第6話
朝食が終わると、凛とたつきがそれぞれ学校へ、麻希はアルバイトへ、夜の仕事の航也が『ひと眠りしてくる』と自室へ戻った。
みのりは再び紀子を手伝い朝食の後片付けをした。それが終わったところで、庭の手入れをしていたらしい染谷が戻って来た。
「もしよければ、これからのことをご相談しませんか?」
のんびりとした口調で持ち掛けられて素直に頷く。昨夜からずっと悩んでいたことが、染谷から切り出されると急に大した問題ではないように感じるから不思議だった。
紀子も交えて三人でリビングに腰を下ろした。
「みのりさんさえよろしければ、落ち着かれるまでここに住んでは如何でしょうか。見ての通り古い屋敷ですが、部屋だけは余っていますし、紀子さんのお手伝いもしていただけるようですから」
「本当に手際が良くて助かるわ。みのりちゃんが嫌じゃなければ、ね?」
二人のほうからお願いするような言い方をしてくれていることに気づく。それによってみのりが妙な遠慮をしないで済むようにしてくれていることは明白だった。
今までそうした遠回しな優しさを向けられた経験があまりなかったみのりは、抵抗することなく頷いていた。
「実は昨日からずっとそのことを考えていて……、そうさせていただけると大変ありがたいです。生活の目途がつき次第退去いたしますので」
「あらあら、そんな寂しいこと言わないで。みのりちゃんが居たい間はずっといていいのよ……、って、家主でもない私が言うことではないけれど」
笑って肩を竦めながら紀子が横目で誠之助を見る。だが染谷も笑って首を振った。
「いえ、私も紀子さんと同じ考えです。それにね、ここにいる者は皆何かしら理由があって、一人で生きていくのが辛い者ばかりです。昨日何があってたつきくんに助けられなければいけない状態になったのかは分かりませんが、きっとあなたにもご事情があるのでは?」
おそらく自分よりずっと年上の、何十年も多くいろんな経験を積んできたであろう二人に挟まれて優しく問われれば、今のみのりに事情を隠す余裕はなかった。下を向いて、ありがとうございます、と言うしか出来なかった。
「私……昨日いきなり会社を首になって……、どうしてそんなことになったのか全然分からなくて……、か、彼氏にもフラれて、住むところも無くなって、ほんとうに、ど、どうしたらいいのか、全然、わ、わからなくっ……て……っ」
いい大人の自分が、子どもの頃から親の前でさえほとんど泣いた記憶がないのに、昨日からこの人たちの前で一体何回涙を流しただろう。そしてここの人たちは、それを一度も咎めない。無理やり事情を聞こうともしない、自分を責めない。そんな思いやりは、魔法や宇宙人のように空想の世界の話だと思っていた。しかし今は、それを目の前に差し出され、実感している自分の心こそが現実ではないファンタジーのようだった。
紀子の温かい手がみのりの背をさする。こんな風にただ優しく労わるためだけに誰かに触れられたのは何年振りだろうか、とも思う。
「無理に話さなくて大丈夫ですよ。それとね」
染谷は少しだけ身を乗り出し、みのりと向き合う。
「他の者たちも、あなたと同じように傷を抱えています。家主としてはあなたがして欲しいと思うように、彼らにも接していただけると嬉しいです」
染谷の言葉に、顔を覆いながら何度も頷いた。そして涙を慌てて拭って顔を上げる。ここで生活させてもらえるなら、色々確認しなければいけないことがあるからだ。
「あ、あの、お家賃とか、その……」
「要りませんよ、こんなボロ屋と爺ですからね。一緒に住んでいただけるだけで十分です」
「で、でも」
「では紀子さんのお手伝いをお願いします。私たちも出来ることは分担しているのですが、どうしても料理だけは如何ともしがたくて……」
「そうそう、朝のみのりちゃんのお味噌汁、美味しかったわぁ。他にも作れる?」
「えっと、一応一通りは」
「まあ嬉しい、じゃあよろしくね。私だけだとレパートリーが偏っちゃって、凛ちゃんやたつきくんは好き嫌いが多くてねぇ」
そう言いながら紀子はチラリと誠之助を見る。その視線に気づいた誠之助が気まずそうに顔を逸らすのを見て、みのりは泣きはらした目のまま少しだけ笑うことが出来た。
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