょう」

 苦笑する女に向かって、華恋は、してやったりのドヤ顔だ。

「子供のどういうところが好きですか」

「どういうところって、だいたい子供が嫌いな母親はいないっしょ」

「母親なんですか」

「私に子供はいないよ。こうみえても、まだ独身だからさ」

 女は定まらぬ一点を見つめていた。

「ここの子供たちはね、ほんとにいい子ばかりで、一時だって目をはなせやしない。どこかに行ってしまうんではないかと心配なんだよ」

「だから、死んでしまってもさ迷い続けているのですね」

 時が一瞬止まって、なにかに蹴飛ばされてまた動き出した。女が華恋をじっと見つめている。

「そう、そうだよね。私は死んだんだ。だけど未練があって、こうしてさ迷っているんだ」

「それは、あまり推奨されない行為なのですよ」 

「あんたはいったい何者なんだい。死んだ私と話をしているってことは」

 華恋が純白の翼を拡げたことが、女の問いに対する返答となった。死者は納得したのか、うんうんと頷いている。

「そうかいそうかい。天使が迎えに来たんだね。そろそろ天に召される頃合いなのかねえ。まあ、いつまでも未練があってはダメなんだよね」しかたがないという表情である。

 女が両手を広げて、心の準備が整ったことを示した。空にはどんよりとした灰黒色の雲が垂れ込めている。華恋は確固たる意思のもとに首を左右へ振った。

「あなたを連れにきたのではないのです」

 抑揚のない声である。彼女の言葉には血の気がなかった。

「あなたが縛りつけている小さな魂たちを放しなさい」

 最初の命令は、静かな口調であった。

「いったい、なんのことさ。いきなり、わけわからないこと言うな。私のこと、なんにも知らないくせに」

 女は動揺していたが、どことなくわざとらしかった。

「いいえ、知っています」

 華恋は断言した。

「あなたの死に方を知っています」

 さらに重要な事実を付け加えた。

「あなたの犯してきた罪を知っているのです」

 トドメを刺すように言った。

「どれだけの子供たちを苦しめてきましたか」

 華恋は動いていないのだが、女は半歩後退した。

「私はやってない、やってないって。だって、子供が大好きなんだよ。苦しめるわけないっしょや」

「いいえ、やったのです」

 華恋の翼が大きく羽ばたいた。

「うわっ」

 突然、空中に透明なスクリーンが現れた。縦横数メートルにわたる空間の大きなゆがみである。眼前に広がる異景に気圧された女が目を見開いていた。

「あなたがやってきたことを、あなた自身が知るがいい」

 空中のスクリーンが上映を始めた。内容は、女による子供たちへの虐待である。

 最初の子は幼稚園くらいの男の子だった。女に口汚く罵られながら頭や尻を手加減なくぶっ叩かれていた。自ら激高する女は、鬼の形相で小さな体を痛めつけていた。まだまだ成長過程の骨格は耐えきれず、崩れ落ちてワーワーと泣きじゃくった。だが容赦されることはなかった。女が時間をかけて踏み潰すように蹴り続けると、やがて動かなくなった。

 次はランドセルを背負った女の子である。真冬の川辺に裸足で立たされていた。これよりされることを予感しているのか、恐怖で全身が凍りついていた。容赦のない折檻が続いたあと場面が切り替わる。吹雪の川面に浮かんでいる少女を映していた。そばに赤いランドセルが浮いている。

 さらに、健全な良心の持ち主には目を背けずにはいられない凄惨な場面が続いた。子供たちへの、描写するのも憚られるような蛮行であった。華恋の瞳は乾ききっている。 

「わ、私は病気だったんだ。やりたくてやったんじゃない。心の病気なの」

 映像の内容を女は否定しない。ただし、見苦しい言い訳を添えていた。

「代理ミュンヒハウゼン症候群」と華恋が言った。

「そう、それよ。そういう病気だからしょうがないんだって。病気だから無罪なのっ」

 代理ミュンヒハウゼン症候群とは、子供を傷つけてからかいがいしく介護して、健気で悲劇的な母親を演じることを欲する精神疾患である。

「だけど違うでしょう。全然ちがう」

 華恋の口調は冷ややかだ。もはや軽蔑の念すらない。

「あの無能な弁護士でなければ、私は死刑にならなかったんだ。首を吊るされた時の、骨がボッキリと折れた瞬間が痛くて痛くて、もうさ」

 女はしきりに首のあたりをさすっている。死刑台からの落下のショックで首の骨が折れて、頭部があらぬ方向に傾いていた。

「あなたは生まれついての血も涙もないサディスト、嗜虐することだけが生きがいの醜いカイブツ、最悪のシリアルキラー。けして病気などではない。いったい、何人の子供たちを手にかけたてきたの」

