六話

 ソラにセルフレジの使い方を教えつつ精算して外に出る。一時間もたっていなかったが、日はビルの向こうに沈み夜の街に変化していた。空は暗いはずなのに、どこもかしこもピカピカ光っていて目まぐるしい。


「スーパー」


 遅くなったことを責めるように由紀が言った。ごめんと謝ってから三人で歩いて行く。連れられて緑の看板をかかげた七階建てのビルに入ると目の前に生鮮食品がずらりと並んでいた。安い、とでかでかと書かれた黄色のポップが目に入る。タイムセールを知らせる声や、ラジオから流れる独特なテンポの音楽が響いていた。


 由紀に引っ張られて中に入る。由紀はスマホのメモを確認しつつ、慣れた様子ですいすいと目的のものをかごに入れていった。


「由紀は慣れてんな。何度も来たことあるのか?」

「最近は結構。交通費を考えてもこっちが安いし」


「ここまで来るのは手間だろ? そこまで安さを求めるのかよ」


 由紀は無視してそっぽを向く。


 ……あ、そっか。


 由紀の家はあまり裕福ではない。子供のころから何度も家に遊びに行ってるので気にしていなかったが、かなりぼろいアパートだった。一方、俺は一戸建てでかなり裕福な生活をしている。家事をまともにしたこともないし、感覚に大きな差があるのかもしれない。無神経な発言だった。


 とはいえ謝るのもそれはそれで上から目線のような気がして、どうすればいいかわからず買い物を終えて外に出るまで黙っていた。








「ただいま~」


 家に帰るとすでに親父の靴があった。八時を過ぎているし、すでに夕食を食べているだろうか。朝食は母ちゃんが作るが、看護師で夜勤の日も多く、夕食は親父が担当なのだ。


 ――バタバタ、プツン!


 急いでテレビを消す音がした。ソラが不思議そうに「んん?」と呟く。


 またか……。


 ゆっくり靴を脱いでリビングに入る。親父が黙々と夕食を食べていた。


「遅かったな。遊びに行ってたのか?」


 平静を装った声。だが額には脂汗がにじんでいる。

 テレビでプロサッカーを見ていたのだろう。時間的に録画だろうか。そこに俺が帰ってきて慌てて消したのだ。


 もともとサッカーを始めたのは親父の影響だ。昔は一緒にテレビにかじりついていた。


 だが――俺はもう見ていない。一緒に見ようと誘う親父を避け続けていたほどだ。以来、俺の目を盗むように書斎にこもりスマホで見るようになった。テレビで見ていたのは大画面が恋しくなったからだろうか。


 俺のそこまで考えたのを親父も察したのか、気まずそうに肩がこわばる。


「ユキと一緒に街に行ってたんだよ~。マンガを買ったんだ~」


 ソラが袋から取り出して見せびらかす。重たい空気にならずにすんでほっとする。


「ああ、俺もソラのおすすめで買ったんだよ」

「朔夜もか? そうか……」


 噛みしめるようにつぶやいた。俺が金を使うのが珍しいのだろう。

 趣味もなくだらだら時間を過ごす俺を心配しているのだ。嬉しそうに言葉を続ける。


「小遣いは足りてるか?」

「いや~、それが使い切っちゃっ――もがっ!」

「大丈夫だ。貯金はたんまりあるしな」


 余計なことを言うソラの口を塞ぐ。親父は甘いので際限なく小遣いを与えかねない。


 俺の事故で得た慰謝料は二千万をこえている。使い道の分からない親父はことあるごとに小遣いを渡そうとするのだ。俺の義足にも通院にもその金には手を付けていないのでほとんど全額残っている。


