Ma Vlast~非正規雇用のFIELD SERVICE (2279A.D.) ~

Terence and Renna

プロローグ

 記憶は時々嘘を吐く。その記憶は真実か?


 何度殺されても、2275A.D.の≪あの日≫からやり直す。たった一つだけ存在するかもしれない≪理想ルート≫に辿り着くまで。


 なあ、スヴィ。全部終わったら、結婚してくれないか。お前を失う時間軸でも、お前を残して死ぬ時間軸でも――変わらずに愛してる。



第七章 プロローグ

≪選択肢『C』選択後――時系列六――全ての戦闘は勝利で終了≫



「……うげっ」

 上げ下げ窓の部屋の入口前で突然視界がぼやけて、俺の喉から間抜けな声が出た。多少フラついたけどすぐに正常に戻って、軽く頭を振った。


(疲れてんのかな……。まあ散々銃撃戦したし、元気いっぱいだとおかしいよな)


 悪いけど、ちょっと休んでいい?


 そう言おうと思ったのに、何故か声にならなかった。フラつきのせいで立ち止まったから、この任務の相棒である美少女スヴィの長い銀髪が揺れる背中が、目と鼻の先から少し離れて、離れて、離れて。スヴィの足が動くたびに距離ができていく。


 スヴィが上げ下げ窓の部屋の中央にあるソファの傍まで到達したところで、やっと声が出た。


「スヴィ――」


 名前を呼び掛けたのと同時に、怒声が響き渡った。


「悪魔ども、殺してやる!」


 咄嗟に斜め左方向を見ると、室内に設置されたソファの後ろに隠れていた女が勢いよく姿を現した。拳銃を構える両腕を背もたれに乗せて固定している。


 金髪は大量の血で染まり、目からは大量の涙が流れている。死の末路から逃れられない人間が放つ特有の狂気をまとい、表情が歪んでいる。指は引き金に掛かっている。


 銃声が響き、スヴィの肩から微量の血が舞った。バランスを崩したスヴィが右足を軸に女へ身体と銃口を向けるよりも一足早く、二度目の銃声が響いた。スヴィの額を弾丸が貫通する瞬間が映った。続く三度目の銃声。


 いつからかスヴィが首に提げていた十字型の――腰巻をまとっただけの男が身体をくくりつけられている悪趣味な――ペンダントのチェーンに当たり、飾りが吹き飛ぶのが見えた。


(俺が殺し損ねた敵か……!)


 くずおれるスヴィへ駆け寄って身体を受け止め、銃口を女に向けた。けれども射殺するまでもなく女は事切れ、ソファの背もたれに突っ伏している。指を引き金に掛けたままだらりと垂れた腕が白い。まるで人間から人形になってしまったかのようだ。


 ――大丈夫。これは『可視』で、視界がぼやけた直後の未来を予知する映像を視ているにすぎない。


 まだ現実で起きてはいないし、未来を変えられる。

 動け。動け。意識の野郎、さっさと戻れ! 時間の野郎、さっさと戻れ!


 久しぶりに腹の底から叫んだ。


「スヴィ!」


 再び視界がぼやけて、再び正常に戻った。


「……うげっ」


 上げ下げ窓の部屋の入口前で、先程と同じ間抜けな声を出したところだった。


 ――すなわち、『可視』が開始する直前の時間に戻った。


 すぐさま前へ飛び込んだ。身体がスヴィの背中に衝突し、目の端では女が拳銃を構えている姿を捉えた。


 引き金が引かれるより早いタイミングで動いたから――間に合ったはずだ。覆いかぶさる形で前方へ倒れながら――いや、倒れるはずだったが、予想していたかのようにスヴィが素早く身体をひねり、胸を左肘で押し返してきた。


(……おおぅ?)


 スヴィはそのまま銃口を女に向け、引き金を引いた。

 二発分の銃声がほぼ同時に響き渡り、俺の左肩に衝撃が走った。女が撃った銃弾が当たったのだ。


「いでぇ!?」


 スヴィの左肘のせいでバランスを崩し、倒れ、床を転がり、経年劣化とひび割れが目立つ壁に激突した。


「おげぇ!?」


 今にも抜け落ちてしまいそうな、ミシミシ音がする床に受け止められている。ふと足元に視線を動かすと、シェルフの下に割れた眼鏡が見えた。


「よっこらせっと」


 スヴィは優雅に立ち上がった。茫然と見上げると、腰を屈めて手を差し出してくれた。その冷たい手を強く握り、上体を起こしてもらった。


「さっきの動きすげーな。008やダイハートみたいじゃん」


 スヴィの瞳にこちらの顔が映っている。ところどころ外跳ね気味の黒い短髪で灰色の瞳の、どこにでもいそうな『普通』の二十歳の男――外見では人殺しだなんて思われないだろう。事実がどうであれ自分はまともで、サイコパスでも異常者でもない。


「ふふん。凄いでしょう!?」


 スヴィは鼻高々という感じの顔をしている。くりくりした並行二重の大きな目と、スッと通った鼻が精巧な人形のように絶妙なバランスで、目を引く美形だ。


 スヴィも――外見では人殺しだなんて思われないだろう。事実がどうであれ――まともだと信じたい。サイコパスでも異常者でもないと、信じたい。


「よっぽど鍛えてるのか。お前って非正規雇用エージェントなんだよな?」

「一緒に研修やら任務やらをやっといて、何を今更」

「なあ、非正規雇用エージェントになる前って……何してた?」


 俺もそうだが、軍と業務委託契約を交わして非正規雇用エージェントになった人間の過去が真っ白なわけがない。皆何かしら抱えているだろうから、ストレートに聞いていいかはわからなかった。


