いつまでも輝く母へ

榎木扇海

いつまでも輝く母へ

 私の母は人気モデルだった。


 一時期は雑誌の表紙を何年も飾り続け、テレビの出演もそれなりにあった。

 染められたプラチナブロンド、シミもシワもひとつとしてない綺麗な肌、細い足と腰。液晶画面の向こう側で整えられきった姿を見せびらかすように笑う彼女は、子供心ながらに天使のようだと思っていた。


 そしてテレビの中で見せる顔は、決して私には向けてくれないのだと言うことも、分かっていた。



 小学生の私にとって、母は自慢だった。

 同い年の子供だってみんな母の名前を知っていて、私が母の写真を見せるとすごい、すごいと囃し立てた。


 母の栄光を使って、私はクラスのリーダーまで上り詰めていた。


 一度だけ、一年生の時、クラス参観に来た母は見たことがないくらい綺麗な笑顔を浮かべて、私に手を振った。

 わが子を見に来たはずの親が皆彼女に釘付けになり、瞬きするたびに息を呑んだ。

 同級生も、顔を真っ赤にしたまま、何度も後ろを振り返った。


 私は誰よりも数多く後ろを振り返った。

 仕事があるからと言って入学式にさえ顔を見せなかったあの母が、私のために学校まで足を運んで、こんな狭い教室でほかの親と肩を寄せ合っている姿が、言いようがないほど嬉しくてたまらなかった。


 放課後、大人からも子供からも羨望の言葉を浴びるほど受けて帰ってきた私に、綺麗な髪のセットを崩した母は吐き捨てるように言った。

「あんな臭くて汚いところ、二度と行かないわ。気持ち悪い」

イメージアップなんかのために、と小さくこぼすその表情は、嫌悪に歪んでいた。

 その顔さえ、ひどく美しくて、その晩は眠れなかったのを覚えている。



 私が小学校の高学年にあがるころには、母は家に帰ってこなくなった。お手伝いさんから別のマンションを契約したらしい話をぼんやりと聞いた。

 もともと海外を飛び回っていた父も家に帰ってくることはほぼなく、実質私とお手伝いさんの二人暮らしだった。その彼女も18時がくると私を残してマンションから去ってしまう。

 お手伝いさんは私を悲しそうに見つめながら時折、

「私の子供になったりしませんか」

と、独り言のように言っていた。私はそのたび、どうしたらいいかわからなくて、ただ唇を引き締めて泣いていた。


 母が家に帰ってこなくても、母の力を借りて手に入れた学校での地位はゆるがなかった。

 私は皆に求められる「人気モデルの愛娘」を演じ続けた。


 学校にいる間は幸せだった。だんだん、母は本当に私を愛しているのではないかと錯覚するほど、満ち足りた嘘をついていた。



 嘘で塗り固めた私の玉座は、期待と夢を一身に背負っていた。


 けれどその細い足は、ぽきり、と簡単に折れてしまった。



 私が小学校の最高学年になってすこしばかり経った頃、母は週刊誌に複数人との不倫を暴露されて一気に芸能界から干された。


 天職だったモデルの仕事をすべて失った母を、そして血のつながった私を、父はいとも容易く切り捨てた。


 久しぶりに日本に帰ってきた父は、母に手切れ金の一千万円を渡して、また海外へと戻っていった。


 去り際、初めて目が合った父親の顔は、私によく似ていた。



 父が雇っていたお手伝いさんは、私に連絡先を渡して、そのままもう二度とこの家に戻ってくることはなかった。

「一人で抱え込んじゃう前に、連絡ください」

優しく頭をなでてくれた彼女の手のひらの温かみが忘れられずに、私はその連絡先を宝箱の奥にしまった。



 離婚してからも、母は変わらず美しかった。

 父から送られてくる私の養育費でマンションの家賃を支払い、目一杯お洒落をして、お気に入りの男と外食に出かけた。

 私は家で、また別の男からもらった母の嫌いなお菓子を食べていた。



 私の心のよすがだった学校は―――私が綺麗な嘘で作り続けた楽園は、一瞬にして消え去った。


 誰も私の顔を見なくなり、こそこそと噂話をして、時折笑っていた。


 それでも遊んでいてくれた親友は、ある日泣きながら「おかあさんがだめっていうの」と言って、ぱたりと口を利いてくれなくなった。


 それから中学校を卒業するまで、私に友達は出来なかった。



 高校に入ってからは、学校に許可をもらってバイトを始めた。はじめは難色を示していた教師も、私の母親が芸能界を干されたモデルだと知ると、手のひらを返したようにそれを許可した。


 あのときの憐みと侮蔑の混じった瞳を、私はまだ忘れられずにいる。


 バイト先は大手飲食チェーン店だった。目が回る忙しさだったけれど、余計なことを考えずに済んで、むしろ息がしやすかった。


 私がバイトを始めると、母は学費を払うのをやめた。

「おまえはいい子だね」

ほんのり酔った赤ら顔でそう言う母が、憎らしくて愛おしかった。



 高校最後の夏、私は人生で初めて告白をされた。

 相手はクラスの同じ委員の男の子で、大人しくて優しいひとだった。きっと彼は、私の母のこともバイトのことも何も知らなかった。

 実は私もちょっぴり、彼が好きだった。

「ごめんなさい、あなたをそういう風に見たことなくて」

驚くほど自然に口から流れ出た嘘に、彼は目元を真っ赤にして微笑んだ。


 蝉の声がうるさい、九月のはじめのことだった。



 18を過ぎたら父からの養育費も止まるから、高校を卒業したら家を出ることにした。

 母はしたたかなひとだ。私のバイト代がなくとも、きっと美しいままに生きていける。

 私のことも、父のことも、何もかも忘れて幸せに生きてくれる。



 かつてのお手伝いさんに連絡して、彼女の勤める家事代行サービスの会社を紹介してもらった。

 書類審査と面接をして、晴れて私は4月からそこで働けることになった。

 住まいは一旦彼女名義で、アパートの一室を借りさせてもらった。後々、私名義に変えるつもりだ。



 いつも通り若い男と出かけて家を空けている母にむけて、私は何か手紙を残すことにした。

 直接伝えることはしなかった。母の憤慨する顔も、喜ぶ顔も見たくなかった。


 たくさんたくさん悩んで、書き直して、結局ひとことだけ。



『愛しています』

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いつまでも輝く母へ 榎木扇海 @senmi_enoki-15

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