◆凛◆

第7話

 その後館内に残っていた住人の手を借りて、空き室にみのりの部屋を設えた。二階の東の端、凛の隣だった。


「私はさらにその隣りだから、何か困ったことがあったらいつでも来てね。困ったことが無くても来てね、おしゃべりしましょ」


 ふふ、と楽しそうに微笑む紀子に、みのりも自然と顔が綻ぶ。特別なことをしているわけではないのに、一緒に居るだけでこちらの心をほぐしてしまう紀子の人柄に、みのりはすっかり親しんでいた。


 昼寝からたたき起こされて力仕事を一気に引き受けていた航也は、全部終わったところでうーん、と背伸びと欠伸をした。


「まだ時間あるなぁ、みのりちゃん、良かったら一緒に買い物行く? この辺り案内するよ。駅までの道順もまだ覚えてないだろ?」


 航也の申し出をみのりは有難く受けることにする。早速だが昼食はみのりが作りたい、と提案し、その買い出しも兼ねて二人は徒歩で屋敷を出た。


◇◆◇


 昨日の大雨が嘘のように晴れ渡り、梅雨が始まる前の爽やかな陽気だった。館から駅までは歩いて十分ほど、その途中にあるコンビニや駅周辺の銀行、郵便局の場所を教えてもらう。みのりには馴染みのない地域なので珍し気にあちこち視線を巡らせる。

 時折目につく求人の貼り紙を見て、来週くらいには次の仕事を探し始めたほうがいいかもしれない、とも考えていた。


「ついでだから、俺の店にも案内しちゃおうかな」


 航也が、いい? と確認をしてきたのでみのりは勿論と返した。

 駅前の商店街の一筋奥に入ったところに、コンクリート壁むき出しの風情のあるビルが建っていた。その地下へ続く階段を降りていく。航也が開けた扉の奥は、イメージしていたバーとは違って、カウンターもスツールも無い、高さの低いソファや大きなクッションが不規則に並ぶ空間だった。


「ようこそ、俺の城へ」

「ここが市村さんのお店ですか?」

「市村じゃなくて、航也って呼んでほしいなぁ。うん、俺の店。あんまりバーっぽく無くてびっくりした?」

「はい、あ、でもバーって行ったことが無いから……。素敵ですね、すごくリラックス出来そう」


 微かに漂うお香やライトを反射して輝くグラスや酒瓶、壁にかけられた抽象画など、みのりが立ち入ったことのない大人の雰囲気を漂わせていた。


「嬉しいなぁ、その感想。みのりちゃんも気が向いたら遊びに来てよ。もちろんお代は要らないからさ」

「そ、そんな。ちゃんとお支払いします」


 来ると決まったわけではないのに慌てて遠慮するみのりの額を、航也の人差し指が軽く弾いた。


「オーナーの俺がいいって言ってるんだから遠慮しない。もっと甘えていいんだよ、特にみのりちゃんみたいな可愛い女の子はね」


 面と向かって可愛いと言われてみのりは恥ずかしくて真っ赤になる。俯いて小さく『はい』と返事をしながら、航也の言葉を反芻し、胸がズキリと痛むのを感じた。


◇◆◇


 バーを出てスーパーへ向かう。昼食の材料と紀子に頼まれた買い出しを終えて、二人で手分けして荷物を抱えて店を出たところで、みのりの視線が一点で止まった。


「ん? どうしたの?」

「あそこにいるのって……」


 みのりが目で示した先には、制服の上にビッグサイズのパーカーを着た凛だった。


「凛ちゃん、まだ学校終わってないですよね……」


 眉を寄せるみのりの横で、航也は『あーあ』とため息をついた。


「見逃してやって、ごめんね」


 航也の言葉に、みのりは何かを察する。そして染谷に言われた


『ここにいる者は皆何かしら理由があって、一人で生きていくのが辛い者ばかりです』


 という言葉を思い出す。まだ高校生でも、凛には凛の事情があるのだろう。それを航也は『見逃してやって』と言っているのだ。


 みのりは黙って頷き、凛に気づかれないように時忘れ荘へ向かって歩き始めた。


 だが、ワンブロック歩いたところで立ち止まる。


「凛ちゃん、お昼食べたかな……」

「みのりちゃん?」


 みのりの独り言に首をかしげる航也に、みのりは生まれて初めての行動を取った。


「すいません、やっぱり凛ちゃんに声かけてきます!」


 えっ?! と驚く航也を置いて、みのりは先ほど凛を見かけた場所へ駆け出した。

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