第2話 雨音に閉じ込められて

「……あ、昨日の」

「──えっと、はい。昨日ぶりですね、先輩」


 翌日の放課後。

 もう関わることのない先輩とこんなにも簡単に再会するだなんて、誰が思ったのだろうか。



「うわー。どしゃ降りだね、これは」

「だねー……」


 朝は小雨だった天気は、時間を進むにつれて悪くなっていく。放課後になった今では傘を持っていても心許ないくらいにはどしゃ降りの大雨に変わっていった。

 凪は柚と二人で教室から外を見ると、はあっとため息を吐く。凪の気持ちと天気は、まるで反比例したグラフのようだ。


「じゃあ、私は部活行ってくるね。凪、また明日」

「うん、じゃあね」


 美術部に所属している柚とは違って、凪は何の部活にも所属していない。だから学校で何もすることはなかった。でもこの雨の中で帰路につくのも億劫だったから、凪はもう少しだけ学校に残ることを決めた。

 教室から去っていく柚を見送ると、凪は再び自分の席に着く。


(今日は体育もあったし……疲れたな)

 

 さっきまで嫌だったはずの雨の音が、心地よく耳に響く。雨は面倒だけど、雨音を聞くのは好きだ。周りがいつもより静かになって、普段の喧騒が離れた気がするから。それに雨が降った時の少し独特な匂いも好きだ。


(それにちょっと眠くなるんだよね、この空気)


 机に突っ伏すと瞼が重くなってくるのを感じる。だけど凪には、それに抗うほどの体力は残ってなかった。

 だからアラームをかけることも忘れて凪は眠りについたのだった。




「……ん」


 カチカチ、という秒針の音が目を覚ますきっかけだった。凪が顔を上げると外はもう真っ暗で、一気に意識が覚醒する。


「も、もうこんな時間だ! 帰らなきゃ」


 さっきまで眠りについていた頭を無理やり起こしながら帰り支度を整える。

 音楽室から吹奏楽部の練習の音が聞こえるから、まだ完全下校時間ではないだろうけど、それでも外が真っ暗なことは変わらないから凪は廊下を歩く足を速めた。


 靴を履き替えると、下駄箱付近にある傘立てから自分の青い傘を取る。そのまま校舎から出ようとした──その時だった。

 昨日中庭で出会った記憶に新しい人の姿が、凪の瞳に映る。


 校舎の屋根ぎりぎりのところで、亜麻色の長い髪が揺れている。それは昨日凪の顔のすぐ横に垂れてきたものと同じものだった。

 こんな時間まで残っているのは自分だけだろうし、彼女は何か部活に所属しているのかもしれない。


 昨日であったその人はどこか遠い目で空を見つめていたが、後ろからやって来た凪の足音に気がつくと我に返ったように振り向く。


「……あ、昨日の」

「──えっと、はい。昨日ぶりですね、先輩」


 昨日会ったばかりだから何となく気まずかったけど、ここで何も言わない方が変だろうか。そう考えた凪は戸惑いながらも口を開く。


「えっと……すごい雨ですね。朝はこんなに降るなんて思いませんでした」

「だね。私も思わなかったよ」


 軽く挨拶を交わして、凪は彼女が傘を持っていないことに気がついた。


「先輩……傘は?」


 凪がそう尋ねると、彼女は気まずそうに目を逸らしながら口を開く。手を後ろで組みながら彼女は目を伏せた。


「持ってきてはいたんだけど、人に貸しちゃってね。折りたたみ傘も、折りたたまない傘も。だから部活には入ってないのに、こんな時間まで学校にいることになっちゃって」

「そう、だったんですか。じゃあ──」


 どうやら凪の考えは外れていて、彼女は凪と同類のようだった。

 凪は傘の留め具を解いてゆっくりと傘を開く。傘の青が水滴に濡れて輝いた。

その輝きに導かれるように、隣にいた彼女の瞳がゆっくりと傘に向く。


「一緒に帰りますか? 先輩」


 凪の提案に彼女は少し微笑むと、傘の中に向かって一歩踏み出した。

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