「前世から結ばれていた相手」ねぇ。でもそれって、浮気では?

黒星★チーコ

第1話

「すまないアリエス。俺との婚約を解消してほしい」


 自宅に婚約者の彼を招き、庭で二人でお茶を飲んでいる最中に彼、ロナルド・ベイルート伯爵令息からとんでもないことを言われた私。けれど私が最初に思ったのは、この一言だった。


(ついにきたのね、この時が)


 親同士の決めた縁談でロナルド様と11歳の時に婚約して早五年。もしかしたら政略結婚でも、あとからゆっくりと愛を育めるかもしれないとほんの少しは期待していたわ。


 ただ、ここ半年は違う。ロナルド様はある女性とやたらと距離が近かったから。私は今回、表向き悲しそうな顔だけはしていると思う。


「ロナルド様、何故ですか? 私に何かご不満でも?」


 不満はあるでしょう、そりゃあもう。主に私の身持ちの固さだけど。でもそんなことを我がウエイバー伯爵家の庭で正直にぶちまけるほど、ロナルド様も大馬鹿者ではないようで。彼は言い淀んだ。


「いや……君に非は無いのだが……」


 まあそう言うわよね。だって自分で言うのもなんだけれど、私、これでも他の令嬢のお手本だと言われているんだもの。この二年間、厳しい……ちょっと厳しすぎるほどの教育を受けて多様な知識も礼儀作法もきちんと身につけた。今だって心の中でこんな毒を吐いている事を決して相手に覚らせず、ひたすら困り顔を維持しているもの。


 私は横で控えている若き専任執事ジャンにそっと目を向ける。彼はまだ少年のあどけなさを僅かに残す美しい顔で軽く微笑むと、何も言わなくても心得たとばかりにすうと下がって行く。それを見たロナルド様は少しばかりほっと気を緩ませた。私が気を利かせて人払いをしてくれたのだと思ったのでしょう。


「……実は、俺には他に愛する人がいるんだ」

「ああ……」

「……」


 全くもって予想通りの答えだったので、敢えて一言しか返さず、ロナルド様の次の言葉を待つ。けれども、彼は何も言ってくれなかった。


 ……酷いひと。その後を告げないなんて、自分にやましいところがあるのに、できるだけ悪者になりたくないと言ってるようなものじゃないの。まあ、悪びれもせず堂々と浮気宣言をする人よりは遥かにましだけれど。そういう意味では彼は成長したのかもしれないわね。


「もしかして……リューグ男爵家のルビィ様のことでしょうか」


 ロナルド様の顔がこわばる。


「あ、ああ……知っていたのか」

「春の夜会に、ルビィ様といらしたと聞いております」


 私が風邪を引いて夜会に出られなかった時、ロナルド様はリューグ男爵令嬢を引き連れて夜会に出たそう。


 あとでお喋り好きな知人からその話を聞いた時、私の眉は自然と下がった。向かいの人間の反応から、きっと今の私は悲しそうな表情に見えているだろうけれど、実は(やっぱり本当なのね)と心の中で呟いていたのだったわ。


「……私、一年前に初めてルビィ様とお会いした時に、何となくこうなるのでは、という気がしていたのです」

「!! 君にもわかるか! そうなんだ」


 さっきまでのしおしおとした態度はどこへやら、彼は急に身を乗り出して興奮気味に言った。


「ルビィと俺は前世から結ばれていた相手なんだ!」


 なるほどなるほど。前世から結ばれていた……ね。

 間違ってはいないのでしょう。でもそれって……


「……本当ですの? にわかには信じがたいですけれど。ルビィ様がそのように?」

「ああ、初めて俺と出会った時にわかったそうだ。前世からの深い縁が遠く離れた俺たちを引き寄せ、出会わせてくれたと」


 ロナルド様はうっとりとした顔で語る。無理もないわ。男性を虜にするあでやかな魅力を持つリューグ男爵令嬢に「前世からの縁」と言われれば舞い上がるのも当然よね。それにロナルド様と彼女は実にぴったりだもの。……いろんな意味で。


「……でも、こんなことを申し上げるのは差し出がましいですけれど……」


 私は少し躊躇ったふりをしてから、真実を突く。


「前世のことは

「……なんだと!?」


 彼は今度は明らかに顔を怒りで赤く染めた。


「アリエス! お前はルビィが嘘をいているとでも言うのか!!」

「いえ、そんな……やはり過ぎた言葉でした。申し訳ございません」

「当たり前だ! 前世の嘘を吐くなど神に背を向けるのと同じ、決して許されぬ罪だろうに」

「仰る通りでございますわ」


 この世界では前世の存在は大きな影響を持つ。魂が輪廻転生してまた回帰することは常識だし、実際に前世をハッキリ覚えている人間もたまにいて、そのお陰で知られていなかった過去の遺物や、秘められていた歴史が明らかになった事例もある。


 だから「自分の前世は●●という貴族の娘の子で、実は王族の落とし胤だ」なんてことを軽々しく語ってはいけない。もしも嘘なら過去の歴史を意図的に改竄しようとした罪で大きな罰を与えられる。


 ……とまあ、言われているけれども。実際に罪を問われるのは歴史などの公的文化的なもの、または王侯貴族の血筋に関わる話の改竄だけだから、名前を出さずに「貴方と私は前世で愛し合っていた」と言うだけならその範疇には含まれない……なんて抜け穴もあるのよね。ルビィ様がどこまでロナルド様に語ったかはわからないから、実際のところは何とも言えない。


「……まあいい、そういうわけだから。婚約は解消だ。いいな?」


 ロナルド様は不遜な顔でそう言ってのけた。彼が怒り、私が謝罪した直後だから、このまま流れを自分の都合の良いように持って行こうと考えているように見えるわ。だとしたら本当に酷いひと。


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