 けれども一緒に過ごしてきた中で、スヴィのことをもっと知りたいと思っている自分がいた。


 この感情は何だろうか。同僚への好奇心なのか、スヴィは十七歳かつ自分より三歳年下という絶妙な年齢差の相手だから、可愛いと感じているのか。


「ニートでした」


「はあ? ニートから非正規雇用エージェントにジョブチェンジって、ハードすぎるだろ」


「軍の訓練は受けていませんし、元傭兵のあなたと違って鍛えたこともないです」

「……鍛えたこともない人間が、さっきの動きはできねーだろ」


「あれはね、視えていたからできただけです」


「え……おま、おま、おまままま!?」


「ど、どうしたんですか? 頭でも打ちました?」


「スヴィってさ……もしかしてだけど、『可視』できちゃう人?」

「『可視』? もしかして少し先の未来が視える能力のこと言ってます?」

「うん」


 『可視』――この能力を使えるようになったソウが勝手に呼んでいるだけで、正式名称があるのかは知らない。


「ああ、はい。『可視』できちゃいますよ」

「マジ……?」


「マジです。自分の命が危険なときだけ発動します。コントロールはできないから不便なんですよね~」


「お、俺は」


 言葉に詰まった。銃弾をくらった左肩が痛くて無意識に手で押さえてしまう。


「仲間に命の危険があるときだけ発動する」

「自分のときだとダメですか?」

「ダメ……」

「あらら」

「この力で三年前、傭兵部隊の仲間たちを助けた」

「よいことをしましたね。皆さん感謝してるんじゃないですか?」

「代わりに、死ぬ運命じゃなかった仲間を死なせてしまった。親友だったんだ」


 床に視線を落していると、ふわりと甘いローズの香りが鼻腔をつき、向かい側にスヴィが腰を下ろした。


 スヴィはこちらの頬に優しく手で触れて顔を近付けてきた。キスしてしまいそうな距離にびっくりしてのけぞったが、後ろは壁だからゴツンと頭をぶつけてしまった。


「ななななんだよ!?」


「あなたが視える人で、助けた仲間と死んだ親友がいた。宿命です。親友が死なないルートなんて存在しません」


「同情とか慰めとか、そういうのしてくれよ!」


「ふふっ。やっぱり根っからのドMですね。私の豊満なバストに飛び込んできます?」


「いえ、やっぱいらない」


「ねえ――ソウ・レシニェフスキ」


 フルネームを呼ばれて首を傾げた。いつもはファーストネームなのに。スヴィが他人行儀な態度を取ると、裏に何か意図があるような気がしてくる。


「知人から聞いた興味深い話を教えてあげますね」

「お、おう……?」

「過去も現在も未来も、常に同時に存在しているらしいですよ」

「ど、どういうこと?」


「時間は流れるものではなく停止したまま繋がっていて、視点はただそれを追い掛けているだけだとか何とか」


「ほぉん?」


「昔の映画のフィルムのように最初から最後まで確定して存在しているそうです。過去が前、未来が後ではないんですって。同時に存在してますからね~」


「よくわかんないんだけど……」


「つまり『可視』は起こっていないことを予知する能力ではないのです。同時に存在する別の時点の私やあなたが目の前で視た現実を、別の時点の私やあなたに伝えているだけなのではないでしょうか」


「ほへー」


 あんまり理解できない。


「さっきと言うことが変わりますが、あなたが『可視』で視た映像で無事だったなら、ロイは別の時間軸で生きていますよ。この瞬間の私たちと同時に存在しています」


「えっ……」


「その時間軸ではソウとロイは一緒に仕事をして稼いでいます。今のソウとは違って、貧乏なんて程遠いくらいにね」


(俺、ロイの名前、言って……ないよな?)


 戸惑ったが、ヘリコプターの飛行音が耳に届いたことですぐに頭から抜け落ちた。


「味方のヘリだと思います?」


「そうじゃなければ『俺たちに明日はない』だぞ」


「ボニーとクライド……いえ、スヴィとソウですか。ふふふ」


 廊下を抜けて玄関へ――ドアを押し開けると強風が流れ込んできた。腕で顔を庇いつつ確認すると、ブロツワフ・クロスの国旗が側面にプリントされた軍用ヘリコプターが見えた。


 ――貧乏でもいい。穏やかで平和な生活を送れるなら。


 人生で大切なのは殺し合いで大金を稼いで遊び倒すことではなく、心穏やかに過ごすことだ。何も成し遂げなくていい。自分と家族を守れるなら。



「お、俺は――明日からは安くて安全な仕事だけを引き受ける非正規雇用エージェントに戻るぞっ! 危険な仕事なんてもう懲り懲り! ぜってー引き受けねー!」


「ふーん。仕事がなければ?」


「工場で牛乳パック叩いて穴が開いていないかチェックする単発バイトをしたり、試食販売の単発バイトをしたりして日銭を稼ぐ!」


 ――よくわかったんだ。資本主義のブロツワフ・クロスで『楽して稼げるオイシイ話』に飛びつくと、ロクなことがないってな!

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Ma Vlast~非正規雇用のFIELD SERVICE (2279A.D.) ~ Terence and Renna @renna_sakuri

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