 自分で言うのもあれだが、裕福な家なのだ。金はある。しかし、それ以上に大事な何かが欠落しているような虚しさがあった。


 金はあっても足は戻らない……。


 失ったのは足だけではない。由紀に頼りっぱなしなこと。運動不足になって早死にしやすいこと。配慮がなければまともな仕事に就けないだろうこと。


 身体障碍者手帳が、お前は世界のお荷物だと囁いてくる。


 どんなに頑張っても変えられない。残酷な不可逆で未来は閉ざされていた。

 だから親父は過剰に気を使う。もう六年になるのに、気まずい関係性はいつまでも変わらないままだ。


「とりあえず手を洗ってこい。夕飯は食べてきてないだろ」


 言われた通り手を洗って夕食を食べる。俺は一言も発さなかったが、幸いソラがよくしゃべっていたので重苦しい空気にはならなかった。


 気まずいので早々に食べ終わり、食器を片付けようと立ち上がる。


「そうだ朔夜。悪いが風呂の前にソラナくんの荷ほどきを手伝ってくれないか。荷物が届いてるんだが、僕はいまからオンラインで研修……というか、社長との面談がね」

「それはいいけど……ソラは大丈夫か? 勝手に部屋に入るが」

「ボクはへーきだよ。サクヤが手伝ってくれるなら百人力だよ~」

「力仕事があれば残しておいてくれ。あとで僕がやる」

「……わかった。先に行っとくぞ」


 言い残してそそくさとソラの部屋に向かう。一階の浴室の隣、もともと物置として使っていた場所だ。中に入るとすぐに甘ったるい匂いが漂ってきた。ソラの匂いだ。たった一日でこれほど変わるのかと驚いた。


 五畳半の部屋の隅にぽつんとたたまれた白い布団。その横に段ボールがこれでもかと積まれている。一人でばらすのは骨が折れそうだ。


「ま、せっかく頼ってくれたしな」


 人に頼られるのは嬉しい。男なのに力仕事をできないのは悔しいが、こんな俺でも認められた気がするから……。


 すべての箱を開封したころにソラもやってきた。


「お~、たくさんだ」

「ちょっと多すぎないか。何が入ってるんだよ」

「ふふん、女の子の秘密は暴くものじゃないよ~」


 ニシシ、といたずらっぽく笑う。中学に上がってから由紀の家に泊まったことはことはないので、女子の生活は謎に包まれていた。


「えーっとこれは……」


 開けた段ボールをソラが確認していく。プライバシーと思い中身は見ていないのでどう片付けるのか見当もつかない。


「サクヤ、洋服はどこにしまえばいいかな」

「そこがクローゼットになってる。中にタンスもあるぞ」


 もともと倉庫として使っていたが、その前は子供部屋にするつもりだったらしく、西側の壁にクローゼットが収納されていた。


「おっけー。じゃ、まずはこれをしまって」


 小さめの段ボールを手渡される。洋服が詰まっている割には軽かった。

 不思議に思いつつ開けると白い衣類が顔をのぞかせる。


 ――受け取ったときに察せない己の経験不足を後悔した。


「下着じゃねえか!」


 目を背け、慌てて後ずさる。バランスが崩れて尻もちをついてしまった。


 ふ、フリルついてた……。リアル下着……。


 ちらりとソラを盗み見る。段ボールと交互に視線が見比べてしまった。


「形が崩れてるやつは畳みなおしてタンスにしまってね」

「だれがやるか恥じらえ乙女ぇ!」


 俺の葛藤もつゆ知らず、別の段ボールを広げて当たり前のように注文してくる。意識してないのかこちらを見ようともしない。


 こいつには恥じらいがないのか……? イギリス人ってこんなもん……?


「え~、手伝うって言ったじゃないか」振り向いて口をとがらせる。

「手伝うけど、手伝いますけど! 衣類は違うじゃん。普通の服でもギリギリアウトじゃん」

「サクヤはワガママだな~。じゃあこっちお願い。ちょっと重いから下に置くね」


 積まれていた段ボールの一つを床に置く。


「本当だな? 男が見ていいものだな?」

「心配性だな~」


 俺の反応がおかしいのかけたけたと笑う。

 いたずらを仕込んでないかと恐る恐る段ボールを開けた。


「あ~よかった、漫画か…………いやなんでだよ」


 少女漫画だろうか。おそらく全巻セット、二十七冊がびっしりと詰められていた。


 なんでホームステイにこんな荷物を持ってくるんだよ。


 輸送費もかかるだろうに。どれだけ好きなんだと呆れてしまった。

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