彼女の道化

とうふとねぎの味噌汁

第1話

 不敬罪で身を滅ぼしたって、僕は彼女の目に映りたかった。僕の気持ちは暴走している。僕は卑小な存在だ。彼女にとってどうでもいいはずで、何をしても見逃されるはずだった。

 僕の唯一、早乙女凛。この高校の有名人。体のパーツ全てが、作り物のように美しく整っている。特にあの目だ。無意識に、人を見下した目をしている。けれども、不快になるなんてことはない。それは必然のことだ。普通の人間ができないことを、彼女は当たり前のようにやってのける。「天才」という言葉が恐ろしく似合う人だ。

 彼女からしたらきっと周りの人間なんて、取るに足らない、全て蟻のような存在なのだろう。

 僕はいつのまにか彼女に魅了されていた。別にきっかけがあったわけではない。自然と目で追ってしまうのだ。完璧な造形物の素晴らしさというものに、気付かされてしまった。彼女を知りたくてたまらない。僕の好奇心は止まらなかった。

 彼女は朝、誰よりも早く席に着く。窓側の一番前の席で、本を読んでいる。本が好きなわけではなく、ただの暇つぶしのようだ。授業は暇そうに、静かに受けている。先生に回答を聞かれても、毎回完璧に答えている。いつのまにか先生達は彼女を当てなくなった。お弁当は一人で食べている。バランスの良い食事だが、毎回肉を最後に食べている。わずかに口角が上がるので、肉が好きなのだろう。

 彼女の情報がもっと欲しい。夜の職員室や、保健室に忍び込み、彼女のプロフィールを写真に撮る。パソコンや書類をくまなく調べる。誕生日は四月六日。身長は百六十七センチ。体重は五十キロ。血液型はA型。体育の記録も素晴らしいが、やはり頭がいい。全教科満点を取るなんて、信じられなかった。

 証明写真というものは、普段よりいくらか不細工に写るものだが、彼女はいつも通りだった。

 帰り道。彼女の後をついて行く。少しの情報も見逃さないように、ボイスレコーダーを手に持ち、カメラを首から下げて静かに歩く。

 歩き姿が美しかった。

 髪とスカートが少しだけ揺れて、まっすぐ歩いていく。彼女の歩みを止めるものなんてない。そんなものは、この世界に存在しない。

 曲がり角に差し掛かる。急いでついて行く。

 彼女は消えていた。

 ここの電柱は光が弱く、周りも暗かった。

「はぁ……」

 ため息をつく。最近撒かれることが多い。

 彼女が本気で逃げると、流石に見つけられない。家の場所は知っているが、今から行っても彼女の姿は見られないだろう。大人しく帰ることにした。

 次の日の夕方、珍しく彼女が職員室に行ったものだから、勉強するふりをして教室で待っていた。

 彼女が鞄を取りに、席に向かう。教室を出る。教科書を仕舞って、後を追う。

 窓から夕日が差し込み、カーテンがゆっくり揺れる。いつもの廊下なのに、異様に息の詰まるような、硬い空気に支配されていた。彼女は歩みをを止め、振り返る。長い緑の黒髪が、弧を描きながら広がる。何を考えているかわからない、無機質な瞳。

「それで、私に何の用? ずっとコソコソ付いてきて。不愉快なのだけれど」

 不機嫌な、それでもどこか人を惹きつける、氷みたいな声。ひれ伏したくなる、圧倒的なオーラ。僕は蛇に睨まれた蛙だった。手汗が止まらない。右手に持ったボイスレコーダーが滑らないように、強く握る。凡人には、女王と話す資格なんてない。当たり前のことだ。

 バレているのだとは、思っていた。だからこそ、見逃されているのだと。気にもされていないのだと。

 目が合う。

「ねえ、聞いているの? ストーカーさん」

 彼女が近づいてきて、覗き込まれる。衝撃で、理解ができない。手が震える。どうしようもなくなって、飛び上がりそうだった。

「はぁ……。ねえ、返事くらいしたらどうなの?」

 彼女が僕を見ている。

 しっかりと、認識している。

 彼女の世界に、僕は存在している。

 泣きそうになる。

「今まで生きていて良かった……」

 感動に打ち震える僕を、蔑むように、試すように見つめてくる。

「何その返事。変わってるね。ねえ、なんで私の後をつけていたの?」

「どうしても早乙女さんのことが知りたかったんだ」

「そうなんだ。私のことを知りたすぎてストーカーになったんだ。滑稽だね」

 早乙女さんの淡々とした答え。なんの感情もなく答えるその様が、いつもと変わらず、似合っていた。場違いは、僕だけだった。

「早乙女さんは魅力的だからね。君の前では全てが塵芥だ。だからだよ」

「ふーん」

 しばらくの沈黙。

「ねえ、私と友達になってよ」

 意味がわからない。固まってしまう。

「私の観察をするより、友達になった方がより多くの情報を得られると思うけど」

 何を考えているかわからない。

「早乙女さんにメリットがない」

「あるよ。私、ずっと退屈だったの。面白いものが足りないの」

 目をしっかり合わせられる。吸い込まれそうだった。食い尽くされそうな、瞳孔。ぼうっとしながら、頷いてしまう。

「ふふ、今日からまたよろしくね、佐藤蒼くん」

 僕はストーカーから、彼女のピエロになった。

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