「六人」

 女は即答した。不敵な笑みを浮かべているのは、自分が成したことを自慢したい気持ちがあったからだ。

「世間に露呈したのはね」

 くっくと笑っている。

「しょぼい擁護施設で働いていたら、やりたい放題だったねえ。ガキが死んでも、たいして調べもしないしさ。たいてい病気や事故で片付いてしまう。チクられたのが運の尽きだったけれども」

 女が踊っていた。全力ではなく、ゆるめの揺らぎである。小馬鹿にしたような動作だ。

「あと三人いるよ。全部で九人だ、ひひひ」

 華恋の表情は一ミリたりとも変わらない。知っているのだ。

「さあ、天使さん。さっさと天国へ連れて行っておくれよ。私を迎えにきたんだろう」

「キサマではない」

 可愛らしい声色はそのままに、だけど恫喝するような威力があった。天真爛漫な女子高生姿と相まって、ギャップが甚だしい。

「あははは。じゃあ、なにしに来たんだい、女子高生さん。そんなにドカタがしたかったのかいな」

 せせら笑いながらの問いかけである。凶悪犯罪者独特の豪胆さを知らしめようとしていた。

「無垢なる魂を解放する」

 華恋が宣言した。純白の翼が羽ばたき、つむじ風を起こした。おもわず目をつむって手で覆った女は、次の瞬間に大きく見開くこととなる。

「あ、おまえたち」

 子供たちがいた。

 風がおさまると同時に男女九人の児童が出現した。全員の首にチェーンが巻かれており、すべての瞳が恐怖と支配に打ち震えていた。子供たちの不安が痛いほど伝わってくる。

「この子たちは渡さない。私のものなんだから。私だけのものだ。天使ごときにとられてたまるか。クソッたれ」

 女の剣幕が凄まじい。甲高くヒステリックに叫ぶと、まるで逞しき漁師が網を寄せるように九本のチャーンを引いた。子供たちの誰もが首をすくめて衝撃に備えた。

「おまえたち、こっちに来な。来なって」 

 だが女が渾身の力を込めてチェーンを引こうとも、その先にいる子供たちが引きずられることはなかった。天使による停止は絶大なのである。

「この子たちは、もうキサマのものではない」

「冗談じゃないっ。せっかく手に入れたんだ。誰が手放すものか。地獄へ行っても、こいつらを可愛がってやるんだ。しゃぶりつくすんだから邪魔するなーっ」

「地獄に堕ちるのはキサマだけだ」

「キーーーーーィッ」

 踏み潰されたネズミのごとき叫びを発して、女が猛然と突進した。華恋へ掴みかかり力のかぎり押し倒そうとする。


{怒りに猛る天使に触れてはならない}


 誰からの警告かは定かではない。ただし、その内容にウソ偽りはなかった。

「ギャッ」

 凄まじい衝撃が女の全身を叩いた。

 両手の指があらぬ方向に曲がり、手首もガクンとうなだれている。皮膚は爛れて縦横無尽にヒビ割れができていた。目玉は充血で真っ赤になり、目尻から血の涙が滴っている。

「堕ちる時が来たのだ」

 地面が大きく揺れて急激に沈降し始めた。巨大な地溝帯ができて、底には赤子の鮮血のごとく真っ赤に焼けた溶岩と灼熱の蒸気があった。

「いやだ、いやだ」

 女は崖っぷちの小さな岩にしがみついていた。体は宙に浮き、少しでも手を緩めたら即座に落下する。

「尽きることのない炎の海に焼かれて溺れ続けるがいい」

 小岩にヒビが入った途端にパンと破裂した。唯一の手掛かりを失った女は、煮えたぎる血の底へと堕ちてしまった。けして治癒することのないサディスティックな思念も、尾を引きながら堕ちてゆく。カイブツの姿が見えなくなると、裂けていた地面が瞬時に元通りとなった。

 華恋の翼が三度羽ばたいた。暖かな風が子供たちを包み込み、首に巻かれたチェーンを、風に舞う砂のように消し飛ばした。長いあいだ暗く緊張しきっていた少年少女たちだが、安寧の訪れに笑顔となっていた。

「さあ、おいで」

 自由になった魂たちを翼の中に囲い入れた。どんよりと重なり合う雲を一条の光線が貫く。やがて広がり、しっかりと包み込むのだった。

 




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